
先日断捨離について2本記事を書きました。


これらについて、いろんな方から、
ご感想をいただきました。
まさかそんなに反響をいただけるとは
思ってもみなかったので、
本当に嬉しく思っています。
今回はそんなご感想の中から、
ひとつ取り上げさせていただこうかなと。
お友達がFacebookでシェアしていた所から参りました。
あっぱれな断捨離の決断に、感動しました。
しかし、まだ使えそうな物など、
どうしてそこまで潔く捨て切れるものなのか‼︎ と、
傍観者の様に呆然としたまま私は、
まだ勿体無い、捨てずに活かしてあげたい、
誰かに使って欲しいの意識が変わらず、
どんどん捨てきれず、
引っ越し半年経ってもスッキリとさせきれないままです。
その勿体無いと言う想いをどうクリアーして、
捨てきれたのか心境を知りたかったのです。
コメント欄がありませんでしたから、
こちらで質問させて頂きました。
申し訳ありません。
又、断捨離の事を書かれる事がありましたら、
手放す時の躊躇や何か現れた心境も
どんなだったか書いて頂けたらと思います。
よろしくお願いします。
(Lさん:仮名)
ここに書いてくださったことと
同じようなことを、
いろんな方から質問されました。
まだ勿体無い、捨てずに活かしてあげたい、
誰かに使って欲しい
だから 捨てられない
というものです。
これについては、既に、
過去記事である程度書いたつもりなのですが、
再度書いてみようと思います。
今回、捨て始めた最初はやはり、
アレは取っておいて・・コレももう手にはいらないかも・・
などと、取捨選択をするのに時間をかけていて、
なかなか進みませんでした。
しかし、
明日私が突然死んだら
後片付けをする人にとって
どれもただ邪魔なゴミでしかない
と気づいたんですね。
元々、「今、自分で自分の荷物を減らすことで
残された人にかかる手間や迷惑を減らせるのなら、
やってしまったほうが良い」という気持ちで、
物を減らしをスタートしていました。
自分にとってはどれだけ大切なものや
思い入れがあるものでも、
他人にとっては「物」でしかないのです。
場合によっては「邪魔な物」「場所ふさぎ」。
それを、私は弟の死によって、
強く感じさせられた経験をしました。
勿論、物でしかないと言っても、
どれを見ても弟の思い出が蘇るものばかりでしたが、
さりとて、では取っておくかといえば、
今後の事を考えるとそうもいきませんでした。
そうなると、結局は、
残った家族(我が家の場合は父母)が
残したいと思うものを選び、
それ以外の物は全て廃棄することになりました。
そしてそれは大変な作業でした。
(最終的に小さな引き出しに収まる分だけと、
死ぬ直前に作ったラジコンカー・・それだけが
弟の思い出として残されました。)
もし、私が物を取っておいたとしても、
私の子供が、いえ、孫が、
はたまた曾孫か、
場合によっては我が家を購入した赤の他人が・・・
誰かがそれらをいつか捨てる時がきっと来るのです。
まだ勿体無い、捨てずに活かしてあげたい、
誰かに使って欲しい
その思いは確かに素敵なのですが。
もし本気でそう思うのなら、
ネットオークションやフリマに出す、
リサイクルショップに持ち込む、
SNSで無料で貰ってくださいという告知を出す、
この際、資源として再活用する為に
資源ごみとして出す、等々
さまざま手段があるはずです。
もし、それをしても見つからないなら、
それはもう自分の手には余っているのでは?
既に、あなたの家では不要だから
行き先を探しているわけで・・・・。
敢えて厳しい言い方をしますが、
あなたが今処分しないのは、
結局は、単に、
自分が捨てたという罪悪感を感じたくないから、
誰か他の人にそれを負担させたいだけなのかも。
つまり、自分の気持ちよさの為に
物を捨てたいと思っても、
なかなか物は無くならないのではないでしょうか。
(断捨離がうまく進まない方の中には、
私がいつも言うところの
”快楽依存”傾向がある方が結構おいでのようです)
まだ勿体無い、捨てずに活かしてあげたい、
誰かに使って欲しいも
所詮は、欲望のひとつなのです。
ほどほどの所で諦めをつけるというのも、
大切な事ではないのかなと思います。
そして人の心は、
自分の為にはできなくとも
「誰かの為に」であればできるという
そんな側面も持っています。
私も「自分の為」だけだったら
ここまで出来なかったかもしれません。
そしてもうひとつ大切なのは。
覚悟 だと思います。
物を捨てるということは、
自分の歴史のドアを閉めること。
「過去の自分を葬る」ことに繋がります。
物とともにある、
嬉しい時間、悲しい時間、
様々な後悔と喜び、
それらをきちんと過去にする。
もう過ぎ去った時間をやり直すことはできないのに
過去のゴーストとともに生きている自分の姿を
見つめてみてください。
”千の風に乗って”という歌がありましたよね?
私はそこになんかいません
それは生きている私たちも
同じことです。
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風 に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
あなたは風に乗って、
世界を駆け巡っていけるのです。
※この記事は、
なんでもかんでも闇雲に捨てることが良いと
推奨しているわけではありません。
「捨てられない自分」にダメだしする必要もありません。
物事にはタイミングというものがありますから。















クリック応援お願いします




















