今日テレビで初めて品種改良された粟をみた
田舎育ちの私は
幼い頃から稲作を身近にして育った
実家は兼業農家だけれど
今でもそれなりに米を作っていて
自分の家で消費する分だけではなく
近在の料理屋や喫茶店などあちこちお店に卸している
娘の私が言うのもなんだが
父の作る米は無農薬で美味しいらしく結構評判で
毎年予約ですべて売り切れてしまうのだ
幼い頃は まだ今のような
すべてが機械で済むような稲刈りじゃなかったので
稲刈りといえば子供なりに手伝いの手数に数えられたものだ
といってもたいしたことは出来ないので
機械の入れないところを鎌で刈ったり
ハザに稲をかける手伝いをしているつもりで邪魔をしていたり
3時のお茶のために家から
大きな薬缶をえっちらおっちら運んだりしていた
そうやってわずかでも手伝っていると
多少なりとも米を作ることがどれほど大変か
それなりにわかってくるものだ
特に夏の暑い日
かーっと晴れたかんかん照りの下
父は独り粟や稗を引いて歩いた
米をつくっているものにとって
雑穀はただの雑草で
いや ただどころか面倒極まりない邪魔者で
どんなことをしても生えてくる嫌われ者なのだ
ちょっとほって置くと
頭一つ分すぐ大きくなって稲の育ちを悪くする
まして 父も母も
雑穀には戦後の食糧難を思い出させる
田の草取りをした日は必ず
父も母も疲れで機嫌が悪かった
それがどうだろう
雑穀ブームも 最早ブームといえぬほど
すっかり定着した感のある昨今
粟も稗も黍も
雑草どころかすっかりもてはやされている
ご多分にもれず私も10年ほど前に
マクロビオティックにはまったと同時に
雑穀にはまっていて
私が高い黍や粟の餅を喜んで食べていると
母はいつもため息をついていた
「お母さんの子供時代には
それは乞食か お情けで雇ってる貧乏人にやるものやったに
そんな下品なもん あたしはよう食べれんわ」
今では粟も黍も
癒し・健康・エコのブームに乗っかって
すっかり表舞台に現れ一種箔をつけて高値で販売されている
しかし私は今日までまったく気がつかなかった
これだけ世の中に雑穀が溢れれば
雑穀が昔のままの姿でいるはずがないということを
テレビの中でみた粟は
通常の粟よりも随分と穂が大きく2~3倍はあろうかというものだった
実際収穫量は2倍なのだそうだ
雑穀が商業ベースに乗ることにより
より収穫量が高まるように品種改良されていくのは
雑穀といえど当たり前だったのである
元々粟はエノコログサを人間が改良を施したものとされているのだから
いまさら穂が巨大になったからといって驚くことはないのかもしれない
実際巨大な粟を見て私は
食料難の地域には救世主になるかもしれないと思った
けれどおそらくこの品種改良された粟は
飢えに苦しむ人のところにはいかないのだろう
改良粟は収穫量が倍増することにより
より農家にとって商品価値が高まる
そしてバイヤーはその改良の手間賃を払うことになる
米が余って捨てているこの日本では
わざわざ高値を出して改良された雑穀を買う日が来たのだ
日本の技術はすごい
飢える心配のない国では
どんどんと人の手により物事が変化していく
そのスピードは飢える国と比べたら一目瞭然だ
驚きをもって私はそれを見つめている
田舎育ちの私は
幼い頃から稲作を身近にして育った
実家は兼業農家だけれど
今でもそれなりに米を作っていて
自分の家で消費する分だけではなく
近在の料理屋や喫茶店などあちこちお店に卸している
娘の私が言うのもなんだが
父の作る米は無農薬で美味しいらしく結構評判で
毎年予約ですべて売り切れてしまうのだ
幼い頃は まだ今のような
すべてが機械で済むような稲刈りじゃなかったので
稲刈りといえば子供なりに手伝いの手数に数えられたものだ
といってもたいしたことは出来ないので
機械の入れないところを鎌で刈ったり
ハザに稲をかける手伝いをしているつもりで邪魔をしていたり
3時のお茶のために家から
大きな薬缶をえっちらおっちら運んだりしていた
そうやってわずかでも手伝っていると
多少なりとも米を作ることがどれほど大変か
それなりにわかってくるものだ
特に夏の暑い日
かーっと晴れたかんかん照りの下
父は独り粟や稗を引いて歩いた
米をつくっているものにとって
雑穀はただの雑草で
いや ただどころか面倒極まりない邪魔者で
どんなことをしても生えてくる嫌われ者なのだ
ちょっとほって置くと
頭一つ分すぐ大きくなって稲の育ちを悪くする
まして 父も母も
雑穀には戦後の食糧難を思い出させる
田の草取りをした日は必ず
父も母も疲れで機嫌が悪かった
それがどうだろう
雑穀ブームも 最早ブームといえぬほど
すっかり定着した感のある昨今
粟も稗も黍も
雑草どころかすっかりもてはやされている
ご多分にもれず私も10年ほど前に
マクロビオティックにはまったと同時に
雑穀にはまっていて
私が高い黍や粟の餅を喜んで食べていると
母はいつもため息をついていた
「お母さんの子供時代には
それは乞食か お情けで雇ってる貧乏人にやるものやったに
そんな下品なもん あたしはよう食べれんわ」
今では粟も黍も
癒し・健康・エコのブームに乗っかって
すっかり表舞台に現れ一種箔をつけて高値で販売されている
しかし私は今日までまったく気がつかなかった
これだけ世の中に雑穀が溢れれば
雑穀が昔のままの姿でいるはずがないということを
テレビの中でみた粟は
通常の粟よりも随分と穂が大きく2~3倍はあろうかというものだった
実際収穫量は2倍なのだそうだ
雑穀が商業ベースに乗ることにより
より収穫量が高まるように品種改良されていくのは
雑穀といえど当たり前だったのである
元々粟はエノコログサを人間が改良を施したものとされているのだから
いまさら穂が巨大になったからといって驚くことはないのかもしれない
実際巨大な粟を見て私は
食料難の地域には救世主になるかもしれないと思った
けれどおそらくこの品種改良された粟は
飢えに苦しむ人のところにはいかないのだろう
改良粟は収穫量が倍増することにより
より農家にとって商品価値が高まる
そしてバイヤーはその改良の手間賃を払うことになる
米が余って捨てているこの日本では
わざわざ高値を出して改良された雑穀を買う日が来たのだ
日本の技術はすごい
飢える心配のない国では
どんどんと人の手により物事が変化していく
そのスピードは飢える国と比べたら一目瞭然だ
驚きをもって私はそれを見つめている