毎日暖かい日が続いていますね。
桜もぼちぼち咲き始めました。
今週中に満開を楽しめそうな気配です。
上の写真は台湾の春の花、紅花風鈴木です。
この風鈴木はピンク色の花と黄色の花があり、
3月が来ると、一斉にこのように鮮やかに咲いて
人々はお花見にでかけます。
青空に黄色やピンクに染まった美しい木が映えて
それはそれは見事なんですよ。
台湾では日本より一足早く
1月下旬から桜が咲き始め、
ソメイヨシノや山桜に濃桃色の八重桜まで、
色とりどりに台灣を染めています。
そしておおよそ3月の中旬頃に
この風鈴木にバトンタッチ。
この花が咲くと、
ああ春が来たなぁという気がします。
※黄金風鈴木(黄花の風鈴木)はこんな感じです。
といっても高雄は
1月でも昼間は30度近くになりますし、
熱帯の都市ですから、
日本のような春とはかなり違います。
通常は夏と雨季と冬の3パターンで、
春とか秋というのも日本のようには実感できません。
しかし、今年は異例の寒さに見舞われていて、
先週も冷たい雨に降られていました。
北部の山岳地域では積雪もあって、
本当にびっくりしました。
さて。
一昨日FBでリンクをシェアさせていただいたのですが、
とても興味深い記事を見つけました。
最初はオモシロ記事なのかなと思いながら
読み始めたのですが、ところがドッコイ。
スピリチュアルに興味を持ちながら
プロを目指しているのに迷子になってしまった方へ、
アドバイスのひとつとしてお伝えしていることと
似たようなことが、面白おかしい文章の中に紛れて、
さりげなく書かれていたのでした。
今回の原稿を書くにあたってぜんぶ、
国立国会図書館で一次資料に当たりました。
もう、古文書に埋もれる日々でした。
なぜならそれが
一番最初にどこに書いてあったのかをこの目で見ないと、
すべてがあやしいからです。
そして、この目で見たら、
さらにあやしさがはっきりする場合が多いのです。
それほどまでに歴史上の「誰々はこんなことを言った」
「誰々にはこんなエピソードがあった」というのは、
後世の作り話か、芝居を盛り上げるための創作が多い
のです。
(”秒速で~”より引用)
この記事は「石田三成」についての記事なので、
歴史に関する話としてこのように書かれていますが、
私はこれは様々なことにあてはまることだと思っています。
ネットがこれだけ浸透した結果、
様々な事が伝わってくるスピードは
これまでにない速度へと変化しました。
以前は情報の伝達には地域格差が存在していたものが、
インターネットのおかげでその差はかなり小さくなり
私達は知りたいと思うことについて
どこに住んでいようとどんな時間であろうと、
情報を得る事ができるようになってきています。
昭和の時代には情報が欲しければ、
まず本屋や図書館などからスタートでしたし、
それらは一定数の人口がある市町村でないと
存在しないものでした。
私の育った町にも図書館はありませんでした。
(それどころか最初に通っていた小学校には
廊下にわずかに並べられた校内文庫はあれど、
図書室すらありませんでした。)
そんな私からすると、
知りたいと思ったある程度の事は
即座に調べることができる今の状態は
本当に有り難いものです。
一方、様々な情報発信を行うことも
非常に手軽になりました。
このブログ自体もその恩恵の元に
こうして書かせていただいています。
そしてFacebookやTwitterなどSNSでは
シェアという形で
様々な情報発信が後押しされています。
私達は政治問題や環境問題など世の中の動きから、
古代の叡智や秘術まで、
手軽に触れることができる時代に生きているのです。
なんと素晴らしいことでしょう。
さらには、かつては
「知る人ぞ知る」というものなのだろうと
想像されていたようなことも、
探さずとも届くような状態にまで進んでいます。
例えば朝、Facebookを開けば、
ウォールにはいろんな方の投稿や
シェアをしてくれたリンクが並んでいて、
その中には驚くべき内容のものがあったりしますよね。
しかし、それらの情報を読んで見ると、
結局、真偽が非常に曖昧だったり、
情報の出元がどこなのかよくわからないものが
かなり多くあります。
中には出元は書いてあっても、
記事にとって都合のよい部分のみを
切り取って掲載していたり、
既に訂正されたような古い情報を
今発表されたもののようにして
説を展開していたり。
これらの傾向は一見、
非常に興味を惹くような過激なタイトルや
感情的にヒットするようなタイトルをつけられた
そんな記事に共通するものです。
そして、スピリチュアルに興味のある方は、
感情的な表現や感覚的な表現に
強く反応しやすいようです。
「有名な◯◯さんが書いてた」とか
「人気の◯◯さんがシェアしてた」からという事を
その内容の正当性の証拠と考えている人もいます。
それが故に、明らかに、
中学校レベルの教育を受けていれば
疑問を感じるような内容のものであっても、
簡単に感銘を受けてしまったりします。
そういった傾向の方は、
それらの記事の真偽についてや、
出元について疑問をあまり感じず、
共感同調してしまう傾向があるように思います。
まるで磁石にまとわりつく砂鉄のように、
「曖昧で過激なもの」が
私達の周りを常に取り巻いていますが、
そのことについて冷静に対処することも
苦手なようです。
さらに様々な情報の渦の中で、
あっちからこっちからやってくるものを
ただ条件反射のように受け取って
良くも悪くも陶酔してしまった上に、
逆にコピーのように拡散してしまっていたりします。
しかし、ふと我に帰ると、枝葉だらけで、
幹となる考えがまったくない自分を無意識に感じ、
寄らば大樹の影とでもいうように、
自分が同調したものに更に似たような
強烈な印象の言葉を多用しているだけの
無意味な過剰さを備えた辻褄の合わない記事や
そういった発言を繰り返すような人を
「自分の代弁者」としてしまうのです。
インターネットにかぎらず、様々な情報は、
何かを知るきっかけや学ぶきっかけを
与えてくれます。
しかし、学ぶというとき、
私が大切だと思うことがあります。
それはできるだけ、
出典元を探す努力をするということです。
時には引用のように、
一次資料にあたるよう努力するということです。
もちろん、どちらも
容易ではないことだと思います。
場合によっては自分が理解できないような
外国語で書かれたものが出店元のこともありますし、
一次資料が古い時代の古典である場合もあるからです。
その場合、すぐ確認できるものが、
孫引きや曾孫引きのものであることもあります。
しかし、たとえそれがそうであっても、
それが何を底本として(何を元情報として)
書かれたものなのかを確認しようとする作業を
まず始めるということが大切だと私は考えます。
特にスピリチュアル関係で
まことしやかに語られるものの中には、
明らかに歴史的経緯から見て間違っているものや、
または不勉強の結果による勘違いの言説が、
巷間に広まってしまっているものが
数多くあります。
それらは、元を辿ることで
今自分が接している情報の実態が
見えてくる可能性が高いのではないでしょうか。
「正しいか間違っているかは、
全部感覚で判断すればよい」という
そんな意見もありますが、
私はそれは疑問です。
感覚は嘘はつかないかもしれませんが、
それを「判断」する際に
間違いが生じる可能性は高いのです。
何故間違いが生じるかといえば、
まず、判断をするための
客観的な情報のストックが
少ないという事が上げられます。
例えば、何も教えずにいきなり
小学生に自動車を運転させようとしたら、
感覚でエンジンはかけられるかもしれません。
しかし車の運転は様々な判断を必要とされます。
何も知らない子供が正しく判断して、
事故もせず運転できると思いますか?
勿論中にはそのような
天才的な勘の持ち主もいるでしょう。
けれど、大抵は、無理でしょう。
知識も経験もないからです。
私達はこの世の全てのことを
経験することは出来ません。
その代わり、知識を得ることによって、
判断をする力を高めることが出来ます。
この知識の部分を先ほど、
私は情報ストックと呼んだのです。
上にあげたような「出元を辿る」ということによって、
辻褄の合わない情報を削除し、
判断の材料となる情報を増やすことができる
可能性があるでしょう。
私のセッションを受けてくださる方には、
いつも、
「グラウディングをするということは、
自分に芯をつくるということは、
ただエネルギーワークや瞑想だけが
手段なのではありませんよ」
とお話をさせていただきます。
知らないということは不安を呼びますが、
逆に言えば、「知る」ということは、
人を落ち着かせ、安定させる部分を持っています。
知らない土地を歩く時、
勘を頼りに歩いても
勿論たどり着くことはできるかもしれませんが、
迷子になってしまうのではと
不安が湧いてくるかもしれません。
しかし予め地図という知識があれば、
ずっと不安は少ないものです。
「考えるな。感じろ」とよく言われますが、
自分に芯を作る現実的な方法のひとつは、
流布する情報に目や耳を塞がず、
自分で物事の流れを確認をするということでしょう。
つまり、考えることは重要です。
そうすることにより、
感情的な表現や感覚的な表現に対して、
闇雲に反応し陶酔する危険は
少なくなっていきます。
世界に対して目を開くこと。
目に写っているのに
「みえていない」ものがあることに
気づくこと。
それは特別な能力などまったく不要で、
とても身近な事なのだと、私は思うのです。
占星術ってなんだか面白そうだけど・・
買った本は最初の数ページで挫折
記号と数字で目が回る
そもそも記号がひとつもわからない
というか書いてあることがひとつもわからない
こんな私じゃ講座に行くのすら恥ずかしい・・
全部ハヌルが通った道です。
どうぞ気軽においでください。
☆初めてさんのスピリチュアル占星術講座
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