薬による眠りは
私をこの世から消してくれた
すとんと前後不覚になる「それ」は記憶を奪って
私の日常をつぎはぎだらけに変えていく
その代わりに起床時にいつも感じていた
重苦しい身体中の痛みを消してくれていた
頭痛とともに目が覚める そして身体のあちこちがいつも痛んで重い
少なくとも 物心をついてからにおいては
眠りから覚めるということは私にとって
肉体的な痛みを伴うものであり
苦痛を感じないで起床するということ
それは私の人生でおそらく初めての経験だった
痛みを感じない体
心の痛みを消してしまう眠り
その心地よさはまるで
膝を抱えたまま眼を閉じて
生暖かいどろどろの底なし沼に沈んでいくようで
どんどんと 「自分」の統合が解体していくのを感じながら
もう それでいいや と そうおもった
初めて 痛まない朝を知り
初めて こんなにも音のない日々を知った
空腹も感じず かといって満腹も感じない
何かを触っても触っていることをいまひとつ感じ取れない
いつも うつつの中を漂っていた
苦しければ薬を飲めばいいのだ
そうすれば苦しい私はこの世から消えてしまう
そして それを叶えてくれるものが
今 私の手の中にある
自分はだめな人間なんだ そう思いながら
心も身体も麻痺していくのは
無常の心地よさなのだった
ふと鏡に映った顔を見る
そこに映っていたのは
黒々とあいた穴のような瞳をした
心を失った 私が いた
それでも
私は堕ちていこうと思っていた
もう人間じゃなくていいと
けれど ある日
私にヨンちゃんがこう言ったのだ
「ハヌちゃん 今までと違う薬飲んでる?」
驚いた
誰も気がつかなかったのに
彼女はひとめで気がついたのだ
そしてこうも言ってのけた
「ごめん 今のハヌちゃん品がなくて気持ちわるい」
いきなり平手を喰らった気がした
「自分が今めっちゃ滑舌悪いの気がついてる?」
・・・・え?
「単語がな まともに発音できてへんのやで?」
・・・まさか
「顔色が黒くて筋肉が全部垂れてる」
・・・・年のせいちゃうん?
「いつも茶色い黒目が ちっちゃくなって真っ黒になってるで 」
・・・・それって・・・
「なんかな ヘンな言い方かもしれんけど
なんというか 普段のハヌちゃんには品があるんよ
まして神がかってるときなんかは
独特の高貴なオーラみたいなのがあんのよ
でもな ごめん 今のハヌちゃん違うんやわ
どっか卑しいっていうか・・・気持ち悪いねん」
頭から氷水をかぶった気がした
「あたし 黒目が茶色なのは気のせいやと
今の黒いのがほんまやと思ってた」
「いや ハヌちゃんの目は いつもはかなり茶色やで」
「えらい皺が増えたのは年のせいやと思ってた」
「ちゃうって 老化のと違うわ」
「元々 あたし品なんかないやんな」
「品ってゆっていいか分からんけど あるよそういう何かがハヌちゃんは」
いつから気づいてたん
呆然としながら私が尋ねると
ヨンちゃんはまっすぐ私の眼を見ながら
最初から気づいてたわと言って
静かに珈琲を飲みほした
何かが私の中で音を立てて割れた気がした
あかん
あかん あかん
あかん あかん あかん あかん
わたし これじゃ あかんのやわ
まだ 私はやるべきことをやってない
まだ全部終わってない
まだ この心臓が破れていない
「人」として生まれた私
「人」として精一杯やったのか
獣になるのはいつでもなれる
いま 私は人間としてやるべきことをやらなくてはいけない
獣になるのは後でいい
「あたし 今 薬 止める」
え と顔を上げたヨンちゃんへ
私は告げた
「痛みは友達や
それでいいことにするわ」
本当の自分との戦いが
そのとき始まった
----------------------------続く
私をこの世から消してくれた
すとんと前後不覚になる「それ」は記憶を奪って
私の日常をつぎはぎだらけに変えていく
その代わりに起床時にいつも感じていた
重苦しい身体中の痛みを消してくれていた
頭痛とともに目が覚める そして身体のあちこちがいつも痛んで重い
少なくとも 物心をついてからにおいては
眠りから覚めるということは私にとって
肉体的な痛みを伴うものであり
苦痛を感じないで起床するということ
それは私の人生でおそらく初めての経験だった
痛みを感じない体
心の痛みを消してしまう眠り
その心地よさはまるで
膝を抱えたまま眼を閉じて
生暖かいどろどろの底なし沼に沈んでいくようで
どんどんと 「自分」の統合が解体していくのを感じながら
もう それでいいや と そうおもった
初めて 痛まない朝を知り
初めて こんなにも音のない日々を知った
空腹も感じず かといって満腹も感じない
何かを触っても触っていることをいまひとつ感じ取れない
いつも うつつの中を漂っていた
苦しければ薬を飲めばいいのだ
そうすれば苦しい私はこの世から消えてしまう
そして それを叶えてくれるものが
今 私の手の中にある
自分はだめな人間なんだ そう思いながら
心も身体も麻痺していくのは
無常の心地よさなのだった
ふと鏡に映った顔を見る
そこに映っていたのは
黒々とあいた穴のような瞳をした
心を失った 私が いた
それでも
私は堕ちていこうと思っていた
もう人間じゃなくていいと
けれど ある日
私にヨンちゃんがこう言ったのだ
「ハヌちゃん 今までと違う薬飲んでる?」
驚いた
誰も気がつかなかったのに
彼女はひとめで気がついたのだ
そしてこうも言ってのけた
「ごめん 今のハヌちゃん品がなくて気持ちわるい」
いきなり平手を喰らった気がした
「自分が今めっちゃ滑舌悪いの気がついてる?」
・・・・え?
「単語がな まともに発音できてへんのやで?」
・・・まさか
「顔色が黒くて筋肉が全部垂れてる」
・・・・年のせいちゃうん?
「いつも茶色い黒目が ちっちゃくなって真っ黒になってるで 」
・・・・それって・・・
「なんかな ヘンな言い方かもしれんけど
なんというか 普段のハヌちゃんには品があるんよ
まして神がかってるときなんかは
独特の高貴なオーラみたいなのがあんのよ
でもな ごめん 今のハヌちゃん違うんやわ
どっか卑しいっていうか・・・気持ち悪いねん」
頭から氷水をかぶった気がした
「あたし 黒目が茶色なのは気のせいやと
今の黒いのがほんまやと思ってた」
「いや ハヌちゃんの目は いつもはかなり茶色やで」
「えらい皺が増えたのは年のせいやと思ってた」
「ちゃうって 老化のと違うわ」
「元々 あたし品なんかないやんな」
「品ってゆっていいか分からんけど あるよそういう何かがハヌちゃんは」
いつから気づいてたん
呆然としながら私が尋ねると
ヨンちゃんはまっすぐ私の眼を見ながら
最初から気づいてたわと言って
静かに珈琲を飲みほした
何かが私の中で音を立てて割れた気がした
あかん
あかん あかん
あかん あかん あかん あかん
わたし これじゃ あかんのやわ
まだ 私はやるべきことをやってない
まだ全部終わってない
まだ この心臓が破れていない
「人」として生まれた私
「人」として精一杯やったのか
獣になるのはいつでもなれる
いま 私は人間としてやるべきことをやらなくてはいけない
獣になるのは後でいい
「あたし 今 薬 止める」
え と顔を上げたヨンちゃんへ
私は告げた
「痛みは友達や
それでいいことにするわ」
本当の自分との戦いが
そのとき始まった
----------------------------続く