現在 スピリチュアルが百花繚乱している時代において
私は旧態依然とした
シャーマン という 名称を自分に冠している
シャーマンはツングース語「šaman, シャマン」に由来し[1]、
トランス状態に入って霊(超自然的存在)と
交信する現象を起こすとされる wikiより
確かにこの言葉は端的に
シャーマンという者を規定してくれている
しかし だからこそ
想像の余地がありすぎて
かえってよくわからないような気にもなる
シャーマン
それは いったい どういう人たちなのだろうか?
シャーマンを 大きく二つに分別するとき
次の二つのタイプへと分かつことが出来る
それは世襲巫と 降神巫である
世襲巫とは 元来霊能力等関係なかった者が
シャーマンの家に嫁ぐなどの結果
家業としてシャーマニックな技量を身に付けて
シャーマンとなるものである
これらの家は代々シャーマンとして存在し
伝統的に各家庭の歴代の人生儀礼等に深く関わっている
また招命をされてなるわけではないので
世襲とはいえ 他の職業に就業することも可能であるため
現在は世界的に非常に少なくなっている
韓国においては
現在もまだこの世襲巫の家が残っており
代々司祭を司る家の息子に嫁いだ女性が巫となることになる
息子は父親から司祭に関わる技術を学び
妻は神仏を依代となる呪物に降ろす技術を姑から学ぶ
そして 司祭となった息子は
主に伴奏等を行い 妻は踊りによって
神を召喚し霊を慰撫するという
ただし 世襲巫である妻自身に
神霊が降りるということは無いそうだ
また 現代においても過去においても
降神巫と比べて社会的地位が高いといわれている
それは日本の沖縄のノロのシステムが
かつて国の制度として存在し
また王府によって任命されたという点などからも
その理由の一端を感じる部分はあるだろう
また これを広く世界に目を転じてみたとき
世襲巫というものは いわゆる巫病がないままにシャーマンへと化し
師匠と弟子による継承という形で
広く行われてきた形式だということが見えてくる
(巫病とは神病であり 簡単に言えば
神によって与えられる病であり次回詳細を書きたいと思う)
このことから見えてくるのは
人は霊的能力が無くとも
シャーマンに成ることができるということだ
そしてそれは
技能技術によってなされるものであるということなのである
それは 例えば
事例を挙げてみれば
イタコがあげられるのではないだろうか
イタコとは 盲目もしくは弱視である女性が
糊口をしのぐ為の職業として
イタコという職業を選択し
弟子入りをしたのち神憑けを行い
イタコになるというものである
この弟子になる条件として
霊能力の云々は問われることはない
もちろん この神憑けをして
神がつかない場合は
イタコにはなれず返されてしまうのだが
おそらくこれは 源流をたどれば
何がしか世襲巫と似たような
霊的能力と無関係な制度が崩れたものかもしれないと
私は妄想したくなるのだが
それを論じるには学術的知識が足りなすぎるので
ここでは 論じることができない
しかも これは
神が憑く憑かないという部分において
修行によって霊的能力を開花できたかそうでないかが
焦点になっている
つまり成巫条件で分けたところの
修行型というものなので
もちろん世襲巫と同列に並べるわけにはいかないのだ
ただし 私が あえてここに例としてあげたのは
イタコも 世襲巫も
はじめは なんら霊的能力や霊的接触の自覚
神病の自覚もなく
技術(もしくは修行)によって
シャーマンに成るという点なのである
つまり 人は長い歴史の中で
ミエナイ世界と
技術によって誰でもが交信ができるという技を
編み出しているということなのだ
(2)へ続く

これは 話が長くなるぞ!と
そう思ったアナタ
多分・・・正解です
今のうちにおやつを用意!なクリックを☆
えーと・・・
何が言いたいのか・・・
わかっていただけますでしょうか・・・
あうーん 涙

私は旧態依然とした
シャーマン という 名称を自分に冠している
シャーマンはツングース語「šaman, シャマン」に由来し[1]、
トランス状態に入って霊(超自然的存在)と
交信する現象を起こすとされる wikiより
確かにこの言葉は端的に
シャーマンという者を規定してくれている
しかし だからこそ
想像の余地がありすぎて
かえってよくわからないような気にもなる
シャーマン
それは いったい どういう人たちなのだろうか?
シャーマンを 大きく二つに分別するとき
次の二つのタイプへと分かつことが出来る
それは世襲巫と 降神巫である
世襲巫とは 元来霊能力等関係なかった者が
シャーマンの家に嫁ぐなどの結果
家業としてシャーマニックな技量を身に付けて
シャーマンとなるものである
これらの家は代々シャーマンとして存在し
伝統的に各家庭の歴代の人生儀礼等に深く関わっている
また招命をされてなるわけではないので
世襲とはいえ 他の職業に就業することも可能であるため
現在は世界的に非常に少なくなっている
韓国においては
現在もまだこの世襲巫の家が残っており
代々司祭を司る家の息子に嫁いだ女性が巫となることになる
息子は父親から司祭に関わる技術を学び
妻は神仏を依代となる呪物に降ろす技術を姑から学ぶ
そして 司祭となった息子は
主に伴奏等を行い 妻は踊りによって
神を召喚し霊を慰撫するという
ただし 世襲巫である妻自身に
神霊が降りるということは無いそうだ
また 現代においても過去においても
降神巫と比べて社会的地位が高いといわれている
それは日本の沖縄のノロのシステムが
かつて国の制度として存在し
また王府によって任命されたという点などからも
その理由の一端を感じる部分はあるだろう
また これを広く世界に目を転じてみたとき
世襲巫というものは いわゆる巫病がないままにシャーマンへと化し
師匠と弟子による継承という形で
広く行われてきた形式だということが見えてくる
(巫病とは神病であり 簡単に言えば
神によって与えられる病であり次回詳細を書きたいと思う)
このことから見えてくるのは
人は霊的能力が無くとも
シャーマンに成ることができるということだ
そしてそれは
技能技術によってなされるものであるということなのである
それは 例えば
事例を挙げてみれば
イタコがあげられるのではないだろうか
イタコとは 盲目もしくは弱視である女性が
糊口をしのぐ為の職業として
イタコという職業を選択し
弟子入りをしたのち神憑けを行い
イタコになるというものである
この弟子になる条件として
霊能力の云々は問われることはない
もちろん この神憑けをして
神がつかない場合は
イタコにはなれず返されてしまうのだが
おそらくこれは 源流をたどれば
何がしか世襲巫と似たような
霊的能力と無関係な制度が崩れたものかもしれないと
私は妄想したくなるのだが
それを論じるには学術的知識が足りなすぎるので
ここでは 論じることができない
しかも これは
神が憑く憑かないという部分において
修行によって霊的能力を開花できたかそうでないかが
焦点になっている
つまり成巫条件で分けたところの
修行型というものなので
もちろん世襲巫と同列に並べるわけにはいかないのだ
ただし 私が あえてここに例としてあげたのは
イタコも 世襲巫も
はじめは なんら霊的能力や霊的接触の自覚
神病の自覚もなく
技術(もしくは修行)によって
シャーマンに成るという点なのである
つまり 人は長い歴史の中で
ミエナイ世界と
技術によって誰でもが交信ができるという技を
編み出しているということなのだ
(2)へ続く

これは 話が長くなるぞ!と
そう思ったアナタ
多分・・・正解です
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えーと・・・
何が言いたいのか・・・
わかっていただけますでしょうか・・・
あうーん 涙
