霊視リーディングというのは
とても便利な言葉だなぁと思う。



何故なら、
この言葉は霊的な視力とともにサイキックな視力を使うものも
全部ひとまとめに表現しているような気がするからだ。

 



ところで よくいただく質問のひとつに



霊視リーディングをしている時は
どんなふうに見えるんですか?




というものがある。


これがまた 説明がとても難しい。





何故なら私が「それ」を行う時
情報は五感の全てによってもたらされるからだ。

映像 音声を含む音 味 触感 香り 
温度感覚 重量感覚 等々・・
こういったものが
複合的に組み合わさって私を包み込むのである。






その中で一番説明しやすいのは映像による情報だろうか。


私は 霊視をするとき
たいていの場合まぶたを閉じて行う。
(目を開けたままのときもある)





意識的に霊視をするときは
まぶたを閉じた方が視覚による余計な情報が入らないので
観やすいから自然と閉じるのだと思う。
しかし 目を開けていても霊視は行える。
その場合は目の前のものは見ていないことが多い。
目は開いていて見えているのだろうけれど
ただ眼球に写っているだけで
私の視点は違うものを見ているからだ。





まぶたを閉じると ものの10秒もたたぬうちに
目の前に映像が現れる。
それは 主に私の額の前にあるスクリーンのようなものに映し出されている。
私の場合普段意識は後頭部に近いところにあるのだが
それが霊視の時は中心から額に近い所へと
意識が移動しているのが特徴かもしれない。





その観え方もさまざまなパターンがあるが

・動画のように観える場合
・紙芝居のように幾つかの情報の断片がスライドして観える場合
・高い所や全体像から重要なポイントへとズームインして観える場合

だいたいこんな感じのことが多い。
これはまぶたが開いていても同じような感じになる。




神仏を拝見する場合はこれとは全く別の観え方で
先ほどのスクリーンなどではなく
360度の方向がすべて観える状態になっている。






そして 霊視リーディングを行う時に一番重要な点がひとつ。






それは 体の力を抜くことだ。
たいてい 始めるときに
私は大きく息を吐き出して体の力を無意識に抜いている。




もうひとつ重要な事は
精神がナチュラルでフラットな状態にすること。
霊視をするときに興奮や緊張はまったく必要ではない。





限りなくナチュラルな状態の中で
全体を把握するような集中力をもつこと
それがすべてだ。





そして霊視をしている時は
息をするのを忘れていることもある。
ふと我に返ると息をしていない自分に気が付くのだ。
(勿論いつもそうなわけではないが)
これは昨日の記事に書いたコンチェッタも同じような事を書いていた。





私の場合 霊視をするというのは
「限りない弛緩が生み出す集中」によって行われる。






そしてそれは 
車の中だろうがマクドだろうが
どこであっても場所を選ばずに行えるものなのだ。






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