少しづつ体力がついて参りましたが、
まだまだ頭がぼんやりした感じがしています。
なかなかさっさと回復できないのも、
やはり年のせいかしら・・などと思ったり。
もともと余り丈夫な方ではないので、
これからはもっと気をつけないといけないなと
改めて思っています。
それにしても。
年を取ったなぁと感じる一番の原因は、
自分が本を読む集中力を失ったことがあります。
子供時代の私はかなりの本の虫でしたし、
子供が乳幼児の頃などは、
部屋の中でおんぶをしながらぐるぐる歩きつつ、
手に本を持って読んだりしていたものでした。
その頃でも大体、10日で15冊は読んでいたでしょうか。
しかし、そうまでしても読んでいた本が、
今では4,5ページも読むと疲れてしまうようになり。
年に1冊か2冊程度しか読めないようになりました。
(単に乱視が酷いせいかもしれません。)
目は見えなくなってきたし、
集中力も欠けて来たけれど、
逆に増えてきたのが「学びたい」という気持ちです。
人生の半分が済んでしまったと思うと、
ああなぜもっと勉強をしてこなかったのかと、
自分を不甲斐なく思います。
昨今、スピ界隈では、
「考えるな。感じろ」というお題目が
当たり前のように口にされていますが、
私はまったくその逆を提唱したいのです。
「感じるより、まず、考えろ。」と。
右脳右脳と騒ぐ前に、
まず左脳を使うことをしましょうよ、と。
バレンタインにこんな事を考えている私は
超無粋な人間かもしれませんが。
「勉強しててやりたいことが見つからない」
とよく言うけれど、逆でしょ、と強く言いたい。
「やりたいことが見つかった時の為に」
勉強ってするもんなんだと思います。
知識は世界を理解するための基礎であり、
何かを自分がしたいと思った時、
そのために知恵を働かせ判断したいと思った時、
自由の翼を与えてくれるもの・・・・「学力」。
それを小・中・高校で私達が学ぶ基礎的勉強で
身に着けていくのだと思う。
良い大学へ行くとか、良い就職先にどうのとか、
そんなことはまったく関係なくて。
知的専門性の高い職種につきたいと思った時でも、
手に技術の必要な職種につきたいと思った時でも、
どのようにでも自分の夢が叶えられる可能性を広げるために、
勉強をして知識を増やしていくのだと思います。
つまり夢の実現力を備えていくのが学問の力。
料理だって、経験でも勿論美味しいものは作れるけれど、
科学や化学の知識があると、違った視点で作る事ができるし、
普遍的で汎用性と再現性の高いレシピに変換できたりする。
今のような時代では、
流言飛語に惑わされて興奮し浮足立ちそうになっても、
小中学校レベルの学校で習得するような知識がきちんとあれば、
回避できてしまうようなこともたくさんある。
(ハヌルのFacebookより)
例えば、少し前に話題になった
「江戸しぐさ」や「水素水」など、
明らかに中学生レベルの基礎知識があれば
おかしいと気づくことができる程度の物事が、
「感覚で素晴らしい」と思うことによって、
それが根拠の無い偽物であっても
まるで正当な物であるかのようにシェアされていきます。
時にはカントンの海水のように、
センセーショナルな言葉で飾ることにより、
簡単に惑わされていまだにシェアされているものもあります。
私達は、
一歩立ち止まって考えてみるという冷静さを
何故こんなにも失ってしまったのでしょう?
単なる言葉遊びやごろあわせに一喜一憂し、
情報ソースの曖昧なつぎはぎ文章に前のめり、
常に自分達を搾取される被害者だと思い込む・・。
何かあればパワースポットに走り、
パワーストーンにすがり、
見えない存在の啓示を欲しがる・・。
私は思います。
いま大切なのは、
論理的に物を考える力なのではないかと。
それを養う為に、学校というものがあるのです。
「学校の勉強なんて役にたたない」
もし、あなたがそう思っているのなら、
それこそ社会の毒に毒されているのでしょう。
これからの時代、ますます、
曖昧な胡散臭いものが私たちの周りを闊歩するでしょう。
その時、人はあなたを守ってくれなくても、
知識は必ずあなたを守ってくれるでしょう。
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