あこのブログ☆オープンマインド

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今日あった面白いこと、感銘を受けた言葉、いつも考えていること、など様々なことを、徒然に記していきます。

コロナが流行り始めた頃に、個人的に、家系図を作ろうという一大イベントに着手したものの

思いのほか取り寄せるにあたり費用が嵩むので、ある程度進めて、

その後、親戚中にこんなことをしていました、と集めた戸籍謄本のコピーを渡し、

なんとなく、もうそれ以上は遡れないというところで終了していた。

 

結果としては、江戸時代の先祖までは遡れたので良しとすべきだろう。

実家の伯父(存命、91歳)のところには過去帳もあるらしいので、もう少し先に進めそうではあるし、早く過去帳を見せてもらわなければ手遅れにもなりそうだ。

 

さて、2026年9月現在。今日の私は、賃貸の1LKDに物が溢れ、このシルバーウィーク(台風も来ていて出かけることもできないし)に片づけを試みている。

 

実家のリフォームの着工に合わせ、両親の思い出の品やたくさんあった食器などを最後は勢いで捨てたのが先月だったので、そのモチベーションのまま我が家の断捨離もできるのではないかと思ってこの数週間試みているのに全く片付かないので辟易しているところではある。

 

その片付けの中、5年前に集めていた戸籍謄本が出てきた。大体は束になっていたが、1通だけ、母方の祖父の戸籍謄本が別ファイルに挟まっていた。

 

祖母は兵庫の人で祖父と大阪で結婚、大阪で母が生まれその後、母の妹弟は北海道で生まれている。聞くところによると、祖父のお姉さんが北海道に暮らしており、私の母を産んでからその姉を頼って北海道に移住したらしい。

が、5年前の収集時にも気づいていたのだが、その祖父の出生が、仙台市なのである。

現在の青葉区「立町」のあたりで、明治40年に祖父は「本材木町」で生まれているのだ。

私の父が昭和44年に北海道から移り住んだ宮城県、わが一族に何の縁もゆかりもない土地だと思っていたのに、祖父の生まれた土地だった!

という偶然に勝手にロマンを感じている次第である。

 

ってことで、いま、仙台市の過去の町名や地図をネットで探しまくってしまっており、片付けは忘れ去られている。

毎回、家に纏わる話になってしまうが、

家の修復を実行するにあたり、長年住んだ実家が、

私の終の棲家になることが確定した(老人ホームに入ることにならなければ)。

 

生まれてから、5軒目の家である。

 

最初の家は3歳までしか住んでいないので記憶にはない。

覚えているのは、家の前が野っぱらで、父のバイクの後ろに乗って見た風景だけだ。

 

2軒目は3歳~6歳ぐらいまで。

 

3軒目は小2の夏休みまで。

4軒目は小5の秋まで。

5軒目に両親が家を建て、それからずっとその家だ。

 

3軒目から5軒目まではもう記憶もしっかりしていて、

間取りもすぐに描けるほどに覚えている。

 

だが、どうしても2軒目の家の間取りが思い出せない。

玄関を入ると左手に廊下があったとか、

玄関入ってすぐの居間にある小さなテレビは棚の上にあって、

大好きだった「みなしごハッチ」を見ては泣けてしまうのに、

見上げていた首が痛かったことは覚えている。

その居間の隣には台所があったが、

トイレ、風呂、それ以外の部屋の位置は全く記憶にない。

 

その2軒目の家は坂の中腹にあり、近所に1歳下のケンちゃんがいてよく遊んだとか、

母とバスに乗ってすぐのところに、父の知人の家族が住んでいて

そこにはせっちゃんとゆうこちゃんというお姉さんがいて、

未就学児の私と良く一緒に遊んでくれた、とか、

また別の方向に行くと、同じ保育所に通っていた初恋のあきらくんのお母さんが営んでいる美容室がある、とかは覚えているのに。

 

この3軒目の間取りを確認しようにも、同じ記憶を持っている父も母ももういなくなってしまった。

父が生きていた頃に、その間取りを父に聞こうと思っていたのに、

もう施設に入っていて、食事も進まず、寝ている時間が多くなってしまっていて

父の顔を見にいくと、気持ちがそれどころではなくて、結局聞けずじまいだった。

 

私は28歳で家を出て自活してしまっているが、

それでもこんなにも近い思い出を共有できる家族がいなくなってしまった、

絶対にあの間取りを思い出せるチャンスがもう来ないという事実に、

ざわつくさみしさが心の奥の方に小さく起こってしまう。

 

 

 

 

 

 

とうとう実家の解体が始まった。

 







お盆明けが着工ではあったが、ここ数年を思い起こすと8月は酷暑が続くので、大工さん達が暑さの中働くことになってしまう日程を組んでしまったことを申し訳なく思っていたのだが、今年の宮城はなんとも過ごしやすい日が多く、少し安心している。

 

父が治療のため入院していた頃に、バリアフリー化も含めリフォームをしたら費用はいくらぐらいかかるのか、と気になって近くの工務店さんを訪れたのは2024年の秋だったか。

 

しかし、その頃はリフォームするつもりではなくて、どのくらいお金が必要になるのか知りたいと思っての相談だった。

 

あれから1年半かけて、漸く具体化して、工務店さん、金融機関と契約をして、とうとう断捨離もして工事が始まった。

 

始まりはしたが、実はすべてが決まっているわけではない。今は、どこのスイッチを3線式にするかということと、家具の配置に伴う隙間の調整中で、図面を広げたり家具のカタログを見比べている毎日だ。

 

そんな自分を俯瞰で眺めながら、私の家になるんだな、と感慨深くなっている。

 

あれは27歳ぐらいのこと。小学校からの幼馴染が一時同じ職場で働いていたが、その後不動産業界に転職し、その会社の物件であるマンションの一室を彼女は購入した。私はその部屋を訪れながら、マンションの一室を独身女性が購入できるほどに私たちは大人なんだ、と、ものすごく驚いたことがずっと私の心に残っていたのだ。

 

まあ、シニアになってからの実現だけど、私も、持ち家もてたぞ!という気持ちでいっぱいである。まだ住んでないけど、というか、出来上がっていないけど。

 

すべてを思い通りにするほどには余裕がないが、それでもできる範囲で精いっぱいに自分のやりたいように決めている。