先頃、天に召された「マータイ」(環境保護活動家)さんと言えば、「MOTTAINAI」…「もったいない」キャンペーンを、世界に向けて展開し、この日本語を、今やどの国でも通じるようにしてしまった。実は、私にとっても、この言葉には、ちょっとした思い入れがあって、「母」と言えば、の「代名詞」のようなものである。
子供の頃から、年くった今になっても、食べ残しがほんの少しでもあれば、「もったいない」と言われ、テッシュ1枚使うのにも、エアコンのスイッチ入れるのにも言われ、数え上げたら、もうこれはキリがない。…が、そんな母だけれど、決して吝嗇(ケチ)というわけではなく、毎日ブリの刺身を食べ、初の旬物には目がなく、季節外れに庭師を呼ぶような人である。
逆らっても角が立つので、今は、気づかれないように、我がライフスタイルをこっそりと維持し続ける以外ないのだが、考えてみれば、母には、「もったいない」哲学のようなものがきっとあるのだろう。
確かに、「使い捨て商品」に象徴される「消費は美徳」「たくさん買ってどんどん使えば幸せになれる」と、そのために働きもし、ひたすら突っ走ってきた我ら団塊世代は、少々ぎこちない「自由」を御旗に、核家族を構成する中で、どうやら「もったいない」消費スタイルを営々と築き上げてきたのかもしれない。その挙げ句、経済活動や社会生活などあちこちで歪みや破綻が生じ、抜き差しならない「喪失感」に苛まれるようになった。
「sustainability」…「持続可能の」「持続可能性」ってことを言い始めたのは、たどり着いた現実から至極当然の帰結のような気がする。
いやはや、なんともおおざっぱな“括り”だけれど、そこへ、「TSUNAMI」「3.11」「FUKUSHIMA」…まさに急転直下の零状態に。いや現実認識としては、「もったいない」と思うモノやコトすらもないという零以下になってしまった。
有無を言わさずのリセットである。…またもや、やみくもに走り出す以外にないのか?…いや、そんなことはないはずだ。
誤解を恐れずに言えば、私たちには、何より貴重な「歴史」「経験」がある。「scrap and build」の真新しいスタートポイントがある。「sustainability」という、あらまほしき社会構想も持ちあわせている。そして、その原動力となる「希望」も、あちこちに芽生え始めている…。
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