私の小さな旅の続きです。
→前回の記事はコチラ


上の画像は、2013年12月29日に行われた
保安堂の新堂への安座の様子です。
沢山の人達に軍艦が運ばれていて、
なんとなく、日本の御祭りを思い出しました。

一方、こちらは安座大典に参加する
高雄市長(真ん中の緑の服の女性)の画像です。


※画像は高雄市政府公式HPより



というわけで続きです。




案の定というか、たまたまなのか、
草衙駅の駅員さん達は、
英語が出来ませんでした。
そこで、パンフを見せ、
出口を聞くと3番とのことで。


暑い構内を抜け階段を昇り
3番出口を出ると。

目の前の木陰には涼んでいるタクシー!NYイエローキャブ


声をかけると、
やはり英語が通じないので、
すかさず書いておいた紙を見せました。
おかげで結局、事務所を出てから、
ほんの30分ちょっとで到着。

(あれ?なんだか随分あっさり着いちゃったぞ? nani?*



普段見慣れているような、
高層ビルなど全く無い、
畑や草地が目立つような・・・。
その合間に、
2、3階立ての民家がぽつんぽつんと立っているけれど、
ちょっと見渡せば
建物の数に比較して随分と廟の数が多いところです。
それも小さい廟ではなく、
民家より大きいような廟があちこちに見えるのです。


廟の多さに、一瞬、
もしや他の廟が保安堂だったりして・・・と
思ったものの、廟の名前をみると、
確かに保安堂と書いてあります。







入り口に居た老爺達に会釈をして
お堂の中に一歩入った途端、
私は自分がわなわなとし始めた事を感じました。


(あれ・・・?)


突然手足がぶるぶると震え、
うまく歩くことができません。


(どうしたんだろう・・?)


その上、あろうことか、
なんの脈絡もなく、
目の奥から涙が沸き上がってきたのです。


別に目にゴミが入ったわけでもないし、
ただお堂の中に入っただけ。

(やだ・・・・困った・・・)

この体の震えは、
感極まって
いままさに泣き出さんとする時の
あの震えだと気づいた私は焦り、
困惑しました。


こんな仕事をしているので、
堂々とした人間だと勘違いされがちですが、
とても気が小さく、
人の目につく事が苦手です。
(ASCも月も天秤です 苦笑)
まして人の目のあるところで、
泣くなんて。


廟守さんは私が日本人だとわかると、
こっちへおいでと左の方から手招きをして
私を呼んでいます。


そして。

それが目に入った瞬間。



私の目からもはや止めようのない
大粒の涙が溢れ出したのです。






決して悲しいわけではないのです。
激しく感情が
揺さぶられているわけではないのです。

「私」は困っている私の意志を無視をして、
タオルを顔に押し当てて、
ひたすらにオイオイと泣き続けていました。


私の口は勝手に動き、
船の上に乗せられた人形達に向かって

「ご苦労様でした、ご苦労様でした、
さ一緒に帰りましょう」

と語りかけるのです。 


(ああ、いま私
いったいどんな目で見られているのかしら・・・
酷く感情的な女だと思われてるんじゃないかしら・・
恥ずかしい!!ああ!ほんと勘弁してください!)


恥ずかしくて恥ずかしくて堪らないのに、
「私」は泣いて語りかけることをやめません。


これが「霊的な」ことだと、
さすがの私もその時わかっていましたが、
それはそれ、これはこれで。
ハタからみたら
『日本人のおばちゃんが号泣してる図』・・なわけです。
そう思うと・・・ほんとに・・・・・。ガーン!!
かといって、
私に乗ってやってきた
「その方がた」の強い感情も、
私にはよく理解できる気がして、
今はただ「その方々」が落ち着く瞬間を
待つしかないなぁ・・と思うものの、
自意識過剰な私は恥ずかしさで
憤死しそうな気持ちでした。

そんなにも恥ずかしくてもそれでも
ここに来たことには意味がある、
涙が溢れ始めた時から
私は理解していました。


そう私は自分自身が
ミエナイカタを乗せる「船」になっているのだと
このとき気づいたのです。

この時FBに
私はこう書き残しています。

先日ホテルから海を見た時のことや、
一昨日海軍の船を見た時のことを思い出し、
今日の為に私はここへきたんだなと思ったのでした。
(FBより)



2月に高雄に来たとき、
ホテルから見える海が目に入った瞬間
私はなんともいえない切なさを感じるとともに
急に涙がこみ上げそうになりました。
それはなんの脈絡もなく。

そしてやたらと日本海軍にいた
私の祖父のことが頭に浮かびました。

そしてこの廟に来る3日前、
私は高雄港のクルーズ船で
台湾海軍の基地のすぐそばを通り、
軍艦や海軍兵達を間近で見た瞬間、
またも突然唐突に、
涙がこみ上げてきたのでした。


私は確かに祖父の事は好きでしたが、
既に思い出の中の人になっていて、
亡くなったことへの悲しみも
月日がとっくに解放してくれています。
亡くなった時まだ小学生だった為か、
祖父のことを思い出して悲しみにくれるなんてことは、
実際さほどなかったのです。
ですから自分がなぜ今祖父を思い出したり、
海軍を見て涙ぐんでいるのか、
まったく訳が分かりませんでした。
ただ、キーワードが海軍であるということは
はっきりわかっていましたが。

そして偶然代天宮を目指して旧日本人街を歩き、
この日、保安堂へやってきたのです。

この時私はまだ高雄では殆ど廟にいったことがなく
(旗津の天后廟と代店宮と
事務所の側の廟だけでした)
他にも観光地は近くに沢山あるのにも関わらず、
お昼ご飯も食べないままに、
何故か鳳山までやってきたのでした。


それらの全ては
ひとつひとつは別に意味の無いことであり、
ただの偶然かもしれません。
そこに意味をみつけたいと、
私が勝手に思っただけかもしれません。
それでも、
つけまつげが取れてしまう程泣き続け、
語りかけている「その方々」が、
私をここへ連れてきたのだという考えは
やはり打ち消せないのでした。



その3へ続く



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