本が格差を固定する
本格的に本が売れない時代になったといわれます。
英国のような階級社会では、読書層と非読書層とは明快に分かれていて、それが格差を固定する役割も果たしています。
日本は、そこは柔軟ですので、スポーツ新聞やゴシップ週刊誌くらいしか手に取らなかった人も、ある日突然、不動産投資本を読んだりします。
それでも、本を買う層は確実に減っている。
一方で、PCやスマホで読書体験に近い情報収集をする人は格段に増えています。
ゴシップ雑誌Loveの人が、体系だったリーダーシップのノウハウに触れる機会が偶然のクリックから生まれているともいえます。
また、新刊本を買わなくとも、ブックオフやアマゾンマーケットプレイスで「回読」人口に加わる人びとも膨大。
つまり、なんだかんだで読書体験=活字接触の機会は増大している。
それでも、本のありがたみは貴重ですね。
学びて思わざれば即ちくらく、思いて学ばざれば即ちあやうし
専門家が考えを煮詰めた成果や実例、実体験を、ほんの千数百円で手にすることができる。
人生やビジネスに、これを活用しない選択肢はありえません。
本を手に取らなければ、私たちの立ち位置は昨日と同じまま。
もともと日本人はおしゃべりではなく、余計なことを話さない人が信頼される傾向にあります。
これが南米や南欧(イタリア、スペインなど)、アジアならフィリピン人などは、人が近くにいたらずっーとしゃべり続けているのが普通です。
つまり活字ではなく、口コミの情報比重が非常に大きい。
これに対して日本では、口コミ情報は比較する限り限定的です。SNSは拡大しつつありますが、絶対的な情報量は多くありません。
口コミは、しょせん口コミであり、無責任なものです。
上記のおしゃべりな国々の経済、財政状況を鑑みれば明らかです。
私のようなおじさんになれば、本から得られる新情報・ノウハウは相対的に漸減していきます。
それでも、私は毎日、読書する。
大東亜戦争が終結した直後、「本が読みたい、目がつぶれるほど活字が読みたい」という人びとがたくさんいました。
その熱量を、いま私たちも。