編年体の歴史など数字がからんだものにはからっきし弱い私は、おまけに記憶力もいい加減ときているから、己の来し方を時系列で再びふり返るなどといった芸当なんてほとんどできやしない。
律儀に書いていた幼き日の絵日記ならともかく、日記や手帳やメモなど続いたためしがないのだから、今、何とか頼りになるのは、その時々に書いていた台本や雑文、はたまた、かろうじて残っている写真、OAした番組の埋もれたVHSぐらいだ。
それでもたまに、自ら命を絶ってしまった(?)三浦和義氏のような「存在」が現世を騒がせたりすると、80年代のLAを強引に、しかも鮮明に思い出したりすることがあるから不思議だ。
まッ、後代に名など残そうなんてことにほとんど無関心なわけで、ただただ心地よい「思い出」に浸りたいというのが、我が身勝手なこのところの願いなのだ。
「思い出」と言えば、LAにいたホキが、「きっと気に入るわ」と連れて行ってくれた、どこかホテルの最上階にあるクラブだったか、カウンターに並んで呟いた言葉が、あの声色のまま浮かんでくる。
「…これから、思い出だけで生きていけるわ…」
呟いた場が場なら、内心ニンマリしない男は、おそらくいないだろうが、「まだ幾花も咲かせようという女盛りのホキが言う言葉ではないだろうに…」と、若造の私は浅はかにも思った。
彼女が幾才になったのかは知らない…けれど、今の私よりもはるかに若かったことだけは確か…その頃すでに、私などのイマジネーションをはるかに超えた経験を「思い出」として持ち得ていたはず…それも星の数ほど質も量も…。
例えば、『文豪夫人の悪夢』(1986主婦の友社刊・85~86年「週刊読売」に連載)は、「彼女のいた世界」のすごさを、ホキならではの軽妙なタッチで日常的にサラリと描いてみせている。
60年~70年代のハリウッドやパリを舞台に、シナトラ、プレスリー、ディーン・マーティン、ローレンス・ダレル、ジャンヌ・モロー、ルシール・ポール、ジョン・レノン…etc.と無分別にあげただけでも、彼らが「お隣さん」として、次々と登場してくるわけだから、はなはだ別世界の様相…。
ところで、LAのホキ徳田邸の離れで、コロコロと太った猫たちと過ごす日々を送っていた私は、テレビの世界から置いてけぼりをくわないように、東京の仕事先と連絡をとりながら(当時、テレ朝のワイドショーの構成やクイズ番組のアンカーマンをやったり、NHKのラジオドラマを手がけたりしていた)、請け負った「ウェストコースト」のガイドブックの資料整理に飽きては、開店したばかりの“パブクラブHOKI”に顔を出して、タレント修行中の美青年たちが演ずる「ショータイム」の裏方を手伝ったりしていた。
だだっ広いLAは、車さえあれば極めてドラマチックに過ごすことができる街だった。
ホキだけでなく、LAで風をきっていたピアニストのミッシェルも、機嫌の良いときには、75年型シュトロエンを駆り出し、一人では到底行けないような店やクラブやディスコをフルコースで連れ回してくれたし、モノトーンが印象的だったステキな彼女の部屋に招き入れてくれたりもした。
その上、クラブの常連たちも、入ってすぐ左手にあるバーカウンターで一人グラスを傾けている私を、めざとく見つけては興味津々の体で誘い出してくれた。
思えば、“パブクラブHOKI”は、LAの雑多な人間たちの社交場(国も人種も超え、在住者も新参者も、若者も化石のような人もすべてが集える)の様相を呈していた。
カリフォルニア・マフィアなんて呼ばれていた当時の州知事ジェリー・ブラウンが、リンダ・ロンシュタットを連れてきたり、LAを訪れる芸能人・文化人、財界人など、まるでタレント年鑑や紳士録をめくるような具合にホキに会いにやって来た。
などと、書き出せば枝葉がいくらでも伸びていくように、それぞれの物語が始まるのだけれど…まァ、それは時の流れにまかせ、筆の運びにゆだねることにしよう…「思い出」なんてのは、できるだけゆっくりと浸ったほうが楽しめるものだから…。 (つづく)
〔PHOTO:HIROKODAMA〕
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