今日も元気。明日無事本退院を迎えます。


もう入院の予定がないだけでこんなに嬉しいとは。



退院時にもう何も考える事なく余裕を持って家で過ごせる幸せさを噛み締めたい。


最後に私の闘病記をまとめます。



病気が分かったのは5月初旬の事。

4月中旬に念願の1人旅を控えていたので3月から軽いダイエットをしていました。

1ヶ月で3キロ程絞ろうと予定していたのですが、10キロ落ちました。変だなとは思っていたのですがこれが異変に気付く始まりでした。

無事に旅行を終え4月末ごろに扁桃炎咽頭炎を発症したのですが1週間以上熱や体調不良が続き酷い立ちくらみなどもありダイエットの影響で低血糖が酷いのかと考えたりしましたが、5月上旬仕事中に酷い立ちくらみと血の気が引いていく感覚が急に襲って来てすぐ病院へ。酷い貧血があるので体内のどこかが出血してる可能性が高く胃カメラやるとのことで予約日まで自宅待機でしたが、受診翌日病院から電話があり血液検査で白血病細胞である芽球(未発達の血球)が確認され急性白血病の可能性が非常に高いので急いで入院準備をし来て下さいと連絡がありました。



本来、焦ったり怖くなったりするものですが、不思議な感覚で『なーんだ白血病か』みたいな感覚でした。

私が高校生の時に父が同じ白血病で亡くなっているので、白血病という病気がどんなものか知っていたからだと思います。


父は亡くなっているけど自分は大丈夫という根拠のない自信があったのです。


その後フィラデルフィア染色体陽性急性混合性白血病の診断が確定し治療が始まるわけですが、主治医からは基本白血病は移植がすぐには要らない事が多いですがあなたの場合は出来るだけ早くしないと非常に予後が悪いと説明もあったのでドナーを血縁で探すか非血縁で探すかとそこも同時進行で進める事になったわけです。



そこからは約8ヶ月間の入退院の繰り返し。(各クールまとめは過去の投稿で)

無事に乗り越えた今、あっという間といった感覚が強いです。



移植も非血縁ながら白血球の型がフルマッチでラッキーが続きました。


母は父を亡くした白血病になった私を物凄く心配してましたがとにかく落ち着いて治った時のことを考えとけと毎日言っていたら前向きになってくれ一緒に戦ってくれました。



全4クール➕移植治療入院で全てにそれぞれの辛さがあったわけですが、基本的にいい意味で楽観視前向きでいくことを心がけていたら統計より順調に来てるので言霊や気持ちは闘病において本当に大事です。



この移植入院ですが、『最初入院時に2ヶ月で帰る。年末には家にいる予定で』と看護師さんと主治医に話したところバカにされ気味で笑われました。

無理だと決めつけられたのです。


でも毎日看護師さんにはしんどくない日は今日も絶好調だから他の患者に集中してと言って笑っていたり移植しながらいつ帰る?と話して驚かれたりしつつも前向きに過ごしていたら本当に丁度2ヶ月での退院が決定し今日は最初の頃バカにした看護師さんに本当に年末帰れるなんて信じられないと有言実行凄いマジで笑ってごめんと謝られました。アンケートに文句書いたると冗談言いつつ笑ってました。

非血縁間造血幹細胞移植入院では同病院で最短入院記録を作ったみたいです。大学病院の記録保持者ですわ笑



これからは、自宅で薬剤療法で様子を見つつ半年から一年かけて減薬し徐々に社会復帰に向けて療養します。

免疫抑制剤が終わらないと地元に帰省もできないですし仕事も無理なので免疫抑制剤服用中は体力向上に向けてリハビリを頑張って終了後すぐ帰省。

その後しっかり体力をつけて夏頃の仕事復帰を目指します。。

また、夏頃はまだ厳しいとコーディネーターの方が言ってきますが黙れと心の中で思って頑張ります。

統計データなんか知らん、とね。



移植したとは言え、再発率は20%あります。

最初の一年が最も高く三年再発がなければ可能性はほぼなし。

5年何もなければ無事完全寛解になります。まだあと5年も気を使うのかと気が遠くなりますが一旦言わせて下さい。



白血病に勝ったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

乗り越えたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!



辛い抗がん剤も検査もありません。

よく頑張った俺。偉いぞ。



23歳で発症しある程度自分の価値観がある中での病気でしたが乗り越えた今以前とは全然違う考え方、価値観をプラスで持つことができました。

人がなかなか経験しないことを乗り越えるだけでしたがいつかこの病気になって良かった。この期間があって良かったと報われる日が来ることを祈ってますし報われて欲しいです。



長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。

もう再発など大きな事があるまでは投稿しません。

拙い文章で醜い発言などがあったかもしれない記録ようのブログでしたが今までありがとうございました。


それでは。