民間信仰の中では、
元々人間だった方が
神として信仰されるということが
ままあるものです。

こちら高雄代天宮は、
天の代理として邪を祓い、
人間界を見回る
という
元人間である千歳という神々が
祀られている廟です。

元人間が神様になるというのは、
アジアではよく聞くお話で、
例えば日本でいえば、
よく知られている方といえば、
菅原道真公が上げられます。

道真公は讒訴され、大宰府へ左遷された後、
都へ戻れぬまま亡くなりましたが、
その死後天変地異が多発したことから、
朝廷に祟りをなしたとされ、
天満天神として祀られるようになり、
今では学問の神様として、
受験する人々にお願いされる存在になりました。


中国で有名な方といえば、
三国志に出て来る関羽です。
劉備玄徳に仕えた事で知られる彼は、
後世の人々によって神格化され、
関帝(関聖帝君・関帝聖君)という名の神になりました。
現在では商売の神として世界中の中華街で祭られており、
日本でも横浜中華街や神戸南京町に関帝廟があります。
(台湾では受験の神様としても有名です)


そして台湾には、
ここ高雄代天宮の神々のように
人間が神格化されて信仰を集めている
千歳信仰というものがあります。


千歳信仰は一般的には王爺信仰と言われ、
台湾の中部や南部で盛んな信仰のひとつ。
その盛んな様子を俗に、
『南王爺、中媽祖(台南は王爺、台中は媽祖)』や、
『三月瘋媽祖、四月王爺生
(三月は媽祖に狂い、四月は王爺が生れる)』

言ったりするのだとか。
(以前の記事で書いていますが
女神である媽祖も元々は人間の娘でした。)


王爺(千歳)という名前は一種の爵位で、
本来は王室を構成する男性を指すのだそうですが、
ここで言う王爺(千歳)は天の帝に次ぐ位を指しています。

伝統的信仰の中では特に尊敬の意味を込めて、
「王爺神」または「千歲」と呼ぶのだそうです。
別称として「千歲爺」、
「王公」或は「大人」と言う事も。

王爺(千歳)は、
天帝に代わり世の中を治め、
人々の為に疫病や邪悪なものを
取り除いてくれる存在であると考えられています。







本宮に祀られているのは「五府千歳」で、
「五府千歳」とは「五位王爺神」、
日本語で言えば五柱の王爺神となるでしょうか。
主神は池府千歲で、
李王 吳王 朱王 范王と、
清水祖師がいらっしゃいます。

この神々は人間時代の名前を、それぞれ
池夢彪、李大亮、吳孝寬、朱叔裕、范承業
と言いました。
彼らが生きていたのは西暦600年前後のこと。
暴君で有名な隋の煬帝を倒し、
唐を立てた功労者として中国では有名です。

このように王爺(千歳)達は、
実際の人間が生きていた間の功績から
死後玉皇大帝により神の一員とされ、
更には「代天巡狩」という使命を与えられて
人間の世界へ使わされたという神々なのです。

「代天巡狩」とは、
『天帝巡察を代理で行う』ことで、
天に代わり与えられた区域の災厄や
疫病を祓い、
善悪や聖邪を見回っています。

そしてこの廟は『天の代理』の方々の廟なので、
「代天宮」という名称で呼ばれるというわけです。
つまり天の派出所みたいなものですね。


ここで私は拝拝(お参り)をした後、
廟守の方にお願いをして
『擲筶』をやっていただきました。
これは一般的に日本では
台湾のおみくじとして知られていますが、
私の認識では『擲筶』というものは
日本の御籤と違って、
かなり具体的に神意を伺うものです。
(このあたりまさに道教!ですね)
よく紹介されているのは、
紙に書いてあるものをいただくものですが、
私が今回やっていただいたのは、
筊杯だけで神意を伺うやり方です。
擲筶についてはいづれ
もう少し詳しい記事にしたいと思いますが
長くなるのでここでは割愛します。

まず神様にご挨拶。
筊杯を三回線香の煙の中で浄めました。

(神様 私は台湾にやってきました。
そしてここで事務所を開き
新しく仕事をはじめようとしています。
私は今、神様にお使いいただく者として、
ふさわしいでしょうか。
今私がしようとしていることは、
神さまの意志に添っていますでしょうか。)


廟守の方が台湾語で
私の氏名と住所と質問を
神様へと伝えてくださいます。

「筊杯を投げなさい」

一陽一陰が続けて三回。
結果は・・『聖杯』です。


「神様はあなたの問いにOKといいました」


有難い・・・心のそこから
そう思いました。

この筊杯は紙の御籤をいただく前にも行いますが、
例え1時間投げても、神意に添わない時には
決して一陽一陰とならないとも
言われているそうです。





この高雄代天宮は、
歴史的建造物としても重要視されており、
高雄市の歴史文化資産として登録されています。
現在の高雄市は、内陸部に中心を移していますが、
戦前戦中を通じて中心地だったのは、
この高雄代天宮を含む湾岸エリアでした。
そして日本統治時代には代天宮は、
高雄市役所でした。


這裡應該可以說是高雄第一個市政府的所在地,
在1917年,打狗支廳由哨船頭遷至哈瑪星。
1920年,打狗改名為高雄並設立郡所,
郡役所即設於哈瑪星。
1924年,高雄設市役所並遷至今鼓波街代天宮現址。
但是現在也看不見當時的面貌了,
現在的高雄市政府則已經不在鼓山區,而轉移至苓雅區的四維路上了。





上の地図の辺りには、
当時、華やかな日本人街がありました。
この地図上に描かれている建物は、
どれも現存している日本統治時代の日式の建物で、
現在もそれぞれ実際に使われているものばかりです。
ここに記されている以外にも、
多くの当時の建物が残っており、
現在それらを文化財や観光資源として
保存しようという動きが高まっているようです。
(高雄市は既に
かつての日本人街を巡る
観光バスを走らせています)


光復(日本敗戦によって解放された事)後、
日本人たちはいなくなり、
役所も移動し空き家となっていた建物は、
代天宮という信仰の場所へと変化し、
台湾の人々の心のよりどころとして
今も大切にされているのでした。


実は、ぽこんと空いた時間に、
ふと思いついて探して訪ねたこの廟の場所が、
旧日本人街だったとは、
その時の私にはまったく知る由もありませんでした。
帰国後ふと目に留まったHPを見て気がつき、
あれこれ情報を調べていきました。
そして、私が歩いていたあの道を、
70年前に日本人達が歩き、
笑い、泣き、夢をみて暮らしたのだと知りました。


私を南部高雄に呼び寄せたのは、
実は古き日本の風だったのかもしれません。


かつて日本人達が暮らしていた街、
そして今は、
天の代理の神様達がおいでになるところ。


歴史を体感できる、
スピリチュアルなスポットです。





 



<DATA>
高雄代天宮(哈瑪星代天宮)

住所:高雄市鼓山區鼓波街27號
交通:MRT西子湾駅1番(哈瑪星)出口より
   徒歩6分

※MRT三多商圏站からタクシーで約150元前後

入場料: 無料/ 拝拝の際の線香は一包み分。





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