長い間、セッションをやってきました。

霊視カウンセリングという言葉も知らず、
自分がしているのがそれだと言う事も気づかないまま、
無料で皆さんのご相談にのらせて頂いていた日々。
そして、有料でお話をさせていただくようになり、
プロとして活動を続けてきた日々。

こうして月日を重ねて行くうちに、
私なりに少しづつ変化をしてきたように思います。
それとともにセッションに対する考え方や、
また向かい方なども変化をしていきました。


私自身はこの変化を『成長』と思いたいところもありますが、
単に『変化』をしただけかもしれませんし、
または『変質』したと言う方があっているのかもしれませんね。


私が自分のセッションに対する姿勢を自ら振り返りったとき、
一番分かりやすく変化したのは、
自分の立ち位置かもしれません。


かつて、私は、
ヒーリングや浄化を行い、ご相談にのりながら、
自分が何者であるのかが掴めずにいました。


霊視セッションを行えば行う程、
私がしているのはあくまでも、
其の方の『気づき』の為のお手伝いを
させていただいているだけという、
自分の考えについて、
やはりそうなのだと思えてなりませんでした。


『人は自らによって癒される』
『人は自らによってのみ解放される』という事、
それは私が仕事をする上で大切にしていることなのです。
(少なくとも、最初の扉を開くのは、
ご自身の意識にかかっている部分があります。)



ところが、
ミエナイセカイと関わる者には何故か、
「救う使命」だのなんだのという言葉がついてまわり、
私のことを”救い人”と見なしたり、
救われたいと求めて来られる方がいらっしゃるという現実に
「自らを救うのは自分である」という前提は、
まるで机上の空論のように空回りしているように感じていました。



勿論、この世界にはエネルギーがあり、
それらが干渉しあって動いて色々を生み出していること、
魂や神仏や様々な霊やエネルギー体など、
私がミエナイセカイとひとまとめに括っている色々な事が
私達に関与している事は分かっていますが、
どれだけ天が御使いが力を貸してくれようとも、
それを如何に受け取り扱えるのかは
「本人の目の開き加減」にかかっているのです。
※注:目の開き加減については、
「観える事と幸せの距離」という記事を書いています



そういった意味においても、
「自らを救うものは自分である」
ということは、
目を閉じさせている
意識の囚われから抜け出し、
思い込みの檻から抜け出すのは
自分自身によって行うのだという事は
非常に大切だと思っていたわけです。
(運を開きたい方にとっては、
開運の第一法則のようなものと言ってもいいかもしれません)


しかしその当時、私の気持ちとは別にして、
セッションをさせていただけば、
まず殆どの方が

「お話出来て良かった」
「スッキリしました」
「明るく前向きになれました」
「ぜひまたお目にかかりたい」

と、喜んでくださっていました。


10人セッションさせていただけば、
まず10人全員が子供のように涙を流される状態であり、
私は毎回ボックスティッシュを二箱用意しては
セッションに出かける程でした。



有難い事にいつも予約は満員であり、
どの方も喜んでセッションの時間を終えてくださる、
これを仕事として考えれば、
悩む必要はなかったかもしれません。
私もこれが他の業種なら喜んでいたかもしれません。
しかし、私はどんどん苦悩していきました。



例えば、汗をかくこと、排便をすること、
人は体から何かを排出し弛緩する事に
快感を覚える生き物です。

特に泣くという行為には
感情の排出という意味がある事が多く、
カタルシス効果がある事が良く知られています。
そしてこのカタルシス効果を生み出しているのは、
脳内麻薬用物質と言われる「β-エンドルフィン」です。

私達が泣きそうになった時、
なんだか急に
頭がもわんとした感じがする事がありませんか?
人によっては具体的に頭が膨らんだような
圧迫されたような感じがする人が居るかもしれません。

本来私達の自律神経は、
私達が泣かないように体を制御しています。
しかし私達が泣きそうになると、
自律神経は失調をきたすので、
それにより交感神経は興奮しはじめ、
脳に血液が溜まり始めます。
(それで頭がもわんとしたり、
膨らんだ感じがするわけです)

体に力を込め、呼吸は乱れ、
興奮した肉体は一気にモードを切り替えていきますが、
しかし脳に血液を溜め続けていると、
血管が破裂したりして脳細胞が死滅してしまいます。
それを防ぐため、
副交感神経の鎮静作用で溜まった血液を外に追い出そうとします。
この時働くのが、
脳内麻薬用物質と言われる「β-エンドルフィン」です。
β-エンドルフィンはモルヒネの6.5倍の効果という
強い鎮痛作用を持っています。
内在性鎮痛系にかかわり、
また多幸感をもたらすといわれ、
その多幸感が気持ち良さを作り出し
興奮を抑え、自律神経を復調させていきます。
マラソンなどで長時間走り続けると気分が高揚してくる
いわゆる「ランナーズハイ」や
性的快感をもたらすのも
このβ-エンドルフィンだと言われています。

また、β-エンドルフィンは、
パチンコなどのギャンブル依存や、
リストカットなど様々な自傷行為でも分泌されるため、
β-エンドルフィンの作用である『心地良さ』を求めて、
自分を傷つける行為を繰り返す場合があります。
それが所謂、『依存症』です。


もちろんβ-エンドルフィンそのものは人体に必要なものであり、
その作用も人間の様々な所に関わっていますから、
まったく悪いものではありません。


しかし、この涙を流す事がもたらす気持ち良さは、
私はある種危険だと思っています。

つまり、泣くとスッキリしたり楽になったりするのは、
このβ-エンドルフィンの働きによる『気持ち良さ』であり、
実際に問題が解決したり、気づきが得られなくても、
脳はβ-エンドルフィンのもたらす多幸感に酔いしれ、
その場は心が『楽』になってしまうのです。

そしてその状態は、
脳が酔って居る状態ともいえるので、
理性的に考える事はあまりできないかもしれません。
そのかわり、
この『解放感』を与えてくれたセッションについては
それなりの満足を得た気分になるのでしょう。

私は、随分早くからその事に対して危機感を感じてきました。
そのために、
皆さんがどれだけ喜んでくださっても、
そのセッションが涙の快楽によって洗われてしまい、
表面的な話で終わってしまう事に対して
苦悩を感じていたのです。
お伝えする必要があるのは、
その涙の向こう側にあったのですから。



ひとりひとり気づきの時には
タイミングがあります。
それが私のセッションで起きる必要は無いでしょう。
そして「心地よさ」や「気持ちよさ」が
癒やしのひとつの形であることも嘘ではありません。
しかし、私は、
自分のセッションが表面的なものであったり、
単なる快楽を生み出すものである必要は無いと思っていました。



こういった依存症は、
自分では依存だと気づく事は中々出来ません。
セッションを行う事=気持ちよくなるという条件付けがなされていき、
何も解決しなくても、何ら気づきを得る事に繋がらなくても、
『その場の気持ち良さ』の為にセッションを受けたくなるのです。
ここに『スピリチュアル依存症』の、
ひとつの発症パターンを見る事ができると思いませんか?
ブログでは書いた事がなかったかもしれませんが、
いわゆる私がいつもつぶやいている、
『スピリチュアル趣味の快楽依存』の、
ひとつの形ではないかと思います。
※この後から、
スピリチュアル依存症について、
記事を幾つか書くようになりました。


それが私が自分のセッションの在り方に、
苦悩する理由だったのです。


今、私のセッションでは
皆さんを泣かせないセッションというものを
あえて毎回努力をして行っています。
何故なら。
私は「快楽を与える人」ではないからです。

私がお伝えする事のできる「情報」を、
できるだけ持ち帰っていただきたい、
目先の『簡易な気持ち良さ』ではなく、
その人ひとりひとりの、
『魂の喜び・気づきの瞬間』のために、
その人自身の「気付きのチカラ」を活かしていただく為に、
私は今日もセッションを行いたいと思っています。


当然のことではありますが、
セッションで泣くという事全てが、
このような浅い快感と繋がっているという事ではありません。
中には、様々な気づきに繋がる解放や、
本来の意味での浄化につながる、
デトックスとしての涙の場合も勿論あるでしょう。
その場合は、どんどん泣いて、
おもいっきりカタルシスを味わってしまいましょう。




私は誰も救いません。
癒す事もできません。


あなたを癒すのはあなたです。


そして。
そんなあなたをミエナイセカイは、
何も言わずに見つめ
応援していますにこっ



線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)

*セッション・講座などお問い合わせお申し込みはコチラから*


線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)


携帯の方はコチラをお願いしますラブラブ右矢印にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ 読者登録してね