あこのブログ☆オープンマインド

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今日あった面白いこと、感銘を受けた言葉、いつも考えていること、など様々なことを、徒然に記していきます。

色々な条件が重なって、まあ、なんとなくリフォームしようかな、と思った。


色々な条件というののきっかけは、父の他界なわけだが、存命の頃には、実家は父の名義のため私がリフォームするには贈与税やら何やらかんやらで面倒くさそうなので、実施に至らなかった。


雨漏りしていたし雨樋は壊れているしウォシュレットじゃないしタイルの床の冷たい風呂場だし給湯器は時々壊れていたけど、だましだまし住んでいた、父が。


さて、父がステージ4の癌治療中は、退院してバリアフリーが必要になったら介護認定のアレコレで少し手をいれなければと思っていたのだが、結局、脚が思うように動かなくなってから、入院、治療、施設入居となり、その後3ヶ月で帰らぬ人になってしまった。


今度はこうなると、相続はして登記の名義は私になったものの、喪も明けぬ前に実家に手をいれるなどできないわけで(隣近所の目)、私の定年、雇用延長、一周忌と続く間に、工務店さんに相談したり、超概算見積りもらったり、金融機関にローンの概要聞いたり、事前審査したりして、タイミングをはかっていた。


ローンについては、定年から20年ローン、どうするのよ?


っていうのと、


実家売って賃貸に暮らすなら、ローン返済してても同じでは?


っていうのと、


年齢的には今が一番若くて借りられるラストチャンスでは?


って思う反面、やはり、60歳にして高額なローン(それが2000万は行かなくても)を組むことの恐怖と天秤にかけて、のんびりしていたわけである。


で、今度の連休に、事前審査通った金融機関で具体的な契約に向けての打ち合わせ、工務店と契約についての打ち合わせを予約したのが、今現在である。


さて、そんなこんなで、中東問題である。

大手メーカーが新規受注しない、屋根の資材が足りなくなる、という流れが、どどっと来てしまった。


我が家のリフォームは、2階を減築して平屋にする予定だったのだが、ここで契約して建てている途中に資材不足で継続できない!みたいなことになったら、目も当てられないわけで、これは一体どうしたものか、という所にいる。


あと、実家をリフォームするなら住民票を実家に移さないと、住宅ローン用の抵当権を設定できないと言われ、東京で働いているのにどうするんだ?問題はまだ解決できていない。


先行き悪いな~。





昨日、何事もなく無事に父の一周忌を終えた。

葬儀の際にも読経はしなかったので、一周忌もただ一人で花を飾りご飯を供え線香をあげた。


父の兄弟妹も高齢になり飛行機に乗ってまで来ることは難しくなっている。

母方の妹弟にいたっては、10日前に弟の奥さんが他界し、それどころではなかった。


親戚数人から一周忌に寄せてお供え物やLINEでのメッセージが届いた。


母の時もそうだったが、一周忌を迎えるまでは、おり折に触れ、去年のこの時期はまだ生きていてこんな会話をしたな、こんなことが起こったなと思い出してはいたが、一周忌を境に、その思い出も、もう生きている頃こんなことがあったな、という大きな括りの中の出来事に埋もれていく。


そんな感じに、心の拠り所から徐々に記憶は思い出という言葉に生まれ変わっていく。


実家の片付け問題は、相続登記はしたものの何も始まっていない。


私も還暦を迎え、仕事を継続しているが、常に人生で今日が一番若いという事実を、無意識にあるいは意識的に感じている。


実家を直すのか問題

お墓はどうするのか問題

老後をどう生きるのか問題


更に自分の状況なんてお構いなしに世界情勢、日本での生活は変化する。


人世は常に悩み解決しサバイバルしていくものである。

これまで所属部署の異動が1度、派遣先の変更が1度あったものの、ずーっと同じ業界で28年過ごしてきた。


右も左も分からない世界で、与えられる仕事に悩みながらこなして知識を身に付け、英語を使って、自分のできること、信頼、自分の位置を確立してきた。


しかし、本当にコロナ以降、仕事が減っていて、なぜそう安くもない金額を払って雇ってくれているのか分からない日々が何年か続いた。


そして、去年。

4月、いや、年が明けてから割と早い時期から定年退職後について考えていた。折しも父の容態が良くならず、それでも小康状態でまだまだ生きてくれると思っていた頃だ。


新しい仕事を探すか、個人事業主になるか、今の仕事を継続するか。


貯金能力のない私は、この数年前から漸くNISAやiDecoを少額から始めたばかりで、失業保険で1年過ごして、そのあと、見つけた職場で働くという程度では間に合わない!という状態だった。


仕事ばかりではない。住むところ問題もあった。我が家は築50年で大きな地震に3度も耐え、床上と床下の浸水を1回ずつ経験している。雨漏りもある。水回りも古い。戻ってきても気は休まらない。リフォームか?


と、まとまらない考えがただ脳内をぐるぐる回っている3月、父が逝った。


これからはひとりで生きなければならない。


そこから、春、夏とかけて、秋に、新しい部署へ移ることを決めた。会社は変わらないが全く新しい分野だ。仕事がなかったことも要因だが、新しいことに挑戦してみたくなったのだ。


これまでは空の仕事だった。

これからは海の仕事だ。


空はプロジェクトが契約~納品まで2年半ぐらい。

海は、それが4年だ。


12月末の定年より早く、12月1日から異動した。


そしてもうすぐ3ヶ月経つが、まず驚いたのは、みんな英語を話す。商社か?っていうぐらい話す。


前の部署で英語ができるとあぐらをかいていた私は、これは、ブラッシュアップしていかないと!と決意を新たにした。


そして業務。右も左も分からないのに、アシスタントプロマネの肩書きを付与された。たしかにPMPの資格は持っているが、何をしていく?


こうして、毎晩布団に入ると挫けそうになりながら、仕事をどうこなしていくか悩みながら眠りについている。


テレワークする人も多く、お互いの人柄が分からない状況もモチベが上がらない一因かも。


でも、飲み会しよう!と言うことすら憚られる昨今。しかも、自分も前の職場の飲み会は悉く断っていた口だ。


やっていける自信がない。


でも、新卒で入った職場で、やはり入社3ヶ月目に、先輩のように仕事をこなせないと泣き言を言った私に、


あなた、まだ3ヶ月目でしょ?

彼女、何年やってると思うの?

比べる必要ないわよ。


と励ましてくださった方がいる。


それが、唯一の今の私の踏ん張りの拠り所だ。


40年近くも前に言われたこの一言に救われている。


今出来ないことをクヨクヨせず、半年後、1年後にバリバリ仕事をしている自分を信じよう。


空の仕事だって、最初は右も左も分からなかったじゃないか。


自分で、新しいことに挑戦してみたい!って思ったんじゃないか!


12月1日の私より、2月20日の私は確実に成長している。今はまだもがく時期なんだ。迷わずもがき続けよう。