「あそこまで 正直に書かなくてもいいと思うけど」

「あれ読んだら セッション受けたいって思わないよ」

そう言ってくれる人がいた
批難の言葉なのではなくて
私がとても不器用に見えるので
もっと要領よくやればいいのに と 
そう言ってくれたのだ

彼女はこうも言ってくれた

「世の中のほかの人を見てみなさいよ
みんな あんなに自信満々にお言葉を述べているじゃない
もっと自分にとって都合よく 自分万歳で
世間が喜ぶようなのに合わせててもいいと思うよ
あんな風な自分の姿はみんな見せないよ
もっとハヌルの良いところだって書けばいいのに」

あんな風な姿とは
例えば薬物で苦しむ姿だったり
道を模索してもがいている姿のことだろう
確かに 見苦しい姿だと思う
みっともなくて 恥ずかしくて
そして
情けない姿 だ
しかも それは 病みの世界
病みは「闇」で 暗くどろどろとした世界
読んで楽しくない物語だろうと思う
こういうことをさらけ出していたら
確かにセッションを申し込みたいなんて
誰しも思わないだろうと
実際に私も充分分かっている

では 私は
どうしてこういうことを書くのだろう

世界は痛みに満ちている
そして私は その痛みの中で苦しむその人に
私の体験を伝えたいのだ
今殴られている人
今自殺しようとしている人
今犯罪に巻き込まれている人
今酒や薬物に溺れてもがく人
今誰かを殺そうとしている人
そしてそう 今 ココロが引きちぎれそうなあなたに
私の歩いている姿を伝えたいと願う

あなたの痛みを私は理解することができないだろう
何故なら私とあなたは別別の人間だから
それでも あなたの痛みを
私は「想像する」ことがたぶんできる
それも おそらくリアルに
人によっては 感情のシンクロと呼ぶかもしれない
でも 私はあえて「想像」だと言いたい
たとえあなたの感情にシンクロしたとしても
現実としてあなたの痛むココロと体と
私を交代することはできないのだから
でもね 痛みを実体験として想像をすることはできる

殴られ蹴られ犯されて
私は人を殺そうとした
自分が殺される前に殺そうとしたのだ
あのとき私は孤独だった
いのちの電話なんか なんにも役には立たなかった
弁護士も 裁判所も 警察も
家族も 医者も 
助けを求めたものすべてから拒絶され
生まれて初めて私は神の存在を信じた

「神よ お前の実在を信じよう
私は全身全霊で神を呪う」

呪うために 初めて信じたあの日
あの日の私の姿
惨めで 悲しい 愚かな 哀れな私

けれど 今 私はこうして生きている
痛み 苦しみ 死 絶望
そのど真ん中を歩きながら
ぶつかって ぶつかって
ときどき また ひどく苦しんだりして
でも そうやって歩いている

だから 今 孤独に苦しむ人に
私の姿をみて欲しい
こんなに愚かでこんなにくだらなくて
それでも 人は歩いていけるのだと
あなたの痛みの隣を
同じように歩いている私がいると
あなたのつらさ あなたの孤独 
それを本当には分からなくても
それでもあなたはひとりじゃない
同じように苦しむ私がここにいるのだから

優しさに 希望に 幸せに 傷ついてしまう人へ
何もできない私が 
それでもこうしてここにいるのだと知って 
そうして今日の日を生きのびてほしいと願う

あの日の 私が
今の私を導いている
いつか 今のあなたが
あなたを導く日まで
私は みっともない私の姿を
こうして暴きつづけるだろう