今日は実家で久しぶりに母と話した
そういえばねぇ と 私は
母の祖母のおはるさのことや
祖父の一郎さの事を
ブログというのに書いているんだと
打ち明けてみた
くだらないことをするんじゃないと
きっと怒るだろうなぁと思ったのだが
意外や母は
どこかの誰かが
おじいちゃん達のことを
例えほんのちょっぴりでも
覚えていてくれるかもしれないんだねぇと
つぶやきながら
なんだか嬉しそうな顔をした
それどころか母は
もっと話を書いてくれと
実家の思い出話をはじめだした
確かにそれは おはるさの
ちょっと面白い不思議な話で
いつかここに書き残したいとは思うのだが
今日は例の
あの叱りに来た祖父と私のことを書きたいと思う
個人的記録と題したほうがいいくらいの
たわいもない話なので
読んでいただくのも申し訳ないのだが・・・
実は最近このブログに書くようになるまで
私は祖父のことはあまり思い出しもしていなかった
たまたま おはるさの話を日記にしたところ
コメントをたくさんいただけたのに嬉しくなって
調子にのった挙句に書いたのが真相で
まぁ こうして文字にしておけば
忘れることもないだろうという
そんな程度の思いいれに過ぎなかった
ところが今年は何故か
うちの息子達は戦争に興味が湧いたらしく
裸足のゲンやらNHKでやっていた戦争のアニメやら
夢中になってみていた上に
先日は 出口のない海 という
海軍の映画まで見たがって一緒に見る羽目になった
さすがに回天なんぞを見ていると
嫌がおうでもあの祖父を思い出す
私は今日母に 回天の映画を見たことも話した
すると母は少し顔をゆがめながら
あんなもん見るんじゃない と
まるで吐き捨てるように言いながら
それでも自然と祖父の話になっていく
母は戦争映画が大嫌いなのだ
映画に描かれた軍人たちの姿と
母が知っている祖父および軍人の姿が
あまりにかけ離れているかららしかった
20年あまり軍人だった祖父は
最初の10年を広島の呉で過ごした
江田島というところにある
海軍兵学校の教官をしていたからだった
しかし本当は
兵学校の教官をしていたのは短く
水雷学校という海軍の中でも
少し特殊な部門の教官をしていたのだそうだ
今までこの呉での祖父のことに
何の関心も持ったことがなかった私だが
ふと思いついてネットで調べだしてみた
海軍水雷学校(かいぐんすいらいがっこう)は
海軍の水雷術(魚雷・機雷・爆雷)指揮官・技官を
養成する教育機関のことで
海軍将校として必要な様々なことを習得する機関だった
祖父はそこの教官をしていたらしい
ここは実は今でいうところのスパイ
当時の言い方でなら斥候を養成する
秘密の機関だったそうだ(母いわく)
(ネットで調べてみても広島には兵学校はあるが
水雷学校があったという記述は実際見当たらない)
これは母は書いてはいけないといったのだが
軍人として過ごした祖父の最後の10年は
軍事スパイとして活動していたそうだ
前半をスパイ養成教官
後半を自身がスパイとなっての軍人生活だ
祖父がスパイになったのは
主に金のためであったらしい
当時軍の正式な斥候は給金がかなりなものだったらしい
この頃の祖父は
自らの家庭だけでなく
一族の何軒もの家計を支える必要に
せまられていたのだ
私は水雷学校を調べるために
ネットを眺めているうちに
ふと有ることに気がついた
それは江田島にあった兵学校の
付近地図を見ていたときのことだった
江田島の方から
視線を呉へと道なりに動かす
江田島と書いた文字の
そのすぐ下にあるその文字は能美島
島と書いてあれど
江田島とひとつの島の中の町だ
そう それは
かつての私の本籍地だった
私は泣いた
今まで気がつかなかったことに
こんな不思議に私は号泣していた
何年も前に私は離婚している
私と主人が出会ったのは
名古屋のとある場所で
出会いはいわゆるナンパであった
知り合ってから半年で私は妊娠し
そして1年たつ前に結婚していた
私は彼が大好きだった
彼も私が大好きだった
お互い愛し合って
それでも無残な結末だった
ある日私は通報により
警察に保護をされた
このままでは殺されると説得されて
そのまま家から逃げ出したのだ
彼は逃げた私に絶望し
それから7日目に自殺をした
結局未遂で助かったものの
精神が崩壊してしまった彼は
病院に拘禁される身の上となった
最後に会ったときの彼のあの目
あの目の色を今でも私は忘れられない
その彼の出身地が
広島県の能美島だった
私は彼と結婚することで
能美島を本籍としたのだった
震える指先でモニターの地図をなぞる
音戸大橋 音戸の瀬戸
ああ ここが能美島
一度も訪ねることのなかった
ここが私とあの人の本籍だったところだ
彼と離婚してから
私は何人も彼氏ができた
そのうちの一人とは
長らく同棲もした
それでも私は忘れられないでいる
一生一度の恋だった
誰と出会っても
誰と恋に落ちても
私はあの人より愛することはもうないだろう
殴られ蹴られ肋骨を折られ
包丁で脅されて そして刺されて
家もめちゃくちゃだった
私もめちゃくちゃだった
お金もなかった
いつも何もかも奪い取られた
それでも好きだった
夢をみていた
頭から油をかけられ
首を絞められ
薄れる意識の中で
破れた窓の向こうに見える
ベランダ越しのあの他所の団欒の明かり
あれがいつか私と彼のところにも
きっと宿る日がくるのだと
ただ ただ 夢を見ていた
合縁奇縁
人生はこういうものだ
祖父の思い出を辿るうち
気がつけばあの人を辿ることになっていた
どれほど愛しても
あの日にはもう戻れない
あれはもう 遠い思い出
今私は
またひとりで彼方のあの光を見ている
見失いそうになりながら
それでも私を照らすだろうあの光
それが何かは知らないけれど
今日も確かに私へと降り注ぐ
あの光を
そういえばねぇ と 私は
母の祖母のおはるさのことや
祖父の一郎さの事を
ブログというのに書いているんだと
打ち明けてみた
くだらないことをするんじゃないと
きっと怒るだろうなぁと思ったのだが
意外や母は
どこかの誰かが
おじいちゃん達のことを
例えほんのちょっぴりでも
覚えていてくれるかもしれないんだねぇと
つぶやきながら
なんだか嬉しそうな顔をした
それどころか母は
もっと話を書いてくれと
実家の思い出話をはじめだした
確かにそれは おはるさの
ちょっと面白い不思議な話で
いつかここに書き残したいとは思うのだが
今日は例の
あの叱りに来た祖父と私のことを書きたいと思う
個人的記録と題したほうがいいくらいの
たわいもない話なので
読んでいただくのも申し訳ないのだが・・・
実は最近このブログに書くようになるまで
私は祖父のことはあまり思い出しもしていなかった
たまたま おはるさの話を日記にしたところ
コメントをたくさんいただけたのに嬉しくなって
調子にのった挙句に書いたのが真相で
まぁ こうして文字にしておけば
忘れることもないだろうという
そんな程度の思いいれに過ぎなかった
ところが今年は何故か
うちの息子達は戦争に興味が湧いたらしく
裸足のゲンやらNHKでやっていた戦争のアニメやら
夢中になってみていた上に
先日は 出口のない海 という
海軍の映画まで見たがって一緒に見る羽目になった
さすがに回天なんぞを見ていると
嫌がおうでもあの祖父を思い出す
私は今日母に 回天の映画を見たことも話した
すると母は少し顔をゆがめながら
あんなもん見るんじゃない と
まるで吐き捨てるように言いながら
それでも自然と祖父の話になっていく
母は戦争映画が大嫌いなのだ
映画に描かれた軍人たちの姿と
母が知っている祖父および軍人の姿が
あまりにかけ離れているかららしかった
20年あまり軍人だった祖父は
最初の10年を広島の呉で過ごした
江田島というところにある
海軍兵学校の教官をしていたからだった
しかし本当は
兵学校の教官をしていたのは短く
水雷学校という海軍の中でも
少し特殊な部門の教官をしていたのだそうだ
今までこの呉での祖父のことに
何の関心も持ったことがなかった私だが
ふと思いついてネットで調べだしてみた
海軍水雷学校(かいぐんすいらいがっこう)は
海軍の水雷術(魚雷・機雷・爆雷)指揮官・技官を
養成する教育機関のことで
海軍将校として必要な様々なことを習得する機関だった
祖父はそこの教官をしていたらしい
ここは実は今でいうところのスパイ
当時の言い方でなら斥候を養成する
秘密の機関だったそうだ(母いわく)
(ネットで調べてみても広島には兵学校はあるが
水雷学校があったという記述は実際見当たらない)
これは母は書いてはいけないといったのだが
軍人として過ごした祖父の最後の10年は
軍事スパイとして活動していたそうだ
前半をスパイ養成教官
後半を自身がスパイとなっての軍人生活だ
祖父がスパイになったのは
主に金のためであったらしい
当時軍の正式な斥候は給金がかなりなものだったらしい
この頃の祖父は
自らの家庭だけでなく
一族の何軒もの家計を支える必要に
せまられていたのだ
私は水雷学校を調べるために
ネットを眺めているうちに
ふと有ることに気がついた
それは江田島にあった兵学校の
付近地図を見ていたときのことだった
江田島の方から
視線を呉へと道なりに動かす
江田島と書いた文字の
そのすぐ下にあるその文字は能美島
島と書いてあれど
江田島とひとつの島の中の町だ
そう それは
かつての私の本籍地だった
私は泣いた
今まで気がつかなかったことに
こんな不思議に私は号泣していた
何年も前に私は離婚している
私と主人が出会ったのは
名古屋のとある場所で
出会いはいわゆるナンパであった
知り合ってから半年で私は妊娠し
そして1年たつ前に結婚していた
私は彼が大好きだった
彼も私が大好きだった
お互い愛し合って
それでも無残な結末だった
ある日私は通報により
警察に保護をされた
このままでは殺されると説得されて
そのまま家から逃げ出したのだ
彼は逃げた私に絶望し
それから7日目に自殺をした
結局未遂で助かったものの
精神が崩壊してしまった彼は
病院に拘禁される身の上となった
最後に会ったときの彼のあの目
あの目の色を今でも私は忘れられない
その彼の出身地が
広島県の能美島だった
私は彼と結婚することで
能美島を本籍としたのだった
震える指先でモニターの地図をなぞる
音戸大橋 音戸の瀬戸
ああ ここが能美島
一度も訪ねることのなかった
ここが私とあの人の本籍だったところだ
彼と離婚してから
私は何人も彼氏ができた
そのうちの一人とは
長らく同棲もした
それでも私は忘れられないでいる
一生一度の恋だった
誰と出会っても
誰と恋に落ちても
私はあの人より愛することはもうないだろう
殴られ蹴られ肋骨を折られ
包丁で脅されて そして刺されて
家もめちゃくちゃだった
私もめちゃくちゃだった
お金もなかった
いつも何もかも奪い取られた
それでも好きだった
夢をみていた
頭から油をかけられ
首を絞められ
薄れる意識の中で
破れた窓の向こうに見える
ベランダ越しのあの他所の団欒の明かり
あれがいつか私と彼のところにも
きっと宿る日がくるのだと
ただ ただ 夢を見ていた
合縁奇縁
人生はこういうものだ
祖父の思い出を辿るうち
気がつけばあの人を辿ることになっていた
どれほど愛しても
あの日にはもう戻れない
あれはもう 遠い思い出
今私は
またひとりで彼方のあの光を見ている
見失いそうになりながら
それでも私を照らすだろうあの光
それが何かは知らないけれど
今日も確かに私へと降り注ぐ
あの光を