倉廩実則知礼節、衣食足則知栄辱。
倉廩 ( そうりん ) 実ちて 則 ( すなわ ) ち礼節を知り、
衣食足りて則ち 栄辱 ( えいじょく ) を知る。
これは春秋時代の管仲の著した「管子」の中の
とても有名な一文です
後に斉の国の宰相となり
傑物として今に語り継がれることとなった管仲も
若き日は非常に貧しく
糊口をしのぐことが精一杯である生活をしており
(このことは これまた有名な「管鮑の交わり」で出てきますね )
その実体験から出たのがこの言葉だったのかもしれません
(以下私なりの意訳)
倉の中が米で満ち満ちてそして
国民は礼儀と節度が頭に思い浮かぶようになり
着る服や食べ物が十分に満足できる状態になってそして
人は名誉を重んじる心や恥を感じる心が湧いて表れるようになる
実際は管子の著作者は管仲を含む大勢であったと考えられており
この部分が本当に管仲だったのかは
今となってはわかりません
しかし この言葉は 本当だなぁと思うのです
よくマズローの欲求段階説とあわせて語られることが多いのですが
マズローは心にある欠乏欲求を充足することにより
成長欲求が現れると説きました
ここに言われる欠乏欲求というのはたとえば生理的欲求や
安全の欲求などであり
管子における「蔵」「衣食」がこれにあたるでしょう
つまり 今の日本においては
管子のいう倉廩 は 実ちて 衣食は足りており
マズローの言う生理的欲求
(生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求)や
安全の欲求 (衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求) は基本的に満たされているに近いでしょう
何しろ日本が現在飢饉の状態であるなどとはいえませんし
内戦状態もしくは戦時下で 常に爆撃にさらされているともいえませんし
全国的に大災害に見舞われて壊滅状態になっているわけでもありません
そういう状態が 戦後何十年続いてきた国なのですね
そういう状態の国に生まれたということ
それは まさに 悩め 苦悩せよ ということなのです
逆説的に聞こえるかもしれません
しかし 私はこう思います
命を害される危険が限りなく少なく そして飢えや寒さにも苦しまず
若さを保つこと 健康を保つこと 美しさを保つこと に力を注げる国の民は
それは もはやゴータマ・シッタールダと同じではないかと
現代の日本の私たちは みな 基本的な部分はほぼ満たされています
それが だんなさんの働きにせよ 親がかりにせよ 自力でにせよ
衣食が満ち足りていなければ欠乏欲求を満たすだけで
人生は過ぎ去ってしまうのです
しかし それがある程度満たされているということは
私たちはマズローのいうところの
所属と愛の欲求 (集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求 )
承認の欲求 (自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求 ) から
人生をスタートさせておりこれは
階段を二段飛ばしに飛んであがっているようなものだと思うのです
そんな妄想をしていると
とてもありがたいなと心のそこから思います
私が好きなだけ懊悩できるのも
今この国のこの時間に生きているおかげなのです
人は意識的に 自分で国を時間を選んで生まることはできません
(魂のレベルで多少の選択は可能ですが)
そういった物事を私は「宿命」と呼んでいます
自分を知るチャンスを 考えるチャンスを与えられたこと
そういう国に生まれたさだめに
ありがたいなと そう私はいつも感じているのです
倉廩 ( そうりん ) 実ちて 則 ( すなわ ) ち礼節を知り、
衣食足りて則ち 栄辱 ( えいじょく ) を知る。
これは春秋時代の管仲の著した「管子」の中の
とても有名な一文です
後に斉の国の宰相となり
傑物として今に語り継がれることとなった管仲も
若き日は非常に貧しく
糊口をしのぐことが精一杯である生活をしており
(このことは これまた有名な「管鮑の交わり」で出てきますね )
その実体験から出たのがこの言葉だったのかもしれません
(以下私なりの意訳)
倉の中が米で満ち満ちてそして
国民は礼儀と節度が頭に思い浮かぶようになり
着る服や食べ物が十分に満足できる状態になってそして
人は名誉を重んじる心や恥を感じる心が湧いて表れるようになる
実際は管子の著作者は管仲を含む大勢であったと考えられており
この部分が本当に管仲だったのかは
今となってはわかりません
しかし この言葉は 本当だなぁと思うのです
よくマズローの欲求段階説とあわせて語られることが多いのですが
マズローは心にある欠乏欲求を充足することにより
成長欲求が現れると説きました
ここに言われる欠乏欲求というのはたとえば生理的欲求や
安全の欲求などであり
管子における「蔵」「衣食」がこれにあたるでしょう
つまり 今の日本においては
管子のいう倉廩 は 実ちて 衣食は足りており
マズローの言う生理的欲求
(生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求)や
安全の欲求 (衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求) は基本的に満たされているに近いでしょう
何しろ日本が現在飢饉の状態であるなどとはいえませんし
内戦状態もしくは戦時下で 常に爆撃にさらされているともいえませんし
全国的に大災害に見舞われて壊滅状態になっているわけでもありません
そういう状態が 戦後何十年続いてきた国なのですね
そういう状態の国に生まれたということ
それは まさに 悩め 苦悩せよ ということなのです
逆説的に聞こえるかもしれません
しかし 私はこう思います
命を害される危険が限りなく少なく そして飢えや寒さにも苦しまず
若さを保つこと 健康を保つこと 美しさを保つこと に力を注げる国の民は
それは もはやゴータマ・シッタールダと同じではないかと
現代の日本の私たちは みな 基本的な部分はほぼ満たされています
それが だんなさんの働きにせよ 親がかりにせよ 自力でにせよ
衣食が満ち足りていなければ欠乏欲求を満たすだけで
人生は過ぎ去ってしまうのです
しかし それがある程度満たされているということは
私たちはマズローのいうところの
所属と愛の欲求 (集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求 )
承認の欲求 (自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求 ) から
人生をスタートさせておりこれは
階段を二段飛ばしに飛んであがっているようなものだと思うのです
そんな妄想をしていると
とてもありがたいなと心のそこから思います
私が好きなだけ懊悩できるのも
今この国のこの時間に生きているおかげなのです
人は意識的に 自分で国を時間を選んで生まることはできません
(魂のレベルで多少の選択は可能ですが)
そういった物事を私は「宿命」と呼んでいます
自分を知るチャンスを 考えるチャンスを与えられたこと
そういう国に生まれたさだめに
ありがたいなと そう私はいつも感じているのです