1日の朝に見た夢を
昨日なんとなく記録として
ブログにアップしてみました
ふと、
たかだか夢なのに
深夜わざわざブログに書くという行為自体が
ちょっとらしくないなぁと
やたらに恥ずかしくなっている私です 

ところで
夢の記録日記をアップしてから
リンクしてくださっている
fu:fulさんの日記を読ませていただいて
コメントを書いているうちに
柳田國男を思い出し
なんだか懐かしくなり
思いを馳せるうちに
気が付いたら夢解きができたようです

私の夢解きについては割愛しますが
零落すると言うことについて
少しお話したいと思います

先日の日記にはうまく書けなかったけれども
飲み屋に居たあの人々は
見た目やにおいはどこと無く獣くさかったけれど
その皮をひとつめくれば
本能的で原始的な強力なエネルギー体であると
実は夢の中で感じていて
しかもその波長は私はもちろんのこと
龍や稲荷神とも
その芯(真)は
ある種同じものだと気が付いていました
しかし一番簡単に説明すれば
あの人達は「妖怪」と言う言葉が
一番イメージしやすい感じでした

ん・・・?
妖怪・・・?
そうです
ここでfu:fulさんの日記へ私が書いたコメントなのですが

>>そうそう、妖怪って精霊さんでしょ?

>えーと一応なんですが
>妖怪は零落した神様と言われていますね
>(柳田説には異論もあるようですが)
>一つ目小僧なんかは鍛冶屋の神様として
>天目一箇神というお名前のある神様でしたよん
>まぁ人が神と思えば神 
>精霊とすれば精霊ってとこなのかもですね 笑

妖怪とは柳田的民俗学で照らしてみれば
零落した神々なのです
つまり本来神さまなのです
時代が下るにつれて人々の信仰が薄れて
姿を変じた存在です
ここで私の書いた異論というのは
ご存知の小松説のことですが
私がカミコトで観じたものは
やはり柳田説のほうがより近いと思います
先ほど気になってネットで検索したところ

祭祀されたものが神であり
祭祀されなかったものが妖怪である

という柳田の言葉が出てきました
これは私が書いた
神と思えば神というところと
同一のことを指しているのではないでしょうか
つまり平たく言えば
善悪を規定しているのは他ならぬ
人間であるということです

私は以前より思っていることがあります
知覚できるすべての物事には
必ず両面性があるのです
同じ行為、同じ思いでも
心次第でそれは
愛にもなり強制にもなり
思いやりになり束縛になり
喜びになり苦しみになり・・・
それは人物でも物事でも
なんでもそうだと思うのです
そしてその姿をラべりングしているのは
他でもない人間だと言うことです
(大きいものの領域では「何もかも」なので
この規定すら飲み込まれています
それであえて「知覚できる」という言葉をいれました)

精妙なるその「振動」は
周波数によりある程度偏りが出るのは事実ですが
さらにそれを決定づけるのは人ではないでしょうか
つまり観測者(私たち)の
無意識の期待値(この場合知識としての善悪)が
結果を引き寄せる状態なわけです

(私のカミコト観を文字で示そうとするとき
一番分かりやすいのは実は量子論の本かもしれないです
私の脳みそで書こうとしても
どうしてもうまい言葉が出てこないので・・・
興味がある方はコチラをどうぞ→超弦理論wikiシュレーディンガーの猫wiki)

零落するということ
それ自体が人が作り上げたものではないでしょうか
それほど人の意識のチカラ(念と呼んでも良いのかもしれません)は
強いのだと思います
何よりも生きている人間ほど強力なものは無いのです
思うチカラの強さが
カタチを与えると言うこと
それは本当にすごいことだと思うのです・・・・