昨日私に話し掛けてきた老人が
問わず語りに語った不思議の話を書きとめておこう
老人の話は非常に早口で聞き取りにくかったため
記憶が曖昧なところはご容赦願いたいと思う
それは 子供に心を残して死んだ悲しい父の霊の物語だ
その老人の名は捨吉といった
捨吉は今から81年前 時は大正の初め
岐阜県は美濃地方のSという町で生まれた
捨吉の父親は与左衛門といい
木曽川を下っていくライン下りの船頭を務めていた
今でも急峻な流れと奇岩で目を楽しませることで
人気のあるライン下りなのだが
当時はまだダムが作られる前で
今よりもその川の流れは比べようもないほど激しくスリル満点であり
今では水に沈んでしまった世にも珍しい奇石が立ち並ぶ
一大絵巻を楽しむことができる人気の観光スポットだった
なにより大阪の新聞社が
当時のNO1スポットに選んだことも手伝って
いわゆるトレンディな遊びとして全国から人々が押しかけ
ライン下りを楽しんでいた時代である
与左衛門は激流の中を器用に船を操っては
お客を楽しませる観光船の船頭なのだった
ところが その頃のS町近辺には
ある奇妙な言い伝えが伝わっていた
船頭の家に赤ん坊が生まれると
その両親のどちらかが死ぬというものだった
それを避けるためには 生まれた赤ん坊の名前に
「捨て」をつけるという慣わしがあり
与左衛門夫婦は生まれた赤ん坊を片親の子供にしないようにと
慣わしにしたがって「捨吉」と名づけたのである
そして母は捨吉を抱いて木曽川のほとりへいき
その川岸にわざと置き去りにして
祖母がその赤ん坊を拾って帰るという風習を行った
これにより赤ん坊は本当の意味で「捨て」られたことになり
災いは封じられたことになるのであった
しかし なんということだろう
言い伝えは現実となり
父 与左衛門は捨吉が3つになったころ
中耳炎が元でこの世を去ってしまう
今際の際で与左衛門は
妻の手をしっかと握りしめ
「捨吉を頼む どうか捨吉を・・・」
そう何度も繰り返し続け
息をひきとった
ところが おそらく 与左衛門の女房がまだ若かったためなのか
捨吉は父が亡くなるや そのまま母と引き離され
父方の祖父母の家へと引き取られていくことになる
虫の息の父親があれほど頼んだ捨吉の母は
捨吉を自らの手で育てることはできないままに
他所へと嫁がされていったのではと想像される
こういったことは当時珍しいことではなかった
女は家の都合であっちへやられ こっちへやられした時代である
さて一方捨吉は
名古屋の祖父母の元
それなりに可愛がられ育っていった
ただひとつの悩みは その捨吉という名前
この名前のために捨吉は近所の子供達に
からかわれ 囃したてられ いじめられ
ほとほと嫌気がさす毎日を送っていた
何より片親にならないために付けられたはず名前だったが
何のことはない あっさりと父親は死んでしまったのだ
捨吉にとって自分の名前は最早いじめの材料でしかなく
父親を救えなかった無力さの象徴にも思えていた
こんな名前大嫌いだ
捨吉は顔も忘れてしまった亡き父のことを考えては
ひっそりと小さな胸を痛めていた
そんな捨吉が小学校にあがり3年経った頃
ある夜寝ていると夢を見た
夢の中で捨吉は見慣れた自分の部屋にいた
ふと入り口のふすまを見ると
すぅっとふすまが音もなく開き誰かが部屋へと入ってくる
その人は真っ白な柄の無い着物を着て
そっと捨吉のほうへ近づいてきたと思うと
その胸に捨吉を抱きしめた
誰?
ぎゅっと強い腕に抱きしめられながら
捨吉はじっとその顔をみた
悲しそうな瞳でじぃっと捨吉を見つめ掻き抱くその男の顔に
捨吉はまったく見覚えがなかった
しかし どうしてだろう
見覚えがないはずなのに その顔をみた瞬間
捨吉には分かってしまったのだ
おとうさん・・・・
夢の中で 捨吉を抱きしめているその人こそ
3歳で死に別れ顔も覚えていない父
与左衛門その人だと捨吉には
はっきりと分かっていたのである
おとうさん
与左衛門はただただじっと
我が子の捨吉を抱きしめていた
--------------------------------続く
問わず語りに語った不思議の話を書きとめておこう
老人の話は非常に早口で聞き取りにくかったため
記憶が曖昧なところはご容赦願いたいと思う
それは 子供に心を残して死んだ悲しい父の霊の物語だ
その老人の名は捨吉といった
捨吉は今から81年前 時は大正の初め
岐阜県は美濃地方のSという町で生まれた
捨吉の父親は与左衛門といい
木曽川を下っていくライン下りの船頭を務めていた
今でも急峻な流れと奇岩で目を楽しませることで
人気のあるライン下りなのだが
当時はまだダムが作られる前で
今よりもその川の流れは比べようもないほど激しくスリル満点であり
今では水に沈んでしまった世にも珍しい奇石が立ち並ぶ
一大絵巻を楽しむことができる人気の観光スポットだった
なにより大阪の新聞社が
当時のNO1スポットに選んだことも手伝って
いわゆるトレンディな遊びとして全国から人々が押しかけ
ライン下りを楽しんでいた時代である
与左衛門は激流の中を器用に船を操っては
お客を楽しませる観光船の船頭なのだった
ところが その頃のS町近辺には
ある奇妙な言い伝えが伝わっていた
船頭の家に赤ん坊が生まれると
その両親のどちらかが死ぬというものだった
それを避けるためには 生まれた赤ん坊の名前に
「捨て」をつけるという慣わしがあり
与左衛門夫婦は生まれた赤ん坊を片親の子供にしないようにと
慣わしにしたがって「捨吉」と名づけたのである
そして母は捨吉を抱いて木曽川のほとりへいき
その川岸にわざと置き去りにして
祖母がその赤ん坊を拾って帰るという風習を行った
これにより赤ん坊は本当の意味で「捨て」られたことになり
災いは封じられたことになるのであった
しかし なんということだろう
言い伝えは現実となり
父 与左衛門は捨吉が3つになったころ
中耳炎が元でこの世を去ってしまう
今際の際で与左衛門は
妻の手をしっかと握りしめ
「捨吉を頼む どうか捨吉を・・・」
そう何度も繰り返し続け
息をひきとった
ところが おそらく 与左衛門の女房がまだ若かったためなのか
捨吉は父が亡くなるや そのまま母と引き離され
父方の祖父母の家へと引き取られていくことになる
虫の息の父親があれほど頼んだ捨吉の母は
捨吉を自らの手で育てることはできないままに
他所へと嫁がされていったのではと想像される
こういったことは当時珍しいことではなかった
女は家の都合であっちへやられ こっちへやられした時代である
さて一方捨吉は
名古屋の祖父母の元
それなりに可愛がられ育っていった
ただひとつの悩みは その捨吉という名前
この名前のために捨吉は近所の子供達に
からかわれ 囃したてられ いじめられ
ほとほと嫌気がさす毎日を送っていた
何より片親にならないために付けられたはず名前だったが
何のことはない あっさりと父親は死んでしまったのだ
捨吉にとって自分の名前は最早いじめの材料でしかなく
父親を救えなかった無力さの象徴にも思えていた
こんな名前大嫌いだ
捨吉は顔も忘れてしまった亡き父のことを考えては
ひっそりと小さな胸を痛めていた
そんな捨吉が小学校にあがり3年経った頃
ある夜寝ていると夢を見た
夢の中で捨吉は見慣れた自分の部屋にいた
ふと入り口のふすまを見ると
すぅっとふすまが音もなく開き誰かが部屋へと入ってくる
その人は真っ白な柄の無い着物を着て
そっと捨吉のほうへ近づいてきたと思うと
その胸に捨吉を抱きしめた
誰?
ぎゅっと強い腕に抱きしめられながら
捨吉はじっとその顔をみた
悲しそうな瞳でじぃっと捨吉を見つめ掻き抱くその男の顔に
捨吉はまったく見覚えがなかった
しかし どうしてだろう
見覚えがないはずなのに その顔をみた瞬間
捨吉には分かってしまったのだ
おとうさん・・・・
夢の中で 捨吉を抱きしめているその人こそ
3歳で死に別れ顔も覚えていない父
与左衛門その人だと捨吉には
はっきりと分かっていたのである
おとうさん
与左衛門はただただじっと
我が子の捨吉を抱きしめていた
--------------------------------続く