人気blogランキングは?  夏木マリの“老け顔”は見たくない。たとえそれが、優れた特殊メイクのなせる技だとしてもだ。…NHK朝の連ドラ「カーネーション」の「糸子」である。
 例えば、まだ若かった“おスミ”…坂本スミ子(確か40才ぐらい)が、「楢山節考」(1983年今村昌平監督作品・カンヌ国際映画祭パルムドール受賞)で、見せてくれた70才の“おりん”とは、ちょっとワケが違う。
 ことわっておくが、「夏木マリ」は、私の好きな女優の一人だ。
 「男はつらいよ」では、“ゴクミ”のお母さん役をやったり、「千と千尋の神隠し」の“湯婆婆”の声をやって、とてもうまくはまっていた。(ちなみに、前者の映画では、メーキングをドキュメントしたTV番組を構成した)
 で、そんな私をして、なぜ、そう思わしめるのか?…おそらく、「虚実皮膜」(世阿弥の言うところの、その“単語”だけを拝借する)の「虚と実の“膜”」が、あまりにも薄すぎるからだろう。
 もちろん、ここで言う“膜”は、「糸子」と、等身大の「夏木マリ」の間にあるだろうものを、分かりやすく言ったまでのこと…。「糸子」は、「夏木マリ」が演じている役だが、「糸子」と「夏木マリ」の判別がつかなくなってしまうのだ。
 実は、そこまで役に徹しきれるというのは、とてもすごいことなのだが…。観る側が、薄い皮膜しか隔てるものがないために、虚と実を行きつ戻りつしていては、どうも視点の置き所がなく、“忘我”で楽しむなんてこともできはしないだろう。
 この論で言えば、“おスミ”と“おりん”の間の膜は分厚く、観る側にとっても、はっきりと虚実の判別がつくというワケだ。
 なかんずく、世はデジタル時代。女優が、年相応の顔を、鮮明に開示させられてしまうことから逃れられないのが、今の現実…意図するかしないかは別として、曖昧模糊としたブラウン管時代の画面精度に、これ幸いに身を隠したりなんてことはできなくなっている。
 だからまァ言ってみれば、ただ単に、「夏木マリ」を“素”で見るのがイヤなだけかもしれない。
 それにしても、「カーネーション」…「糸子」は、すっかり役にはまってきた「尾野真千子」が、最終回までやるものだとばかり期待していた。それほどに、この女優の化け具合は、「糸子」の生き方と重なって、興味をそそるものになってきていた。正直なところ、「尾野真千子」で、晩年の「糸子」を観てみたかった。
 そんな思いは、私に限らず、大方の視聴者が抱いていたものと勝手に断じさせていただく。だから、「夏木マリ」が、晩年を引き継ぐと、大々的なコマーシャルが打たれた時点で、誰しも(少なくとも、純粋無垢なる視聴者なら)きっと、「???」と疑問符の中で唖然としたに違いない。
 そのあたりのキャスティング騒動は、先刻ご存知のとおりだ。
 まずもって、「尾野真千子」と「夏木マリ」では、いかに老けたとて、イメージの落差がありすぎはしまいか。
でも、そんな引継劇や交代劇は、芝居の世界には、良くあることだから、一歩ゆずることもできるだろうが…。
 朝のNHKニュースからの流れで見ていた、それほど熱狂的ではない、平凡な視聴者の一人、しかし「のめりこむタイプ」の私だけれど、「夏木マリ」の上手すぎる芝居に、熱がこもればこもるほど、思わずチャンネルをザッピングして逃げたくなる衝動にかられてしまう。
 もしかして、そんな「夏木マリ」を、私の“生理”が、すなおに受けつけないだけかもしれない…。
 ホラ、この上もなくホットな相思相愛の男と女の関係に、なぜか突然降って湧く冷めた一瞬間の凍りつくような感情のそれに似たもの。あるいは、アンチエイジングの、ある種の後ろめたさを伴う(極めて個人的なことかも知れないが)イマジネーションのひろがりか…。
 曰わく、「デジタル時代の“皮膜”は厚く、現実と乖離すればするほど良い」…たぶん、そうに違いない。アナログ時代ですら、“おスミ”と“おりん”が、図らずもそうであったように…。
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