人気blogランキングは?  毎夜、毎夜、脈絡のない多くの夢をみる。…尾籠な話ではあるが、頻繁に起こる尿意は、いかんともしがたい。半ば無理矢理起こされ、繰り返しベッドに潜り込む度に、新たな夢を見始めるのである。
 ご丁寧にも、たまに“連ドラ”のようにつづきがあったりもするが、大抵は、“オムニバス”であり、印象的な映像をつなげたような“フラッシュ”である。
 いやはや、寄る歳並みのせいだろうか。…が、それはちょっと癪なので、主治医の処方してくれた、いくつもの薬を飲んでいるせいにしている。ウン、恐らくそうに違いない。
 ほとんど、極楽ノーテンキなオプティミストで、おまけにナルシストな私は、このところ、そんな夢を、まったく姑息なことだが、まるで“シネコンをはしごする”ように、「こりゃめっけもの!」だと…まッ、アカデミーを受賞するようなものは、さすがにないけれど…楽しんだりしているのだ。
 これぞ“新境地”、うるさいカミさんに、一切、邪魔されることもない、奇想天外、摩訶不思議、思わず「寄ってらっしゃい!観てらっしゃい!」と呼び込みの声をかけたくなりそうなほど、掛け値なしの、まさに“夢”の世界。…まァ、なんといじましい楽しみだろうか。
 挙げ句、そこから、ひょいと「あちら側」に行けたら、これほどステキなことはないなどと思ったりもする。
 ところで、こんな与太話をしようと思って、書き始めたのではなかった。…実は、『“夏木マリの虚実皮膜論”は、あなたのような世代には、まさしくそうだろうが、私たち若い世代には全くもって理解できません』と、反論が戻ってきたことだ。う~ん、そうだったのか、貴方たちは、今現在の等身大の「夏木マリ」をしか知らないのだからネ…。いやはやの冷や汗ものを、とくとくと披瀝してしまっていたというわけだ。
 さて、そこで…などと、明らかに逃げ足も早くテーマをそらすけれど…「ラテンの女王」と呼ばれてきた「坂本スミ子」さんを、私ごときが、“おスミ”と馴れ馴れしいしいのには、ちょっとしたワケがある。
  パブクラブHOKIで、太地喜和子、坂本スミ子、ホキ德田   はじめて彼女に会ったのは、ホキ德田の「パブクラブHOKI」が
(C)JULIYA-坂本スミ子 LAにオープンしたばかりの頃だった。
 ホキと“おスミ”は、本当に仲が良かった。ホキにべったりだった私が、ごく自然に、彼女から身内っぽくみられたのも成り行きのようなものだった。
 ホキにならって、さすがに「さん付け」ではあったが、彼女をそう呼んでいたというわけだ。
 彼女たちより、ちょっと下の世代の私は、何でも言うことを聞いてくれ、感覚的に近くもあり、邪魔にもならない、手頃な“男”だったのだろうか…自ら恥ずかしさをこらえて、ぬけぬけと臆面もなく言うのは、かなり図々しいが、そう、“可愛がってもらった”というのが、当たっているのかもしれない。
 「ねェHIRO、おスミが、今度、お祝いに来てくれるのよ。それでお店で歌ってくれるっていうの。ちょっと手伝ってくれないかしら」…かくして、“おスミLA公演”の「音だし」を気軽に引き受けてしまったけれど、よくぞまァ、平気でそんな大層なことを…。
 当日の夕刻、LA、パブクラブHOKIのあるウェラコートの一角は、さすが“おスミ”一色に盛り上がった。
 と言うことは、私の役目も、なんとかやりおおせたのだろう。ショーの後、そのまままパーティになだれこんで、その勢いのまま、ホキと一緒に、ニューオータニのおスミの部屋に押しかけ、さらに何本もボトルを空けたことを覚えている。
 なにしろ、ホキもおスミも、聞きしに勝る、楽しい“酒豪”だった。
 しばらくして、おスミさんは、「楢山節考」(1983年・今村昌平監督)で、カンヌ女優になった(因みに巷では、同年、出品された大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の方が有力視されていた。カンヌに乗り込んだ監督とこの作品に出演していたビートたけしの姿が、今でも懐かしく思い出される)。…おスミさんは帰国後すぐ、ちょっとした事件に巻き込まれてしまうのだが、丁度その頃、偶然にも、私は、テレ東(当時、東京タワーのビルに本社があった)の玄関で、彼女にばったり出くわした。普段ない静かな話しぶりが気になった。
 「今度、ゆっくり会いたいわね、例のこともあるし…」
 例のこととは、LAにいた頃、何かの話の流れの中で、おスミさんが、私に“おスミの半生記”のようなものを「聞き書き」のような形で書かないかと言ってくれていたことだった。
 私は、本をだすことに、それほど色気はなかったけれど、内心“ドキュメンタリー”は作れると、ちょっと乗り気になっていたのだ。
 それに、帰国後の一騒動も、私の本職としての嗅覚を刺激していた。
 このことの顛末は、おスミさんが、あれほど華やかだった表舞台から姿を消したことで、雲散霧消してしまったけれど…。
 ところでそう言えば、伝説の人気番組「夢であいましょう」(1961年~・NHK)の主題歌を歌ったのは、おスミさんだった。私は確か中学生になったばかりで、白黒のブラウン管に映し出された彼女を、隠れてこっそり観ていたようなおぼろげな記憶がある。…いやまてよ、もしかしてそれは、このところ見る夢のフラッシュバックだったかもしれない…。
〔PHOTO:JULIYA MASAHIRO〕
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