
『近代医学は、パスツールを称賛し、カントンを黙殺した。
その理由は、
「ただの海水で、病気が治っては儲からない」 からである。』
この前から私のFacebookのウォールには
カントンの血漿についての記事が
あちこちからシェアされて来ています。
非常にセンセーショナルな文章です。
私はそこに疑問を抱きました。
カントンはパスツールの再来と呼ばれた人物です。
「病因をピンポイントで攻撃するパスツールの医学」に対して、
カントンは「生体の全体的な素質の復元を目指すもの」
パスツールとカントンでは
着目点と目指すものがそもそも違うのではないかと
私は思っています。
まず第一にカントンの血漿(カントン・プラウマ)は
ある条件の下で採取された海水を湧き水で薄めて
人の血漿と同じ濃度に調製したものです。
つまりアイソトニックであって、
単なる海水とは違うものです。
それがシェアされていくにつけ、
単なる海の「海水」なのだと
誤解を受ける状態で拡散されています。
しかし、それは仕方ないでしょう。
「ただの海水で、病気が治っては儲からない」 からである。
このようにはっきり書かれているのですから、
その文章だけ読んだ人ならば、
「一部の人びとが自分の利益や利権を守る為に
ただの海水で病気が治る事を隠したんだわ!」
と錯覚してしまうでしょう。
普通の海水は微生物の巣窟です。
煮沸したとしても、
蛋白質などの不純物が残っている可能性があります。
その場合血管に注入すれば
ショックを状態をひき起こす可能性があるそうです。
何より塩分濃度が血液とはまったく違います。
医学知識の無い私が考えてみても危険な行為だと思います。
そうすると蒸留して使うことになる?
でも、蒸留するための設備や機械が大変なので、
結局塩を直接調合したほうがマシになりますよね。
ここでもわざわざ海水を使う必要が感じられません。
第一、何よりここで話題になっている、
カントンその人も
湧き水で薄めて
人の血漿と同じ濃度に調製したもの
を使用しているわけですから、
ダイレクトに単なる「海水」を
使用してはいなかったのです。
そして私の拙い知識でもっと単純に言えば、
「海水を血液の濃度に薄めたもの」、
つまりは「生理食塩水」を作って
それを血液代わりに使っていたということなのではないかと。
それなら現代でも行っているものですよね。
ルネ・カントンは、
第13回国際医学会議において、
『経口投与』または
『希釈して筋肉注射することによる海水の投与』で、
医学上の原理を発表しました。
これが、カントンの血漿とよばれるものです。
現代でもこのカントンの血漿は製造販売されていますし、
またカントンの発見は何世代にもわたって
医療現場で用いられていきています。
先ほどの生理食塩水もそのひとつでしょう。
ここで私が注目したのは
カントンの血漿であってカントンの血液ではないということ。
血漿とは血液から赤血球,白血球,血小板の
有形成分を除いた液体成分です。
カントンは研究の結果、
血漿そして羊水などが海水と酷似している事を
突き止めて行ったのです。
現代の私達も生命の起源は海であったと
学校で習っています。
海水こそ、生命を生かす源である
血漿そして羊水などと海水との酷似は
カントンを興奮させたことでしょう。
「血液を海水に入れ替えられた犬は、活力が増した!」
「海水には生命力を活性化させる作用がある」
カントンはここから海洋療法の父と呼ばれる道へ
歩き始めます。
「多くの病気の原因は、
人体の内部環境のバランスの乱れにある」
「海水の注入によって、
損なわれたバランスを元の状態に復元する」
これらは現代的に言えば
海水に含まれる様々な微量ミネラルを取り込む事だったのでしょう。
経口アイソトニックの理屈は、
現代ではポカリスエット等アイソトニック飲料として
私達の生活の身近なところにも存在しています。
またカントンアイソトニックで検索すれば、
海水ミネラル飲料商品がたくさん出て来ます。
カントンの発見は、こうして、
今も私達の生活の中に生きているのです。
Wikipediaに記載が無いのは何故なのか、
それは今の私にはまだ分かりません。
また、この記事をシェアしている皆さんが、
カルトンが忘れられた人なのだと
本当に思っているのかもしれません。
その事については、
私は今は何も語るものを持ちません。
私がここで一番言いたいことは、
世の中には一見、善なる顔をしながら、
「意図的に感情的に反応させるように」書かれたものが
山ほど溢れているということです。
そしてまた。
そのような文章こそ、
もしかしたら何かの画策かもしれないのです。
このカルトンの記事がそうだと言っているわけではありませんが、
可能性が無いとも言えません。
もし善意で知らしめるというのであれば、
意図的に「ただの海水」と書く必要も無い気がしますから。
スピリチュアルに関心を持つ方は、
純真な方が多いように思われます。
しかし、純真であることと鵜呑みにする事は別ですし、
自分で考える事を放棄することは別の話だと思います。
特にこのように、
「一部の企業が儲かる為に云々」という表現に
私達は反応しがちです。
そこには、もしかしたら、
常に『損得に反応する心』が隠れているのかもしれません。
これをきっかけに、
自分の心を見つめてみるのも良いチャンスかもしれませんね。
また今の時期、海へいく人も多いでしょう。
決して好奇心で、
自分で海水を注入しようとしたりすることがないよう、
お気をつけください。