「愛」という言葉があります

自分を愛しなさい
人を愛しなさい
敵を愛しなさい
隣人を愛しなさい
物を愛しなさい 等々。。。
私達は常日頃
「○○を愛しなさい」という言葉に囲まれています

スピリチュアルに関心を寄せる人々は
なんらかの心悩ませる物事を持っておいでのことが多く
その解決方法や回答を求めた末
見えない世界に救いを求めているうちに
ふと我にかえれば 
さらに深い闇の中にいて 
その中で明かりを探してさまよい歩いている
そんな自分に気がついてしまう事もあります

そんな時に
上記のような言葉「○○を愛しなさい」にであった人もおいででしょう
また 少し前より特に言われるようになった 
「自分を愛しなさい」という言葉を目にする機会も多いことでしょう

しかし私は

「これ以上あなた方は自分を愛さなくてよい」

そう お話したいのです

「愛」とはなんでしょうか
私が見た触れたものを愛と呼ぶのなら
それは人が言葉で定義する「愛」とはまるで違います
大いなるものから全てへと分け隔てなく伝う「それ」は
あまりに美しく尊くあり難く
果てなる高みから降り注ぐ桃色の雨のようであり
常に常に全てへと繋がって
私たちの細胞のひとつひとつへと結ばれた桃色真珠の糸であり
全世界を包み込む美しき桃色のオーロラであり
そして たとえるのならそれは
酸素を吸って生きる生物にとっての酸素であり
二酸化炭素を吸う生物にとっての二酸化炭素であり
この世に存在するためになくてはならないものです
「それ」がなければ私達はもちろんのこと目に見えぬものも
なにもかもが存在しいえないもの 
それが私が見せていただいた「愛」でした

私が教えられたものを仮に人のいう「愛」とするならば
それは人の資質の中に同化存在するもので
私達が作り出すことはできません
増幅する事はできても
「愛」そのものを作り出すことはできないように思うのです
ましてや「愛する」こと それは
目に見えぬ高次のみが行う行為であり
私達は「愛され」るだけの存在なのです
そして私達はこの上なく
存分に身も心も魂も 
くまなく「愛され」ているのです

人が「愛せよ」「愛しなさい」と自分にいうとき
その言葉は実は
さまざまなものや感情を摩り替えて置き換えたものへと変化しています

独占欲

執着欲

固執欲

拘束欲

権力欲

性欲

犠牲欲 

所有欲

献身という名の自己愛欲 等々

こういったものをときに人は
美しき「愛」という言葉へと書き換えて
その欲望を果てなく増大させていきます
「愛」という名のもとで
どれだけの苦しみが作り出されたことでしょう
人は「愛」と名づけた欲望を
その美しき名と顔をもって
どれだけ思う様振り回しみせびらかしてきたことでしょう

恋愛

親子愛 

夫婦愛 

同胞愛 

愛国心 等々

私達は「愛」をふりかざし
どれだけの自己弁護をしたのでしょう
愛という言葉はいつの間にか
人びとを威嚇し脅す言葉へと
私達は意味を付け加えてしまいました

「愛」がない

「愛」せない

「愛」されない

そういうときどれほど
上書きされた『愛』への恐怖に
脅かされてしまうようになったのでしょう

私達は愛されています
存分に愛されています

なにものにも侵されることなく
なにものにも汚されることなく
なにものにも傷つけることができないように
満たされ包まれ守られたこころ
それが私達なのです

どうかお願いです
これ以上自分だけを見つめないでください
「自分を愛せ」などと思わないでください
自分の中に潜む暗き深遠にうつるのは
覗き込んだあなたの顔です
誰もあなたを責めてなどいません
検査し判定をしているのはあなた自身のみなのです
あなたは役割を演じただけ
あなたを苦しめたあの人も与えられた役割を演じただけ
それだけなのです
テレビで見た俳優が悪い役柄を演じていたからといって
普段も悪役だとは思いませんよね
人生は舞台で演じられる演劇なのです
あなたも あの人も
みんな出演者なのです

「愛」は既にあふれんばかりにあなたを包んでいます
そして私達がすべきことは愛することでなく
それは「愛しむ=いつくしむ」ことです
あなた自身を愛しみなさい
親を子を世間をみなを愛しみなさい
愛しむという言葉が難しいのなら
「可愛がる」のだと思えば分かりやすいかもしれません
あなたを可愛がってみてください
愛さなくてよいのです
「愛」は24時間与えられ続けているのですから
あなたはただただ 自分を愛しめばよいのです

悲しみも苦しみも孤独も
なにも永遠には続きません
大抵のことは3年周期で変化しているものです
例え肉体を汚されたと感じても
あなたはなにも汚れてなどいません
この体すら大いなる源に繋がっているのです

自分を可愛がり愛しみ
そしてそれを堪能できたなら

ある日 目をあければそこには
「慈しむ」ことのできるあなたがいることに気がつくのです