名門PL学園野球部の休部に心を痛める戦士がここにもいるそれが福留孝介
高卒1位として歴代1位の7球団指名
球界を賑わせた清原容疑者のニュースに続いて、PL学園の野球部休部が決定。
春夏の甲子園を7度も制した名門の歴史の幕が下りようとしています。
数々のプロ野球選手を輩出し昨年トラを牽引した福留孝介もその一人です。
このベテランにスポットをあててみます。
名門校でも1年秋から4番を打ち、その実力はすでに開花していました。ポジションは
ショートで、自らがあこがれていたあの立浪選手を彷彿させるバッティングには当時
から定評がありました。そしてその評価は、ドラフトによって証明されます。
なんと清原氏の6球団を上回る歴代1位の7球団から1位指名されました。当時の近鉄
バッファローズが交渉権獲得するも、結局その指名をけって社会人へ進みました。
社会人時代も結果を残し続け、オリンピックで銀メダル獲得の原動力にもなりました。
その後、19998年のドラフトでは中日を逆指名してドラフト1位で入団します。背中を
追い続けていた立浪選手と同じユニフォームを着ることになります。
立浪氏を高卒1年目ルーキーの時から起用していた星野監督であったため、福留選手も
どんどんチャンスを与えられ、バットで片鱗を見せます。しかし、立浪選手と異なって
いたのは守備力であり、残念ながらプロの遊撃手では使い続けることができません。
入団4年目の2002年には本格的に外野にコンバートされますが、結果的にはこれが吉と
出ました。この年守備の不安が無くなると、打撃に磨きがかかり首位打者をとるまでに
成長します。
この首位打者は、あの松井秀喜選手の3冠王を阻む意味あるものでした。この年が最も
三冠王獲得に近かった松井選手、本当に惜しかったです。その後は、中日のクリーンナップ
に長年座り、首位打者2回、MVP1回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞5回と誰もが
認める中心選手になりました。
その後夢でもあった大リーグ挑戦5年を経て、2013年には3年契約で阪神と契約して日本復帰します。
輝きを取り戻した2015年
阪神での最初の2年間は、とても期待通りの活躍とはいきませんでした。特に1年目は加齢から
くる衰え、怪我も重なりかつての首位打者の面影は見られません。なんと打率が2割にも
満たない結果に終わります。
2年目もようやく3ケタの出場ができるなど、前年よりは活躍するものの、もう福留は終わりか
と思ったくらいです。ところが昨年は阪神の水に慣れたのか、契約最終年による発奮なのか
見事に打線を引っ張ってくれました。
主に3番として、打率.281、20本塁打・76打点と打撃3部門でチーム最高の成績を記録します。
これでチーム最高の数字と言うのが寂しい限りですが、中日時代の勝負強さが戻った感がありました。
9年ぶりにベストナインとゴールデングラブ賞も取り戻します。かつての30本100打点まではさすがに
望めないまでも、金本新体制においても3番ライト福留は不動のレギュラーとして当初から名前が
挙がっています。
あと67安打に迫った日米通算2,000本安打を前半戦で達成して、昨年同様の活躍を期待していますが
やはり38歳。一番怖いのは、怪我でしょう。ただ契約最終年に最高の成績を残すあたりは、まるで
大リーグ選手のようです。
2016年は1年契約、つまり後がありませんので同じ気持ちで頑張ってくれるでしょう。