昨日 一昨日と 実家に顔を出して来た
私と実家は同じ町内なので
いつでも行けるのだけど
母が病に倒れるまでは
基本的にお互いこれといって
普段の行き来はなかった
もっとはっきり言えば
かなり絶縁に近かったと思う
一昨日訪ねた理由は
「お盆の入り」だからである
私の在所(実家のことをこのあたりではそう呼ぶ)では
お盆は旧でするのが慣わしで
世間が8月にお盆だお盆だと言っていても
何故だかいまだにピンと来ない
子供のころの生活というのは
いつまでも残るのだな と
変なところで納得してみる
私は本家の娘だったので
お客様を迎え入れるほうで
他所のお盆を覗いたことは無い
在所は元々は禅宗だったのだが
何代か前に檀家になっていた寺が家事で全焼してしまい
その際に集落丸ごとで日蓮宗の寺へと移籍(?)した
焼けた寺は在所の斜め前にその跡地があって
その敷地を見ると結構大きかったんだろうと思う
その横を下っていく坂道が「寺坂」という名前だと
私より若い世代はもう知らないようだ
日蓮になったのは何故だかよくは分からない
近くに同じ禅宗の寺と尼寺があるのに
かなり離れた通称赤門寺になったのは
単純にそこが昔この土地を治めていた旗本が
檀家となっていたことによるのではないかといわれている
私の父が仏壇を買う前は
大きな古い仏壇があった
いま思えばあれは禅宗のものだったんだろう
さすがに子供だったので
どんなだったのか記憶はまったくないのだが
お盆のために仏壇から出して並べられた位牌を見ると
この人から日蓮なのかな と想像がつく
うちの祖父は実の母を幼い頃に亡くし
義理の母になった人も割りと早く亡くなったので
祖母にはお姑というものがなかった
そのために我が家はかなり古い家なのに
受け継がれた風習が殆ど無い上に祖母は
「スピリチュアルに関心のない細木カズコさん」みたいな人で
こういった行事ごとも
ご近所の手前仕方なくやっているだけだった
しかもその様式は
祖母独自の手抜き満載
ご先祖様はさぞひっくりかえっていたことだろう
何しろ仏壇にお経ひとつ唱えたこともなく
仏間に行くということもない人だったのだ
自分の旦那も子供も亡くなっているのだが
祖母にとっては死んだ人はどうでも良かったし
宗教や信心など 頭の片隅にぽっちりあるだけだった
そのくせ四六時中私を連れて
いわゆる「ぽっくり寺」へ行ったのだから
都合がよくて笑えるのだが
在所の仏間に入ると
机の両横には灯篭とお花が立てられ
机の上には一人ずつ位牌が並べられ
その端にあの祖母の写真も一緒に立てられていた
お盆の入りに焚く迎え火は
たいてい私か祖母が焚くのが役目だった
(祖母は面倒がって私にやらせていたのだが)
今年は母と私で焚いていた
懐かしいあの煙の匂い
20年ぶりに嗅ぐ匂いだった
茄子で作った今年の馬には
なぜか背中に突起があって
母はそれを
「突飛の松っつあの娘の突飛婆ちゃんにはぴったりや
ここを持ってきっとロデオしてるわ」
と言って満面の笑みを浮かべた
私はそれを眺めながら
ふと何故だか机の周りに
大勢の人がいるような気がした
がやがやと楽しそうに賑やかに
まるでパーティーでも始まるかのように
それを感じながら
どうしてだか私は切なくなって
こぼれそうな涙をこらえていた
私と実家は同じ町内なので
いつでも行けるのだけど
母が病に倒れるまでは
基本的にお互いこれといって
普段の行き来はなかった
もっとはっきり言えば
かなり絶縁に近かったと思う
一昨日訪ねた理由は
「お盆の入り」だからである
私の在所(実家のことをこのあたりではそう呼ぶ)では
お盆は旧でするのが慣わしで
世間が8月にお盆だお盆だと言っていても
何故だかいまだにピンと来ない
子供のころの生活というのは
いつまでも残るのだな と
変なところで納得してみる
私は本家の娘だったので
お客様を迎え入れるほうで
他所のお盆を覗いたことは無い
在所は元々は禅宗だったのだが
何代か前に檀家になっていた寺が家事で全焼してしまい
その際に集落丸ごとで日蓮宗の寺へと移籍(?)した
焼けた寺は在所の斜め前にその跡地があって
その敷地を見ると結構大きかったんだろうと思う
その横を下っていく坂道が「寺坂」という名前だと
私より若い世代はもう知らないようだ
日蓮になったのは何故だかよくは分からない
近くに同じ禅宗の寺と尼寺があるのに
かなり離れた通称赤門寺になったのは
単純にそこが昔この土地を治めていた旗本が
檀家となっていたことによるのではないかといわれている
私の父が仏壇を買う前は
大きな古い仏壇があった
いま思えばあれは禅宗のものだったんだろう
さすがに子供だったので
どんなだったのか記憶はまったくないのだが
お盆のために仏壇から出して並べられた位牌を見ると
この人から日蓮なのかな と想像がつく
うちの祖父は実の母を幼い頃に亡くし
義理の母になった人も割りと早く亡くなったので
祖母にはお姑というものがなかった
そのために我が家はかなり古い家なのに
受け継がれた風習が殆ど無い上に祖母は
「スピリチュアルに関心のない細木カズコさん」みたいな人で
こういった行事ごとも
ご近所の手前仕方なくやっているだけだった
しかもその様式は
祖母独自の手抜き満載
ご先祖様はさぞひっくりかえっていたことだろう
何しろ仏壇にお経ひとつ唱えたこともなく
仏間に行くということもない人だったのだ
自分の旦那も子供も亡くなっているのだが
祖母にとっては死んだ人はどうでも良かったし
宗教や信心など 頭の片隅にぽっちりあるだけだった
そのくせ四六時中私を連れて
いわゆる「ぽっくり寺」へ行ったのだから
都合がよくて笑えるのだが
在所の仏間に入ると
机の両横には灯篭とお花が立てられ
机の上には一人ずつ位牌が並べられ
その端にあの祖母の写真も一緒に立てられていた
お盆の入りに焚く迎え火は
たいてい私か祖母が焚くのが役目だった
(祖母は面倒がって私にやらせていたのだが)
今年は母と私で焚いていた
懐かしいあの煙の匂い
20年ぶりに嗅ぐ匂いだった
茄子で作った今年の馬には
なぜか背中に突起があって
母はそれを
「突飛の松っつあの娘の突飛婆ちゃんにはぴったりや
ここを持ってきっとロデオしてるわ」
と言って満面の笑みを浮かべた
私はそれを眺めながら
ふと何故だか机の周りに
大勢の人がいるような気がした
がやがやと楽しそうに賑やかに
まるでパーティーでも始まるかのように
それを感じながら
どうしてだか私は切なくなって
こぼれそうな涙をこらえていた