一昨日、今年のセッションの振り返りって
今年のうちに書いておきたいと思ったことを
全て原因を霊的なものだけにしようとすると解決しない。
という記事にして書きました。





それを読んでくださった
スタジオ・アッシュの鴨川泰江さんが、
Facebookにこんなコメントをくださいました。






これむかーし自分も身に覚えがあるから
アイタタタなんだけど、
現実でのことは、現実で解決するというのが
「基本」なんだと思う。
それは霊的なものを否定するわけではなくて、
むしろ逆。
「肉体を持って生きるという体験」に
敬意を払わない「スピリチュアル」って、
本末転倒だと思うんだよねー。
(ひろかもさんのご許可の元転載)







このコメントをいただいて、
「そう!そうなんです!」と。
私が言いたかったことは、まさに、
このコメントに集約されるのです。






私達が肉体を持って生きるということには、
様々な理由があると思います。
それは私達が想像できることから、
想像が難しいことまで、
多種多様な意味合いがあるのかもしれません。






一昨日の記事でもほんの少し書きましたが、
霊的なエネルギーが現実に作用するのには、
段階というものがあります。
(この話は少し複雑で長文になりますので、
来年ゆっくり書いていくか、
または「魂のお茶会」的なもので
お話していきたいと思っています。
ということで、ここでは割愛。)




いづれにせよ、
自分の目でみて触れて触れる現実に対し、
無感覚になり無視をしたまま、
霊的な部分にだけ関心を持ち、
エネルギーワークや瞑想や浄化をして
一時的な快楽を求めるのは、
単なる頭でっかちの
快楽依存思考でしかない可能性があります。
それはやはり、
霊的な生き方とは言えない気がします。






ミエナイセカイに触れている時、
私達は肉体という家についても
考えていく必要があるということです。
どれだけ魂が望んでも、
あなたの手が働かなければ
物事は始まりません。
それはもう、当たり前の事ですね。








「肉体を持って生きるという体験」に
敬意をはらうこと。



それはマボロシやまやかしや
自己都合の思い込みから目が覚めることに繋がります。



そして霊的なものへの眼差しを
より深めていく生き方に繋がっていると私は思います。











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