ちょうど一ヶ月ほど前のこと
地元の友であるヨンちゃんと
面白半分でオーラの撮影に行って来た

美容院の一角にあるそのお店はのドアを開けると
美人の店長さんが案内をしてくれる
店内には私とヨンちゃんだけ
木を生かしたおしゃれな空間は
まさにサロンだ
それもそのはず
このお店は美肌になるためのエステも行っており
体と心の癒しを謳っているエステサロンさんなのだ

軽いアンケートに答えてから
NASAが開発したという機械に左手をそっと添える
撮影をしてもらっていると
ふと店長さんが私にこんなことを聞いてきた

「あなたは非常にグラウディングができている人ですね
どうやってグラウディングをしているのですか?」


グラウディング・・・・
どうやって・・・・・


一瞬私は答えに詰まる
何故って 私はそんなこと考えたことも無かったからだ
少し戸惑いを覚えながら
それでも私は素直にそのままを口にした

「そんなこと考えたこともないし
グラウディングという言葉自体最近覚えたところです
だからどうやっているかなんて
全然わかりません」

店長さんの瞳が少し翳ったような気がして
私は慌ててこう付け足した

「あえて言うなら 
現実をそのまま見ることです
足元を見て世の中を現実として見ること」


私は幼い頃から
『普通になれ』と言われ続けて育った
子供だった私には
みんなの言う『普通』がなんなのか
まったく理解できなかった
『普通』は
触ることも見て比べることもまったく不可能な怪物で
まるで不定形に伸び縮みする
奇妙な化け物のように思われたのだ

長い子供の時代
私は世の中の暗部を知りたがった
私にとって世界とは
いつも真っ赤な血と じゅくじゅくとした粘液を垂らす
大きな肉の裂け目のようだった
その幾重にも重なる肉の襞に刻まれた
巨大な傷口の前で立ち尽くしている私は
ただひたすらに
より暗いものを求めて
自ら爛れた膿の中へ思考を飛ばした
生臭く黄色い膿が破裂して
べっとりと私の頬に張り付いても

今 私にとって世界は
ふわふわと揺れ動くシャボン玉の表面に映る
歪んでそれでも七色に光る幻の永遠だ
何もない白い世界に一人立ち
どこからか風に乗って舞い来るシャボンの群れ
そのひとつひとつに
悲しみが 喜びが 苦しみが 怒りが 涙が
そして 愛おしさが映って
そうして風無き風に運ばれて
私の周りを通り過ぎていく

サハリンに残された強制連行後の朝鮮人
保証されないまま年をとるだけの残留孤児
13歳から拷問されつづけているチベットの尼僧
自ら女性器切除され死んでいくアフリカの少女
そんな事実の前に
何もできないということ
それが私の現実だ

地獄も光の国も自分で作り出して
いくらでも現実から
私は遊離していける
けれど なにもできないのだということ
この苦しみ この圧倒的な事実の前で
私には何もできないのだということ
ただ 知ることしかできないのだということ
それが 私に根を与え
この大地へと深くこの身体を添わせていく

普通であること
常識であること
それがどれほど地域によって時代によって
無情に変化していくことか
道徳も価値観もすべて不変なものはない
その中でつむがれていく
人の世という綾錦
それを知ろうとしつづけることが
私にとってのグラウディングということなのか

ただ現実が
ただ目の前にある現実だけが
私を私として今ここに立たせている

明日の日蝕を前にして
20世紀という歴史を思う今日の私だった