ふと幸せについて考えてみた
あんまり自分が幸せかどうか
私は考えたことが無い
運がいいとか悪いとか
そういう言葉はたまにふざけて口にするけれど
幸せなのか そうでないのか
そんなに気にしたことが無い
誰しもが自分の人生を振り返るとき
自分の生きてきた道のりを
ひどく大変だと思うのだろう
そこまで大変であったとは思わずとも
時に人一倍ドラマティックだと思い
または波乱万丈だと思ったりする
傍目から見ればたいしたことの無いようなことも
当人にとってはひどく難儀な出来事であったり
またその逆に
第三者からすれば
よく耐えて生きてきたと言われることでも
本人はたいしたことではないと思っていたりする
つまり何が苦しいとかつらいとかは
感じるその人次第でしかないのだ
だからこそ全ての人の人生は
本当の意味において
みな波乱万丈でドラマティックなんだろう
幸せや不幸せも
なんだかそれに似ている気がする
隣から覗いていると
どうにもうらやましいような人生の人も
本人には生き地獄かもしれないし
あんな悲しい人生は無いと思うような人生の人も
それによって喜びの絶頂を
味わっているかもしれないのだ
幸せ 不幸せ それはすべてその人まかせ
だからとっても難しい
さて 私は幸せなのかどうだろう
もし 幸せか?と聞かれたら
恐らく私は即答できる
幸せです と
屋根がある家に住み 雨露をしのぐことができる
暑さ寒さに耐えられる衣服を持っている
お金さえあればいつでも食べ物が手に入る
どこかで必ず水を飲むことが出来る
これを幸せといわずしてなんというのだろうか?
聖人ぶって聞こえるかもしれない
しかし私にとってこれらが今あることは
何よりも変えがたく
そして嬉しく有難いことなのだ
だから私は「幸せになりたい」と
願ったことがないのだろう
既に願いは叶えられているのだから
それでもときどき
幸せになっていいんですよ と
言葉をかけて来る人に
私は内心困ってしまう
そういう人には
なんて言葉を返せばいいのだろうか
ストレートに
「いえ 私もう幸せなんです」 と
そう素直に伝えてみても
それではなんだか
相手には強がっているように
とられてしまいそうな気がしてしまう
そんな意地を張ったつもりでは
もちろんないのだ
けれどこちらを見返すその瞳には
明らかにとまどったような色が
浮かんでいるのだから
結局私は
曖昧な微笑みを顔に張り付かせて
そうですね と
小さな声でつぶやくことになる
頭に描くその「幸せ」が
きっとその人と私では
うまく重なっていないんだろう
それが価値観と呼ばれるものなのかもしれないし
世界観と呼ばれるものかもしれないし
何かはうまくいえないけれど
私達の心の座標に
「幸せ点」というような
そんなものがあるとしたら
それはその人によって
何を座標軸にして
点をどこにとるかは思いのままに
それ次第でその人の幸せは
常にその位置をふらふらと変えていく
きっとみんな特別で
そしてきっとたまらなく平凡
そんなに特別な人はいなくて
特殊な人物もいないんだろう
不思議なことに
いつの間にか本当は
いつでも幸せの中にいて
ただその目を開くだけ
セッションをしていると
時々そういう気持ちになる
あんまり自分が幸せかどうか
私は考えたことが無い
運がいいとか悪いとか
そういう言葉はたまにふざけて口にするけれど
幸せなのか そうでないのか
そんなに気にしたことが無い
誰しもが自分の人生を振り返るとき
自分の生きてきた道のりを
ひどく大変だと思うのだろう
そこまで大変であったとは思わずとも
時に人一倍ドラマティックだと思い
または波乱万丈だと思ったりする
傍目から見ればたいしたことの無いようなことも
当人にとってはひどく難儀な出来事であったり
またその逆に
第三者からすれば
よく耐えて生きてきたと言われることでも
本人はたいしたことではないと思っていたりする
つまり何が苦しいとかつらいとかは
感じるその人次第でしかないのだ
だからこそ全ての人の人生は
本当の意味において
みな波乱万丈でドラマティックなんだろう
幸せや不幸せも
なんだかそれに似ている気がする
隣から覗いていると
どうにもうらやましいような人生の人も
本人には生き地獄かもしれないし
あんな悲しい人生は無いと思うような人生の人も
それによって喜びの絶頂を
味わっているかもしれないのだ
幸せ 不幸せ それはすべてその人まかせ
だからとっても難しい
さて 私は幸せなのかどうだろう
もし 幸せか?と聞かれたら
恐らく私は即答できる
幸せです と
屋根がある家に住み 雨露をしのぐことができる
暑さ寒さに耐えられる衣服を持っている
お金さえあればいつでも食べ物が手に入る
どこかで必ず水を飲むことが出来る
これを幸せといわずしてなんというのだろうか?
聖人ぶって聞こえるかもしれない
しかし私にとってこれらが今あることは
何よりも変えがたく
そして嬉しく有難いことなのだ
だから私は「幸せになりたい」と
願ったことがないのだろう
既に願いは叶えられているのだから
それでもときどき
幸せになっていいんですよ と
言葉をかけて来る人に
私は内心困ってしまう
そういう人には
なんて言葉を返せばいいのだろうか
ストレートに
「いえ 私もう幸せなんです」 と
そう素直に伝えてみても
それではなんだか
相手には強がっているように
とられてしまいそうな気がしてしまう
そんな意地を張ったつもりでは
もちろんないのだ
けれどこちらを見返すその瞳には
明らかにとまどったような色が
浮かんでいるのだから
結局私は
曖昧な微笑みを顔に張り付かせて
そうですね と
小さな声でつぶやくことになる
頭に描くその「幸せ」が
きっとその人と私では
うまく重なっていないんだろう
それが価値観と呼ばれるものなのかもしれないし
世界観と呼ばれるものかもしれないし
何かはうまくいえないけれど
私達の心の座標に
「幸せ点」というような
そんなものがあるとしたら
それはその人によって
何を座標軸にして
点をどこにとるかは思いのままに
それ次第でその人の幸せは
常にその位置をふらふらと変えていく
きっとみんな特別で
そしてきっとたまらなく平凡
そんなに特別な人はいなくて
特殊な人物もいないんだろう
不思議なことに
いつの間にか本当は
いつでも幸せの中にいて
ただその目を開くだけ
セッションをしていると
時々そういう気持ちになる