先日久しぶりに本屋をぶらついていたら
雑誌コーナーに
「今すぐ前世がわかる本」というものが
置いてあるのが目に留まった
その瞬間私は
軽く度肝を抜かれた思いがした
こんな本が雑誌コーナーに
一般雑誌のようにあるということは
それほどに「今すぐ」前世が分かりたい人が
山ほどいるということだろうから

そういえば
私も前世の記憶かもしれないようなものが
あるにはあるのだが
これといって普段気にもしていない
記憶があって役にたったなぁと思ったのは
過去に一度あったくらいだ

前世に興味が無かったわけではないけれど
そういうことに関心があったのは
それこそ子供時代 それも中学生の頃で
大人になってからは前世というもの自体
考えることも無かった
それが ある日唐突に
いろんな過去の自分であろう記憶が
いくつか湧いてでてきたのである
かといって調べたわけでもないので
それが本当にいわゆる前世なのかは
証拠もなければ確証もない
自分自身でも
何の疑問も無くそれが過去の記憶だと
そう認識していることに
時々不思議な気持ちにはなっているのだが

私にとって前世の記憶(かもしれない)が
自分の力となったのは
進む道に思い惑ったときだった
その頃の私は
もっと修行のようなことを
私もしなくてはいけないのではないか とか
カミコトに対して
もっとはっきりと明確な答えを出したくて
そのために出来ることを思い悩んでいた

しかし どの方法を考えても
結局俗世から離脱する道しか浮かばずに
それは即ち
家族から離れ
一人遊行の道に入りたいという
有る意味逃避ともとれる願望だった
何故なら我が家は母子家庭であり
家庭を捨てるということは
即ち子供を捨てるということだったから
それが出来ないからこそ
私の道は苦しいのだと
行動に制限さえなければと
自分勝手な思いに捕らわれていた

しかしある日
私ははっとしたのだ

いくつかの過去生において
私は自分の家庭を持つことがなかった
それはあまりに私の肉体が醜く
家庭を持つことを自らあきらめていたり
女郎として暮らして
家庭を持ちたいのに持てないというものだったり
逆にかなりの金持ちの娘に生まれたのだが
行かず後家で終わったというものだったりした
またある人生においては
男性だった私はせっかく得た家庭から
自ら逐電した上
客死していたりする

旅に出た理由は簡単で
私は「真理」が知りたかったのだ
この世の謎 この世の秘密
知識の限界を超える快楽
私は「全て」を知りたかったのだ
そうそれは
あまりに偏狭な独りよがりの
「真理」でしかなかったのに

その思いは何十年も私を蝕んで
やがて「真理」のためには俗世を離れ
修行の道に出なければならないとの思いに
病みつかれていった
その頃の私には
家業に悩む妻子も
騒ぐ孫たちもただただうるさく
厭わしく疎ましいものでしかなくなっていたのだ

そしてある夜とうとう出奔し
二度とは家に戻らなかった
いや戻れなかった
家からはるかな旅の空の下
病の果てに行き倒れ
そうしてこと切れたのだから
最後の息を吐いたその時
ひどくわびしく後悔したことを覚えている

このときも
また醜いことで俗世を捨てた時も
私は何も得る事はできなかった
全てを捨てて
ただ真実との合一を果たさんとしたけれど
しょせんはそこまででしかなかった
あの物狂おしい思いの果て
死を迎えたとき
いつの時も私が最後に思うのは
私はいったい何をしていたのだろう
ということだったのだ

なんということだろう
これでは今回も同じではないか
いつもいつも私は
手をかえ品をかえ
一見違うように見える 
けれど実は 同じ道 を辿ってきたのだ
家族を捨て世間を捨て
修行三昧で過ぎたとて
私にはそれは違っていたのだ

その時から私は
この制限のある生活が私には
とても重要なのだと理解した
つまり私にとっての前世の記憶とは
もうひとつの道を選択させてくれるきかっけになった
どこで躓いたのかが理解できれば
今度は違った方法を試すことが出来るのだから
もしも今回のこの生き方が
また違っていたのなら
いずれかの人生できっと
また最善の道を模索する頼りになるんだろう
だからまず
時につらく苦しくても
前とは違った方法で
今の時間を生きてみよう
そう思い出したとき私は
なんだかひどく明るい気持ちになっていた


前世も過去生も
それは言い訳の材料ではない
誰かに何かをされたからとか
こんなひどい目にあったからとか
それは確かにそうなのかもしれないけれども
それでも全てもう終わったことだ
今ここに生きている意味
それはもう一度違う道を
選ぶチャンスがあるのだということ
今の自分をただ肯定するだけの理由にするのなら
そんな過去の記憶なんて知らない方が
かえっていいような気がするのだ
もしかしたら
それが前世を忘れて生まれて育つ意味なのかな
なんて 考えていた夏の日の午後
室温は既に36度を越えていた