以前3回連載でお楽しみいただいた
保安堂レポはいかがでしたでしょうか?


日本と台湾が、
色々な形で深く結びついていることが
感じていただけたなら嬉しいと思います。



ハート☆ハヌルのスピリチュアルスポットシリーズ
台湾で神になった日本人と日本軍艦
『鳳山(紅毛港)保安堂海衆廟』


→その(1)はコチラ
→その(続)はコチラ
→最終回 はコチラ






最終回の最後の部分にも書きましたが、
この保安堂を訪ねた夜には、
少し、印象深い出来事がありました。




保安堂を尋ねたあの日は、
とてもとても暑い日でした。


廟から駅に着き地下鉄を待っていると、
急に耳鳴りがし始め頭が痛くなってきました。


これは熱中症になりかけているのかもしれないと、
そのままどこにも寄り道せず、
とりあえずエアコンのきいた部屋で一休みするつもりで
さっさと事務所へ戻りました。


ところが、帰り着いて
ふと横になった途端、
眠り込んでしまいました。
暑い中を出かけたことや、
保安堂で霊的な影響を受けたことで、
自分が思っていたよりもずっと
疲れていたのかもしれません。
(いい大人があんなにわんわん泣けば、
誰だって疲れることでしょう。恥ずかしいacha-*


そのままぐっすりと
なんと8時間近く眠ってしまいました。


目が覚めると何ともう夜中の1時を回っています。


(・・・お腹が空いたなぁ)


ベッドに倒れたまま
ぼんやりと窓の外を見つめながら、
出かけるのは億劫だし、シャワーだけ浴びて、
このまま朝まで寝てしまおうかと、
暫くもぞもぞしたものの。

(あ、お粥)

突然頭にお粥の画像が浮かび、
なんだか闇雲に食べたくなってしまいました。

(出かけるの面倒・・・・行きたくないなぁ・・)


お粥! お粥!


(だるい・・・動きたくないよ・・・)


お粥!お粥!


(あーもう!なんでお粥?!)


心の中で二人の私が延々葛藤を続けます。



その時の私には
こんな真夜中過ぎに体を引きずって、
外へと出かけるのは本当に億劫でした。


(よし。コンビニ飯にしよう!)


何故か強烈な『お粥の呼び声』と
行きたく無い気持ちの妥協案として、
仕方なしにコンビニへ行く事にしました。
お粥屋はマンションを出てから
7、8分ほど歩かなくてはならないけれど、
コンビニはエレベーター降りれば1分の距離。

(お粥がこんなに食べたい気がするのは、
きっと疲れて空腹で温かいものが食べたいんだろう。
ならコンビニのカレー弁当とか肉饅とか、
そんなんでもいいじゃない)


どこまでも面倒くさがりな私です。


こんなに激しく脳裏にお粥が浮かんでいるのに
自分の心の声なんか
てんで無視しようと決めたのででした。
(相変わらず反スピ的・・・shock*



文字通り激重の腰を無理矢理上げると、
コンビニへとやってきました。
ところが、どうにも食べたくありません。


いつもなら、疲れた時の私のレスキューご飯である、
レトルトカレー(ご飯セット)に手が伸びるのに、
なんだかその夜はピンと来ないのです。
このカレーは日本のハウス食品製なので、
ちゃんと日本の味がするご飯で、
これまで疲れきってしまった日には
その味に結構癒されていたのでした。

なのにその夜は、
どうしてもそれじゃない感が。


そうなんです。



お・か・ゆ


このお粥の呼び声の強さ・・。


(ああ どうしようもない)


自分の奥から響くその声に根負けし、
仕方なしにお粥屋に向かうことにしました。


残念なことに(?)
私の事務所は夜市に近く、
深夜2時でも3時でも
開いてるお店があるのです。

コンビニのドアを出て目をやれば、
向こうの方にはいつものように
路上に並んだ机を囲んだ人々の姿が見えました。


(さてさて、行くか)


溜め息をつきながら
足を進めようとすると。


突然に目の前の
地下駐車場の出口の黄色いランプが
急にくるくるまわり出しました。
出庫の合図です。
昼間はこの回転灯が回るとともに、
警備員さんが歩行者をストップさせていますが、
さすがに深夜なので詰め所の電気も消えていて
警備員さんもいませんでした。


誰も見ていないし行ってしまおうかと
一瞬思ったものの、
うっかり出て来たバイクに当てられても困るしと、
仕方なく足を止め、
ぽっかり空いた地下へと続くスロープを見つめ
出庫してくる車両を待っていました。


すると。

『♪♪♪♪♪~』


唐突に私のすぐ近くで音楽が鳴り出したのです。
いきなりの大音量に
私は口から心臓が出そうな程ビックリしました。

(ちょっと!この深夜に!
大音量はさすがにマズいでしょ!?)


いくら台湾だとはいえ。
さすがに深夜も1時をとうに回っています。

(こんな大音量で鳴らしては
安眠妨害で警察が来るんじゃないの?!)


音の出元は真っ暗な警備員さんの詰め所でした。
この詰め所は日本の駐車場によくあるような
警備員さんが出易いように壁の一面が無いタイプで、
私が歩く歩道との境に、
道路の明かりに照らされたラジカセがあるのが見えました。


(警備員さん居ないみたいなのに・・
 誰があれ止めるの?)


誰もいないのに、
大音響でなり始めたラジオ。


私はそれを不思議だと思わなかったのです。
きっと接触不良とか、
スイッチのボタンがきちんと切に入っていなくて、
振動や何かでうっかり電源が入ってしまったんだろうくらいに
思っていたのです。
または、タイマーが間違っているとか。
音が聞こえたほんの一瞬で、
こういうアレコレを思うのですから、
人間の頭って面白いですね・・・。


盛大に鳴っている音楽は
嫌でも耳に入って来ます。
それは何かの歌の前奏のようでした。


(・・・あれ?)


聞こえて来るその曲調が
私にはなんだか
”懐かしのメロディ”っぽい曲に聞こえました。
台湾でタクシーに乗ると、
日本の演歌に良く似た中国語の曲が流れている事があります。
これもそういう曲なのかなと思ったのですが。


(これ・・聞いた事がある・・)


それは台湾で知った曲ではありませんでした。
日本で聞いた曲でした。


(なんだろう?これ知ってる曲だよ?)



次の瞬間、その歌詞が耳に入ると、
私は雷に打たれたような気持ちになったのです。


『若い血潮の予科練の』



それはさすがの私でも知っている
日本の軍歌でした。







若い血潮の 予科練の
七つボタンは 桜に錨.
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でかい希望の 雲が湧く.



私がまともに知っている軍歌は
同期の桜くらいです。
あとは、この、
『若い血潮の 予科練の 』というところ。
それ以上のメロディも歌詞も知りませんでしたが、
それでもこれが軍歌だという事は知っていました。


この日の昼間私が保安堂に行ったのは、


『ボンヤリ眺めていると、
その日の港にはいつもは見た事の無い、
まるで宇宙戦艦ヤマトを思い起こさせるような、
大きな船が入港しているのが見えました。


すると唐突に、
(今から”保安堂”へ行ってみよう)
と思いつきました。

現在、高雄市の鳳山にある保安堂は、
なんと台湾人の方が、
70年前の世界大戦で亡くなった日本兵を神として
御祀りくださっている廟であり、
なおかつ、台湾で唯一、
日本の海軍船を神の船として祀っている廟です。


→記事その(1)より



そう。
港を見て何故か戦艦ヤマトを思い、
ふと海軍船を祀って下さっている所を
探し尋ねて行ったのです。

その2日前には、
やはり同じように、
急に思い立ち、まともな情報も持たないままに、
旧日本人街を探しに西子灣へ行きました。
そこで70年前の日本人達の足跡に触れ。

さらにはその2週間前、
高雄港の周遊船に乗って居る時、
目の前に現れた台湾海軍船と、
その船の上にいる海軍兵の姿を見た瞬間、
なんの脈絡もなく突然
かつての日本海軍と
その兵士達がオーバーラップしたかと思うと、
胸がぎゅうっと切なくなり、
ボロボロと涙が溢れてたまりませんでした。
悲しい筈が無いのです。
その時私は美しい空と海を楽しんでいただけなのに、
日本の兵隊さん達の事で頭が一杯になってしまったのです。


そもそも、
それまで台北から高鉄で高雄に来ていた私が、
初めて飛行機で高雄へ来て、
高雄の海を目にしたあの時も、
突然そこにいた筈の
かつての日本海軍の姿が浮かび、
泣きそうになっていました。


私は別にミリヲタでもありませんし、
普段はかつての日本軍の事など
特別考えているわけではありません。
ですから自分でも不思議でした。

もちろん、霊的な何か、と、
そう考える事はできました。
でも「呼ばれた」とかという言葉では、
考えたくはありませんでした。
簡単にそういう言葉を使うのは、
既にこの世にいない人びとに対して
何かあまりに失礼だと感じていたのです。
そう、私の中の抵抗でした。


けれど。
深夜1時すぎの高雄で。

『若い血潮の 予科練の 』


さすがに、
思わず空を見上げました。


どんなに違うと思ってみても。
たいした事は何も出来ない私でも。

それでも私が高雄に来たのには
きっと意味があったのです。


「お役目」だの「呼ばれた」だのという言葉を使って、
特別な感じを楽しむような気持ち悪さから
極力遠ざかっていたいと私がどれだけ強く抵抗しても、
所詮はそれもエゴでしかないのだと
思い知らされた瞬間でもありました。


日にちが経った今、こうやって書いていると、
何て事が無いことを
大袈裟に考えて書いているような気にもなりますが、
あの夜、軍歌を聞きながら空を見上げて、
こう思った事を覚えています。

(きっと私は後日この経験も、
できるだけ矮小化して考えようとするだろう。
理由はわからないけれども全てはただの偶然だと
そう考えようとするだろう。
けれど、今知った事を忘れてはいけない。
私は私に起こっている事を否定できるほど、
立派な人間ではないのだ。
私はミエナイ世界の末端にいるだけの人間なのだ。
それをいつも思い出さなければいけないのだ。)


これは更にこの話の後日談なのですが、
この夜の話を某社のTさんにお話したところ、
『その歌は海軍の軍歌ですよ』と。
Tさんにお聞きするまで、
私はこの歌が海軍の歌だとはまったく知りませんでした。



まもなくお盆と
終戦記念日がやって来るということで、
皆さんも忘れられた日本の人びとが居る事に
思いを馳せてくださったら嬉しいなと思います。

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