こんにちは~
明日から寒くなるようです
寒いのが大・大・大嫌いなくぅちゃんの気分は直滑降で下降しとります
皆様も体調にはお気をつけてくださいね
今日は父のことを。。。
2017年5月から多発性骨髄腫という血液の癌で闘病中です
その過程で2019年2月には脳梗塞を発症
それがきっかけで認知低下も徐々に進んでいます
今年の父の誕生日に今までの経緯を書きましたのでお時間あればこちらも
現在、日常生活は自立しているものの、薬の管理はできないので、出してあげないと飲みませんし、日にちはまず分からない、訪問看護さんが来る日ももちろん分からない。。。
先日は姉と病院にいって病院内で密をさけて病棟のデイルームでお昼を食べていて、デイルームを出てすぐのトイレに一人で行ったまでは良かったのですが、戻ってこれなくなって行方不明
姉が30分くらい院内で探していたら院内放送で呼び出されるという
どうやら5階のデイルームから1階まで行ってしまい、総合案内の方がお声をかけてくれたとのことでした
まぁそんな具合なので、自分の治療のことも、ちゃんとした判断ができない状況になってきたので、これからの治療のことは本人にももちろん聞きますが、決定権は姉と私になってくるのかなぁと
2017年5月に確定診断がついた時点で、ステージは2~3(←診断基準によって2だったり3だったりと言われました)すでに進行している状態でした。
ですので、最初から再発難治性の骨髄腫の治療をしています
癌治療でファーストライン・セカンドラインという言葉がありますが、父は今サードラインの治療を受けていると認識しています
ネットから拝借
サードラインの治療は8月末から始まりました
5月くらいから血液検査の数値が悪化してきて、8月初めの検査で抗がん剤の変更が決まりました
8月末~の初回治療は入院してアレルギー反応をみて、副作用が全然出ていないとブログで報告しました
そこから2週間おきに4回投与しましたが、10月初めの血液検査で数値が全く良くなっていませんでした
悪化もしていないけど、抗がん剤をしているのに数値が下がらないというのは奏効していないと。
10月にあと1回投与して11月初めにも変化がなければ、また抗がん剤の変更を考えますと言われています
今、父の総合病院への通院の付き添いは姉、私は母の総合病院への通院と、2人のかかりつけの開業医の先生のところの通院の付き添いと分担してます
8月までの抗がん剤は内服だったので、診察が終了したら薬をもらって帰ってこれたのですが、現在のは点滴薬なので、加療センターに行かないとなりません。
朝一に血液検査にいって、診察してから加療センター、とにかくどこも待つので、先日は8時半に家を出て、帰ってきたのが18時半でした
加療センターで5~6時間かかるのだけど、今は付き添いがベットサイドにいられないので、姉は一度帰ってきて、夕方、私が迎えに行っています。。
とにかく父の病院は待ち時間がありすぎて、姉が1番疲れるのはよく分かりますが、私は自分の通院もあるし、今の分担を逆にする(私が父で姉が母)というのは、姉はタクシーで付き添うので効率が悪いんです。。
で、先日、疲れ切った姉が
『また抗がん剤変えるって言ったら、そろそろ緩和内科だけにしたいって言おうかな。こっちの身がもたない』って言い出して。。
その気持ちはすごく分かるけど、私からしたら姉ってすごく短絡的だし、ドライだし、あまり無理しないタイプなので、たかが2回1日がかりの付き添いがあったからって、なんでそんなに簡単に言えるんだろうって思って
私は自分が抗がん剤やってる時でも、普通に母の付き添いもいって、かかりつけの先生のとこもいって、具合が悪い時も父の入院手続きにいって、、ってやってきたのに、納得いかなくて
父がもう治療は嫌だって言って、これ以上は抗がん剤治療は望まないっていうなら私も納得するけど、って言えば、
『ねぇ、お父さん、もう辛い治療とか嫌だよね抗がん剤しなければもしかしたら早くお迎えくるかもしれないけど、それまでは身体が楽に過ごせるかもしれないしねぇ』
って父に言うの
父は認知低下はあるけど、私たちに負担がかかってるって言うのは分かってるから
『そうだな、もういいかな』って流されて言う。。
『そんなの誘導尋問みたく言わせてるだけでしょー』って言うと
『じゃあ、くぅちゃんがこれから抗がん剤の治療のフォローもしてあげればいいじゃない、ヘルパーさん頼むなりなんなりして』
って、もうーっ本当に短絡的なんだよ‼️
私だって、父も高齢だし、脳梗塞もしてて、認知低下があるから、やれる治療があるうちはやりたい❗️ってスタンスではないんです
サードラインの治療に入るときに、抗がん剤を辞めるっていう決断もそう遠くないかもと思い始めたし
でもまだその決断はしたくないな、もうちょっと頑張って欲しいなというのが自分の気持ち
だから主治医先生や緩和の先生にも相談しながら、決めていけばいいと思うんだ。辞めることはいつだってできるんだから。。
でも姉はとにかく先生と話したりするのが苦手だし、はっきりいって、キャパが狭い。。
だから私の思う通りにはならないし、私も自分の思うようにしたいなら、私がキーパーソンにならないとって思うし、それは今の状況では難しいなっていうのは十分分かるので本当にもどかしいんです
結局、姉も一時の感情で、カッーって言ったみたいで、今は次回、抗がん剤変更になってもとりあえずやってみるという流れにはなっています
父も今はまだ少し判断能力もあるので、抗がん剤の副作用が強く出たら辞めたいとか、その程度は言うんです
でもしっかりとした判断能力があれば、この程度ならもう少し頑張れるとか、副作用が出なくてもやっぱり辞めたいとか、1度は辞めるって言ったけど、またやってみたいとか詳細に自分の意思で治療を選択していけると思うんだけど、それが父には多分もう出来ないです
私たち家族にとって、父の積極的治療を辞めるということが現実味を帯びてきたというのは紛れもない事実
だけどその決断を本人がしっかりとできないかもしれない、それはやはり本人にとっても、家族にとっても1番切ない現実なのかなぁと思う日々です。。