子供の面倒を見るために
私が自宅へと向かう時
母の病室は母以外無人になっていた
ところが私が病院を出た後
夜中だったにも関わらず
隣のベッドへ一人患者さんが入ることになった

その患者さんは女性だったが
どうやらあまり良い状態では無いようで
苦しげに何度もお盆胃液を吐いていた
1~2時間たった頃だろうか
しんと静まった深夜の病室の中で
母が何度も寝返りをうつその音を聞いて
どうやら起きているようだと思ったのだろう
その女性が声をかけてきた
母が返事をすると
自分の気を紛らわせるためなのか
問わず語りにその患者は
自分のことを語り始めたのだった

女性は自分は癌なのだと母に告げた
この病室にはそれまで何人もの癌患者が
抗がん剤の投与のために入室していたので
母はそれほど驚きはしなかった
年の頃は80を越えるか越えないかくらいであろうか
彼女の力の無いぼそぼそと語る声が
二人だけの病室に響く
癌のこと 抗がん剤の副作用のこと
そして子供に孫のこと 
家は恵那にあるなどということから始まって
気がつけば彼女の一代記を
一方的に聞かされる羽目に陥っている母だった

何故かその時母は痛みがそれほど気にならず
一方的に話し続けるその声を
それほど苦痛とも思わなかったのだが
ひとしきり女性は身の上を語りつくすと
今度は自分の弟という人物の話をし始めた
その頃になるとさすがに
母は少し疲れがでてきており
ぼんやりと聞き流していたのだが
突然有る言葉が耳に飛び込んで
母は我に返った

「うちの弟は 赤 でなぁ」

彼女はそしてこう続けた

「弟は出来が良くてねぇ 夜学で東京の大学にいったんや」

思わず母は 問い返した

「おばさん 夜学って?」

震える母の言葉の意味など
もちろん彼女には分かろうはずも無い
得意げに言葉を続けた

「弟はある難しい会社の選抜試験を受けてね
岐阜県で2人しか選ばれないのに受かってねぇ
それで東京の大学に行って
そこで 赤 に なったんや」

まさか まさか・・・
母の胸はつぶれそうだった

「おばさん その難しい会社の試験って・・」

「あんたは知りなさらんやろうけど
○○○○という有名な会社や」

なんということであろう
それこそ あの
たけお兄ちゃんが入社した会社であり
兄ちゃんが受かった試験であり大学だった
(ちなみにその会社は現存しており 
現在でも知る人ぞ知る某業界最大手のひとつである)

「おばさん 私が知らないはずがありません!」

もう母は黙ってはいられなかった
愛する兄 みんなの自慢の兄
この50年の長い間
かたときも忘れたことの無いたてお兄ちゃん
兄から聞かされた東京暮らしを
母は全て覚えていた

全国から選抜試験により集められた
優秀な人材である学生たちは
ひとつの寮に入寮することに定められていた
この鄙びた山奥の村では 
頭が良すぎたために先生からも疎まれて
まともな友達もできなかったお兄ちゃんは
その○○寮で生まれて初めて
対等に付き合える友人たちに恵まれたのだった
いつも遠い目をしていた兄ちゃんは
論戦をする喜びを初めて与えられたのだった
初めてできた親友達のことを
どれほど聞かされたことだろう
帰ってくるたびにお人形にお菓子
そして雑誌や絵本をお土産にくれた
優しい優しいお兄ちゃん
いつも自慢のお兄ちゃん
大好きな たてお兄ちゃん

80を越えた彼女の弟ということは
恐らく兄とは接点はないだろう
それでも母には嬉しかった
同じ制度を利用して
同じ会社に勤務し
同じ大学に通い寮に住んだ人がいる
それだけで母にはたまらなく嬉しかったのだった

「いや ワシの弟はワシより10以上離れとるんよ」

なんと その女性は
母の兄の名前と年齢を聞き出すと
いきなり携帯を手に取り
メールを打ち始めたのだ
80の老嬢が携帯のメールを打てるとは!
母は仰天してしまった
(何しろ母は携帯をかけるどころか受けることもできない)

「こんな時間やし 
弟もいつ返事をくれるかわからんが
あんたの兄様のことは聞いてみたでねぇ」

最初は少しうるさいなぁと思っていた
この彼女に対し
今では母は涙を流さんばかりに感謝していた
しかしさすがに兄のことを
その弟さんが覚えているとは思えなかった
まず第一に兄とは年も違うだろうし
何しろもう50年も前に死んだ人間なのである
白々と明るくなってきた病室で
母は たてお兄ちゃんを思っていた
もうずっと思い出の中だけに生きている兄のことを

すると 唐突に携帯の振動音が聞こえたかと思うと
隣の彼女が母に叫んだ

「あんた!あんたの兄さんは弟の親友やったそうや!!」

まさか そんな・・・
なんという・・・
なんということであろうか・・・
母は息が止まるほどの衝撃を受けた
しかし その時は
それ以上の話を聞くことはできなかった
巡回にきた看護士が検温をしたところ
母は熱が上がっており
また その女性も
空き部屋ができたとのことで
部屋を移動することになったのだった

「よかったら住所教えてくれんかね」

母はその気持ちが嬉しく
たった一晩だけ同室になった
兄の親友だという人の姉さまに
住所を教えた
そしてその女性とは
その後2度と会うことは無かった
彼女はそれからしばらくして
亡くなったのである
そしてまた月日は流れ
母も家がやっと自宅へ戻った日
ある郵便物が届いた
それはかの女性の弟さんからのものであった

届いた郵便の中には
長い長い手書きの手紙に
何かのコピー
そして何枚もの古い団体写真が入っていた
そこにはそう 
たてお兄ちゃんの笑顔が写っていたのだった
同封された手紙には
自分が たてお兄ちゃんのひとつ下であることや
寮での兄ちゃんの生活ぶりなど
様々な思い出が綴られており
実は とある雑誌に 以前
たてお兄ちゃんのことを書いて紹介したものが
掲載されたことがあり
そのコピーを同封したとあった
入っていたコピーは その雑誌をコピーしたものであった
また たてお兄ちゃんは
かつての啓蒙活動のその功績を称えられ
○○にある記念碑にその名前が刻まれているとも
書いてあったのだった



入院
たった一晩だけの出会い

そして 母は
実に50年ぶりに
兄と再会を果たしたのである


人の縁の深さは
ときに計り知れないことを起こす
偶然だといって笑ってみるのも一興
これもめぐり合わせというものだと
笑ってみせるのも また一興
そんな母と兄のお話だ

+++++++++++++++++

3回で終わらせたかったので無理に詰め込んだら
この回がこんなに長くなってしまいました 汗