ここのところどうやら自分の頭の整理整頓をしているようだ
久しぶりに関心向けているさまざまなもの
私は私の立ち位置を再び確認している

ヘーゲルの弁証法
バークリーの独我論

そこにある種の俯瞰図を感じ取る
私は自分が新たに現れたのではなく
連綿と続く意識の集積の結果のひとつであると

この世は「常」ではない
常でないこの世のなんと面白いことだろう
そしてその常でない世界を
私は諦観したいのだと思う
ただ 眺めていたい
そこに感情はなく
眺めていたい
この世の喜びを悲しみを
それは理の心なのか
いや
そこにはもはや心すらない
ただ 見る

それが愚かな私の愚かな願い
すなわち これぞ欲である




※もうひとつのブログより
ある命題(テーゼ=正)と、
それと矛盾する命題(アンチテーゼ=反対命題)、
もしくは、それを否定する反対の命題、
そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、
それによって必然的に己と対立するものを生み出す。
生み出したものと生み出されたものは
互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、
同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。
最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。
このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、
一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。
しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、
正に対立していた反もまた保存されているのである。
ドイツ語のアウフヘーベンは
「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、
互いに相反する二つの意味をもちあわせている。
なおカトリックではaufhebenは
上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)の意。
(wiki ヘーゲル弁証法抜粋)


東方神起 - 'O'正.反.合