母は入院している間
何度も病室を替えられていたが
病状に変化が見られなくなったころ
ひとつの病室に落ち着いた
その病室は4人部屋だったが
窓際のベッドに寝かされた母以外の
残りの3つのベッドは
毎日 いや 日によっては
午前と午後にも
入院する人間が違うという
なんともめまぐるしい部屋だった
見ているうちに分かったのだが
どうやらここは
それぞれの専門病棟に空きが出るまでの
とりあえず入院する部屋のようで
一応所属として消化器病棟になっているらしかった
毎日人が入れ替わるので
誰かと口を聞くこともなく
いつも母は一人
ただ目をつむって痛みをこらえていた
そんなある日のこと
家事を済ませて病室へ帰ってきた私に
待ちかねたように母は話し出した
たてお兄ちゃんが夢に出てきたのだというのだ
痛みをこらえながらも
熱と疲れと催眠剤により
ときどき母はうとうとと眠っていたのだが
ちょうど私が戻る間際に見た夢に
亡くなった祖父と
あのたてお兄ちゃんが出てきたのだという
夢の中で母は
今では無くなってしまった昔の在所にいた
見渡せばまさにそれは母が幼い頃の
あまりにも懐かしい
おはるさがまだ生きていた頃の村だった
けれど何かがおかしかった
夢の中で母は夢だとは気がつかなかったが
これは現実ではないとうっすら感じていたそうだ
そして村の小学校を外から覗きこんだとき
そこに あの
何度一目あわせてくれと思ったかしれない
たてお兄ちゃんが大勢の青年たちに向かって
教壇の上より話をしている姿が見えたのだった
実は東京へ行った兄ちゃんは
彼の地で「赤」になっていた
今でいう共産主義者である
当時赤狩りという言葉が囁かれ
共産主義だということは
あまり良くは言われない時代だった
母によれば それでも当時
一部では革新的な思想とも思われており
いわゆるインテリと呼ばれた人間が
地域の活性化やインフラ整備などを目指す上で
その思想を夢の思想として
掲げたようだった
たてお兄ちゃんは東京から帰省するたびに
村の小学校で青年達に
これからの生き方について
いつも頼まれては講演していたのだそうだ
夢の中にでてきたのは
恐らくそのシーンだったのだろう
夢の中で母はあせった
あんなに長男に会いたがっていた自分の母に
一目あわせてやらねばと思いついたのだった
夢の中で母はもがく
もがいてももがいても何故か
何かに足をつかまれて進めない
母の千代が待つはずの家にたどり着けないのだ
途中で車にのった父(祖父)に出会うのだが
どんなに事情を説明しても
ただニコニコと微笑むだけだった
そうこうするうちに母は 断崖に立っていた
もはや 実家にも 兄の所にも 父の所にも
戻れないところにいた
母は夢の中で泣いた
一目会わせてやりたいと
オンオンと泣いた
そしてそのまま ふぅっと夢から覚めていったその時
夢と現のハザマで母はこんな声を聞いた
「みんな分かっているのやぇ
大丈夫やぞ やっこ(靖子)や」
それは誰の声か分からなかった
「不思議な夢やった
お父ちゃんも たてお兄ちゃんも
死んでからこっち
一度も夢になんかでてきたことあらへんかった
どうにかいっぺんでええから
夢でも幻でも見たいと思いつめてたんたけどな
夢に出てござったわ・・・」
実は母の容態は
その時一進一退の状態で
正直に言えば重篤という状態だった
つまり危篤の一歩手前に近い
なんと前日には
前年に亡くなった母の親友が夢に出ても来ていた
この夢も 親友の夢も私には
明らかにこの世とあの世のハザマの夢に思えた
「断崖で進めへんてことは
こっちの世界に帰れってことやろな お母さん」
母は遠くを見ながら
そうかも知れんなぁとつぶやいていた
薬のせいなのか
霊的なものなのか
私は考えないようにしていた
長く続く緊張の連続に
私の疲労もたまりにたまっていたからだ
そしてその夜
縁の不思議は起こったのである
(続く)
何度も病室を替えられていたが
病状に変化が見られなくなったころ
ひとつの病室に落ち着いた
その病室は4人部屋だったが
窓際のベッドに寝かされた母以外の
残りの3つのベッドは
毎日 いや 日によっては
午前と午後にも
入院する人間が違うという
なんともめまぐるしい部屋だった
見ているうちに分かったのだが
どうやらここは
それぞれの専門病棟に空きが出るまでの
とりあえず入院する部屋のようで
一応所属として消化器病棟になっているらしかった
毎日人が入れ替わるので
誰かと口を聞くこともなく
いつも母は一人
ただ目をつむって痛みをこらえていた
そんなある日のこと
家事を済ませて病室へ帰ってきた私に
待ちかねたように母は話し出した
たてお兄ちゃんが夢に出てきたのだというのだ
痛みをこらえながらも
熱と疲れと催眠剤により
ときどき母はうとうとと眠っていたのだが
ちょうど私が戻る間際に見た夢に
亡くなった祖父と
あのたてお兄ちゃんが出てきたのだという
夢の中で母は
今では無くなってしまった昔の在所にいた
見渡せばまさにそれは母が幼い頃の
あまりにも懐かしい
おはるさがまだ生きていた頃の村だった
けれど何かがおかしかった
夢の中で母は夢だとは気がつかなかったが
これは現実ではないとうっすら感じていたそうだ
そして村の小学校を外から覗きこんだとき
そこに あの
何度一目あわせてくれと思ったかしれない
たてお兄ちゃんが大勢の青年たちに向かって
教壇の上より話をしている姿が見えたのだった
実は東京へ行った兄ちゃんは
彼の地で「赤」になっていた
今でいう共産主義者である
当時赤狩りという言葉が囁かれ
共産主義だということは
あまり良くは言われない時代だった
母によれば それでも当時
一部では革新的な思想とも思われており
いわゆるインテリと呼ばれた人間が
地域の活性化やインフラ整備などを目指す上で
その思想を夢の思想として
掲げたようだった
たてお兄ちゃんは東京から帰省するたびに
村の小学校で青年達に
これからの生き方について
いつも頼まれては講演していたのだそうだ
夢の中にでてきたのは
恐らくそのシーンだったのだろう
夢の中で母はあせった
あんなに長男に会いたがっていた自分の母に
一目あわせてやらねばと思いついたのだった
夢の中で母はもがく
もがいてももがいても何故か
何かに足をつかまれて進めない
母の千代が待つはずの家にたどり着けないのだ
途中で車にのった父(祖父)に出会うのだが
どんなに事情を説明しても
ただニコニコと微笑むだけだった
そうこうするうちに母は 断崖に立っていた
もはや 実家にも 兄の所にも 父の所にも
戻れないところにいた
母は夢の中で泣いた
一目会わせてやりたいと
オンオンと泣いた
そしてそのまま ふぅっと夢から覚めていったその時
夢と現のハザマで母はこんな声を聞いた
「みんな分かっているのやぇ
大丈夫やぞ やっこ(靖子)や」
それは誰の声か分からなかった
「不思議な夢やった
お父ちゃんも たてお兄ちゃんも
死んでからこっち
一度も夢になんかでてきたことあらへんかった
どうにかいっぺんでええから
夢でも幻でも見たいと思いつめてたんたけどな
夢に出てござったわ・・・」
実は母の容態は
その時一進一退の状態で
正直に言えば重篤という状態だった
つまり危篤の一歩手前に近い
なんと前日には
前年に亡くなった母の親友が夢に出ても来ていた
この夢も 親友の夢も私には
明らかにこの世とあの世のハザマの夢に思えた
「断崖で進めへんてことは
こっちの世界に帰れってことやろな お母さん」
母は遠くを見ながら
そうかも知れんなぁとつぶやいていた
薬のせいなのか
霊的なものなのか
私は考えないようにしていた
長く続く緊張の連続に
私の疲労もたまりにたまっていたからだ
そしてその夜
縁の不思議は起こったのである
(続く)