🍀2年前のしこり発見からを振り返っています🍀
初診日から告知日までの10日ほどは、告知前だけどすでに乳癌患者の気持ちでした。。
何故こんなことになっちゃったんだろうという後悔と、両親になんて言おうか、職場にはどうしようか、友達にはどこまでいおうか、そんなことをクルクル考えてはやめて考えてはやめての繰り返しでした。。
その間、乳癌の方のブログをずーっと読み漁って、もともと日記みたいな文章を書くのは嫌いじゃないので、なんとなくその時期に闘病が始まったら自分でもブログを書いてみようかなと思い始めていました。。
2019年6月28日・・・告知
乳癌と告知される覚悟は出来きていました。
だから診察室に呼ばれるまでずっと先生への質問を考えていました
9時の予約だったけど早めに着いて8時半から待合にいたら、1番に呼ばれて、待合室から診察室までの通路を、帰りは乳癌患者になって帰るのかなと考えながら歩いたのを思い出します
この何とも言えない気持ちで診察室に入ったのに。。
当時のブログにも書いたように、入ってすぐ先生は用事で席を立ち。。
開いたカルテを|ω・)チラと見たら。。
CNBは浸潤癌って‼️ 書いてある‼️👀
はい、告知勝手に終了〜
今はこんなに軽く言いますけど、まぁそこそこショックでしたけども❗️せんせーぃ〜
今はネタにしてますが。。
先生が戻ってきて診察室での長い1時間が始まります
とにかく色々説明してくれました。。
術式のこと、病期のこと、リンパ節転移のこと、サブタイプ分類のこと、手術までのスケジュールについてなどなど、、紙に書きながらゆっくりと。。
先生の穏やかな話し方で、告知という重い空気がいつの間にか無くなって、診察室には柔らかい空気が流れ始めていました。。
実はその日、私が1番気がかりだったのは、手術を1人で受けても(付き添いなしでも)いいかということ
以前、東京の病院で手術を受けた時、両親にわざわざきてもらうのもだし、姉も仕事があるしで、主治医に誰も来られないって言ったら、両親や姉じゃなくてもいいからあなたの信頼できる人に待機してもらって下さいって言われて、、
考えたら頼める人がいなくて、その当時は元気だった両親が来てくれたんですけど、あーおひとりさまってこう言うハードルがあるのねって思ったんです
で、結局、その時と変わらずおひとりさまな私。。しかも今回は両親にはもう頼れない、そして姉も介護負担が増えて仕事もあるので頼りたくない、、
あっまた1人💦💦また信頼してる人とか言われたらどうしようかな。。って実はそこを1番心配してました😅
『先生、手術の時、家族が来なくてはダメですか今、両親ともに介護してて、姉も忙しくて頼める人がいなくて。。』
『いいよ、誰もいなくても、そう言う人いますよ、ご両親は認知低下あるのなら病気のことも無理に言わなくてもいいんじゃないかな』
その言葉を聞いてホッとしました
これって多分、病院によって、先生によってかなり違うかもしれませんが、私の病院は主治医判断なんですよね、イノッチ先生はそういう先生なんだと心を開けたのはこの言葉を聞いた時だった気がします
さすがに内緒にしておくって選択肢は私にはなかったけど、1人で手術に臨む覚悟をしてたので、先生が軽くそう言ってくれたことでなんとなく肩の力が抜けたというか。。
『ご両親介護してるとなると全摘+再建は2週間くらい入院期間があるから難しいかな。ちょっともう一度胸見せてくれる』
しこりの場所をもう一度確認して、、
『場所と大きさからも部分でいけると思うよ、あとはMRIでがんの広がりをみてからかな、広がってたら全摘になっちゃうかもしれない、でもこの年齢だと全摘はもったいないよね』
はい、出ました❗️もったいない発言
これもね、忘れられない一言です。。わたしこのイノッチ先生の軽〜い、天然な感じにハマってしまいまして波長が合うなと感じたんです
いやいや、もったいないって、そんな感じで言われて嫌だったって怒る人もいると思いますよ‼️でも私はね、なんか笑っちゃったのそういう問題じゃねぇし‼️って心でツッコミながら。。
告知日の話ですからね
『先生、部分か全摘かは先生が決めるんですか』
『部分切除だと再発リスクが高いと判断する要素が沢山ある方は強く全摘を勧めるけど、基本、その選択は患者さんにしてもらってます、とりあえずMRIの結果が出てからの話だね』
分かりましたぁ〜
そう、最後はこんな感じで私の心も少し軽くなってた変な告知日でした
診察室を出る時に振り返ってありがとうございましたって言ったら先生はカルテを入力する手を止めて、私の顔をみて、『お疲れ様〜』って言ってくれて、自然とお互い笑顔だったのを覚えています
先生はいつもそうです、多分その時のわたしの表情を診ているんだと思います
待合に戻ったら9時40分になるところでした。1時間以上も私への告知に時間を割いてくれたことに感動しました
あの日からイノッチ先生の診察室は私にとって癒しと希望の診察室になったのです