懐かしい軽~いジャズ好きの皆様・・・・・
いつも私の音楽を聴きにおいで頂いてアリガトウ。。。
「弾き語り」は高齢な私にとって、ピアノと歌と英語のセラピーであり遊びです。
まだまだ楽しむつもりです。 そして・・・・・
永年の、今や最後の願望 「ヘンリーミラーメモリアルハウスを東京に造り遺したい」
・・・をまた真面目に取り組み始めている今日この頃です。
短い近況とともに、ジャズピアニスト・ホキ徳田の「今月のスケジュール」が届く…そして、決まって「オッ元気でよかった…」とホッとする。そんな私に、ホキは、「まだ、いかないわよ!」と、あの“癒し声”で、変わらない微笑みを、きっと返してくるに違いない。
それにしてもこのところ、なぜかよくホキの夢を見る。まァ、どこか不思議なえにし(縁)でつながっているのだろう。
例えば、前世に人々が穏やかに暮らす小さな村があり、そのオサ(長)が目に入れても痛くないほど可愛がっている美しい(?)娘がホキならば、私は彼女に憧れ、かなえられない思いに鬱々としている紅顔の「歌詠み」くずれの美(?)青年…のような具合に…。
ホキとの出逢いも、あまりの鮮明さに目が醒めてしまう夢のようにありありと甦ってくるから不思議だ。それを、以前こんな風に書いたことがある。
『マダム・ミレール(ミラー夫人)に会えると、かなり緊張して打ち合わせにのぞんだ。しかし、会うなり「オッス!」と笑いかけた彼女に意表をつかれ、思わず和んでしまったことを覚えている。今まで出会ったことのない、年齢不詳でユニークなファッションとそのヘアスタイルに、ただただ「!?!?」の印象を抱いた。』
テレビ朝日が、まだ今のヒルズあたりにあった80年代に入ったばかりの頃、『女のひろば』という、当時は珍しかった女性キャスターをメインにすえた鳴り物入りのワイドショーが始まった。
すでに放送作家として独り立ちしていた私は、いつも目にかけていてくれたプロデューサーのN氏のはからいで、彼の担当する〇曜の枠を手伝った。話題になっていたり注目すべき生き方をしている女性を毎回一人ゲストとして招き、トークと取材VTRをからめながら進行するというもので、ワイドショーの構成をまるごと一本やるという大役に、かなりはりきって取り組んでいた。
そんなとき、LAからホキ徳田が帰国、その機会をとらえて我が番組に出演してもらった。ちょうど文豪ヘンリー・ミラーがこの世を去ってすぐのことで、このオンエアーはかなり注目されるものになった。
正直なところ、私は、卒論のためにしゃかりきに読み込んだことのある「ヘンリー・ミラー」の奥さんと話ができたというだけで、内心、宙に舞い上がりたいほどの気持ちだった。
しかもそれには、ちょっとした伏線のようなものがあった。私が現役受験生の時、たまたま新宿伊勢丹で「ヘンリー・ミラー絵画展」をみて、ズボズボになるほどのカルチャーショックを受けていたのだ。
文豪の描く自由奔放な絵の一枚一枚、文豪の風貌、さらに横尾忠則さんが手がけたポスター…と、十代だった私は立ち尽くす以外になかった…(今、我が家の壁面に並べられている絵は、すべてヘンリー・ミラー)。
このとき、ミラー夫人となっていたホキ徳田は、来日できない夫に代わって会場に姿を見せていたという。
ところで、私の番組に出演したり、新聞や週刊誌などの取材に大忙しだったホキは、しばらく日本にいて、再びLAに戻っていった。
彼女から一枚の簡単なハガキが届いたのは、それからそれほどの時はたっていなかった。
「もっとゆっくり話したかったネ」と短い言葉が添えられていた…。 (つづく)
〔PHOTO:HOKI TOKUDA〕
★ホキ徳田のスケジュールは【ホキ徳田のPrivate Room 】
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