レビュー 映画『すずめの戸締まり』11月11日(金)
新海誠監督
■背景に定評がある新海誠監督
『天気の子』と『君の名は。』と同じ背景すぎて芸がない。
■サブタイトルはすずめの一目惚れ、すずめの初恋
一目ぼれから始まる物語はこの世に溢れているが、例に習い型から外れずありがちな話。
とにかく長い。1時間で飽きた。
■戸締り
タイトルの為に鍵の開け閉めにカメラがズームインする。しつこすぎる。くどい。
視聴者の耳にタコを付ける如く何度も何度も宗像草太が「後ろ戸(うしろど)」と言う。
意味:仏堂の背後の扉のこと(古典能楽における概念で、神や精霊の世界につながる扉)
もっと後ろ戸をめぐると思えば予想外に少なすぎた。
毎回後ろ戸に同じ鍵穴が出現し、同じ文句で同じ鍵を指す。後ろ戸から出てくる災害生物も同じ。つまらない。
すずめの戸締りというタイトルなのに、実際にすずめが後ろ戸を閉めた回数は2回。
タイトルにするには少なすぎる。
4歳のすずめに向かって「私はすずめの明日」と言うし、すずめの〇〇が口当たりが良かっただけだろう。タイトル付けが非常に不服である。
■人が死なない
『君の名は。』では糸守町の壊滅、『天気の子』では東京水没と天災により住む土地が失われた描写があったが『すずめの戸締り』では小さな地震のみで一人も人が死なななった。
ハッピーエンド過ぎてダイナミクスにかけ物足りない。
関東大震災をテーマに語っているにしては描写が温過ぎて不満足。
せめて、大地震で交通手段が奪われる描写、住まう家が失われる描写が欲しかった。
すずめがスマートフォンで容易に金銭や交通手段を得るのが不満だった。
苦労とストレスフリーな現代向けの作品だ。
■#ダイジンといっしょ。
1日でTwitterでバズるはずがない。1日で拡散するわけない。
ダイジンの由来が納得できない。「ダイジンに似ている」というのが共感できない。
■ミスリード
宗像草太をすずめの椅子に変えてしまったダイジンのシーンで、ダイジンが悪役だと視聴者をミスリードさせた。
ダイジンが開いた後ろ戸の近くにばかり出現する為、ダイジンが開けてすずめ達をからかっているのだと錯覚させる。
最後にはダイジンが自らの石で要石(かなめいし)に戻り天災から救うのならば、抜かれた直後に初めから要石(かなめいし)に戻ればよかったのではと思わずにはいられない。それだとストーリーにならないのだろうが……。
■ストーリー
・すずめの無知により誤って要石を抜いてしまった。
・ダイジンが要石(かなめいし)の役目を放り出して遊んだ。
・宗像草太がすずめに「廃墟を探している」という曖昧な質問だけして要石(かなめいし)を抜いてはならないという注意を促さなかった。
3名による上記のミスにより起こった事例である。
■氷の表現が2種類あったが、どちらも好きな表現ではなかった。
①すずめの椅子の精神世界の中で要石としてすずめの椅子ごと氷にされた宗像草太。氷の1粒1粒が大きくおもちゃのようにチープに見えた。
②最終局面で結露のような細かい氷に全身が覆いつくされそうになるすずめ。
■
椅子を修理する描写を期待したが過去に渡すシーンに繋げるために直さなかったのか
■主題歌「カナタハルカ」
PVも歌詞も葬儀の曲ですが、すずめの戸締りで一人でも人が死んだだろうか?
類似性が感じられない。
■上映時間
2時間2分
実際には20分前会場、予定より8分伸びて2時間30分座席に。
天気の子は1時間54分
君の名。は1時間52分
この調子では、次回作は何時間になるのやら。
■長い
1時間にまとめられたストーリーだった。
すずめの叔母(岩戸環いわとたまき)と宗像草太の友人(芹澤朋也)の話は不要。
宗像草太の友人(芹澤朋也)のドライブ描写、懐メロを下手に歌うシーン、すずめの叔母(岩戸環いわとたまき)がウダイジンに乗っ取られるシーンがストーリーをぐだらせている。
■ED
エンディングは『ハルカカナタ』に後日シーンが組み込まれ、エンドロールが流れる。
『ハルカカナタ』に後日談を含めてしまったがために尺が足りず続いて『すずめ feat.十明』が流れスタッフロールのお尻に曲を合わせ終了。1曲で終わらないパターンは洋画のようだ。
『ハルカカナタ』で締めてほしかったという意見も。
■総評
『君の名は。』と『天気の子』の方がよかった。