母を看取ったとき
あたしは
妙にハイで
笑顔だった
疲れてたのと
少し安堵もあったような
何かが
麻痺してた
告別式前の
母の匂いは
かなりきつくなってて
こりゃ火葬しなきゃ
ヤバいでしょ!
なんて
友達に笑い話をした
、、、
自分を
今では悔いている
友達から
臭くて火葬しなきゃー
なんて言うから驚いた
と言われて
自分の
発した言葉なのに
泣きそうなくらい
傷ついたバカ
ごめんよ母さん
と
後から
いくつも思う
母に捧げた時間は
親族それぞれ
あたしは
送迎や
ご飯作ったりしたけど
見舞いにも
ほとんど行かない
親族がいたり
それにひきかえ
仕事を辞めて
母の介護に
時間を捧げた
孤独な
優しい男もいた
小さな頃から
ひとりぼっち
小学校低学年
学校で給食食べない
食べれない
うんちは漏らす
一切しゃべらない
だから
学校で見かけても
いつも
1人ぼっちだった
上の男きょうだいたちは
それを
かばうどころか
いじめてた
父親が大混乱ばかり
起こすから
子供の
心が育たない環境
母は
1人1人には
どうしても
手がとどかない
それでも
優しさだけは
感じたから
何とか
生きてこられた
孤独な男
そして
あたしも
母が亡くなって
数日後
お世話になった
病院や
介護士さんに
お礼と品を渡した
帰りに
介護士さんが
走ってきて
あたしに
お母さんの
自宅に行くと
いつも息子さんが
そばでサポートして
すごいなって
思ってたの!
だから
あの方にも
伝えてね
自分の幸せも
大切にしてね!って
母のそばを
ずっと離れず
下の世話をし
優しく励ます姿を
介護士さんたちも
見ていたから
感心もしたが
心配に
なったのだろう
あたしも
そう思っていた
母が病気になって
現れた孤独な男は
母がいなくなると
また黙って
寒い北国へと
消えていった
もう
会うことさえ
ないのかもしれない
そして
介護を
ほとんど協力しなかった
他の親族に
一時は苛立ちも
あったが
途中で気づいた
これは
あたしの
問題じゃなく
母とその人の
問題だと
あたしが
母のためにしたい事でも
その人には
そこまでしたくない思い
事情があるのかもしれない
見えないズレ
人の心にしか
分からないこと
介護の
揉め事あるあるですが
少なくとも
介護できた方が
幸せな人だった
そういうことです
ミスドは桜祭り🌸
関東は
高校合格発表
沖縄は
これから受験
お疲れ様です
今日も
よんなー
よんなーでね👋