スピリチュアル・・・
精神世界や宗教的なことを今
この名前でくくって語る時代になりました
ネットを少し検索すれば
あふれんばかりのその手の情報が手に入ります
そして その発信されたものに触発された人がまた
自分の言葉として新たに発信をしていきます
けれど ときどき
疑問に思うことがあるのです
近頃では 自分の感情や欲望を「魂の声」と言って
闇雲に吐き出すことが流行しているように思えます
また そうすることにより
自分が受けた衝撃や傷を
第三者へ与えていることについては無頓着であり
目を向けることは拒否してしまう
ただただ 自分が傷ついたこと 自分がされたことを
修行だ 学びだ といって憚らなかったりする
自分の考えの偏狭さはうまくスピリチュアルで肯定しておいて
「自分を愛して認める」ことには一生懸命
他人のことはお構いなしで
いつも自分は被害者であると思い込む
自分が加害者であることは眼中にありはしないのです
もちろん 魂の世界において
本来加害者も被害者も存在はしませんが
自分を愛して認めるということは
第一に他人との境界をはっきり認めるということだと思うのです
決して他人を自分を気持ちよくさせるために動かすことではありません
流布しているスピリチュアル的なものの考え方は
きちんと受け取ればとても有意義であり
事実そうだといえる部分も多いでしょう
しかし その考え方も 薄い上澄みだけを汲み取り
都合よく解釈してしまえば
人を害する思想でしかない気がします
楽しい うれしい 心地いい
それだけを求めて
自分にとって都合のよい人 都合のよい行動 都合のよい解釈だけ
そして 「思いつき」をメッセージと思い込む
これらは 非常に危険であると感じています
そして今 その穴に落ち込んでしまって
目がくらんでしまっている人たちが
努力は必要ない
すべては必然である
不快なことは何かのせい
そんなことを語っている気がしています
前世も ガイドも ハイヤーセルフも天使も
自分を甘やかして我欲を肯定するための存在ではありません
私は 今 こう思います
スピリチュアルの持っている快楽に酔ってしまうのは危険です
自己を肯定するのには
何より客観性が必要なのです
スピリチュアルは
そのための手法をたくさん内包しています
どんなに優秀なバンドエイドも
貼りっぱなしでいたなら
皮膚はかぶれてしまうのです
精神世界や宗教的なことを今
この名前でくくって語る時代になりました
ネットを少し検索すれば
あふれんばかりのその手の情報が手に入ります
そして その発信されたものに触発された人がまた
自分の言葉として新たに発信をしていきます
けれど ときどき
疑問に思うことがあるのです
近頃では 自分の感情や欲望を「魂の声」と言って
闇雲に吐き出すことが流行しているように思えます
また そうすることにより
自分が受けた衝撃や傷を
第三者へ与えていることについては無頓着であり
目を向けることは拒否してしまう
ただただ 自分が傷ついたこと 自分がされたことを
修行だ 学びだ といって憚らなかったりする
自分の考えの偏狭さはうまくスピリチュアルで肯定しておいて
「自分を愛して認める」ことには一生懸命
他人のことはお構いなしで
いつも自分は被害者であると思い込む
自分が加害者であることは眼中にありはしないのです
もちろん 魂の世界において
本来加害者も被害者も存在はしませんが
自分を愛して認めるということは
第一に他人との境界をはっきり認めるということだと思うのです
決して他人を自分を気持ちよくさせるために動かすことではありません
流布しているスピリチュアル的なものの考え方は
きちんと受け取ればとても有意義であり
事実そうだといえる部分も多いでしょう
しかし その考え方も 薄い上澄みだけを汲み取り
都合よく解釈してしまえば
人を害する思想でしかない気がします
楽しい うれしい 心地いい
それだけを求めて
自分にとって都合のよい人 都合のよい行動 都合のよい解釈だけ
そして 「思いつき」をメッセージと思い込む
これらは 非常に危険であると感じています
そして今 その穴に落ち込んでしまって
目がくらんでしまっている人たちが
努力は必要ない
すべては必然である
不快なことは何かのせい
そんなことを語っている気がしています
前世も ガイドも ハイヤーセルフも天使も
自分を甘やかして我欲を肯定するための存在ではありません
私は 今 こう思います
スピリチュアルの持っている快楽に酔ってしまうのは危険です
自己を肯定するのには
何より客観性が必要なのです
スピリチュアルは
そのための手法をたくさん内包しています
どんなに優秀なバンドエイドも
貼りっぱなしでいたなら
皮膚はかぶれてしまうのです