このところ、「70's Oldies」が、ちょっとした“マイブーム”である。
1970年前後と言えば、安保の嵐、東大闘争や日大紛争が起こり、神田カルチェラタン、安田講堂に機動隊出動、前代未聞の東大入試中止、全学スト共闘の大隈講堂占拠や新宿西口広場反体制フォーク集会、ベ平連etc.と、 なんだか学内問題も、ベトナムも成田もなにもかもが「若きエネルギー」の向かう相手となって俎上にのせられた。
その頃、それらの行き着く先が何となく(あるいは、しっかりと)見えていた者も多く、タテカンが林立する中を、隊列組んで学内をデモる過激派諸君をちょっと流し目で見ながら、“ノンポリ”と蔑まされようと、“軟弱”と冷笑されようと、彼らは彼らで結構たくましく“我が闘争”を始めていたように思う。
「しらけ、いなおり、たくましく」と時代と抱き合いながら生きてきたが、なぜか世過ぎ身過ぎに「したたか」にはなれなかったというのが、私の「我が世代」への感慨(我が身顧みて)だけれど、一方では、それをむしろ良しとする「暗黙の了解」すらあったような気がしないでもない。
ところで、私ときたにら、ロックアウトされた我が学部の自主講座などに、デート中の女(それが、今のカミさんになるとは…)と出てみたり、“ペット”抱えて新宿界隈のジャズ喫茶に入り浸ったり(これでも、伝統のサークル“ニューオルリンズジャズクラブ”の末席をけがしていた時期がある)、まめにクラスの女の子たちに連絡をとってレポート提出も万事怠りなく、学生の本分もちゃんと律儀にこなしていたから小賢しい。
当時から、文を書いてはいた…たとえば下手な作詞は、フォークより演歌か、はたまた野坂昭如さんが好んで歌っていたようなちょっと危ない唄だった。
今思えば、要するに「ちょっと拗ねて気取っていた」だけなんだろうが、その頃から、まッ、歌うのはフォークなんかより“ド演歌”の方が肌にしっくりと合っていた。
この度の“マイブーム”というのは、「奇蹟の歌声」JEROクンのデビューが直接のきっかけとすると、レコードプレーヤーが手に入り、後生大事に持っていた、なつかしきドーナツ盤やLPが再び聴けるようになったのが極めて大きな原因。…それまで、手軽なプレーヤーはすっかりこの世から姿を消していると思ってあきらめていたが、さすがMADE IN CHINAである。
さらに、今どきのマシンというのは、簡単にCDやメモリーカードにコピーできてしまう優れもの。…松尾和子や西田佐知子、往年のピンキラや三善英史、都はるみに松坂慶子、リリィ、中島みゆき…あの頃はまっていた歌声がホントウニ甦ってくる。
「こいつはすごい!」と思ったけれど、“マイブーム”だなんだって楽しんでいる内はともかく、なんか違うのだ…あたりまえだが、それは、レコードから聞こえてくる歌声は当時のままだけれど、こちら側は充分に歳をくっている。もっと言えば、聴いて広がるイマジネーションの数も量も、確実に小さく広がりもなくなってきている。
それはつまり、聴く時点での未知なるものが、どれほどあるかの違いではないか。当時に比べすんなりと歌詞の意味が納得できたりするのがそのいい証拠だ。
胸の高鳴りも失せかけているというのが薄々気づいている痛い現実だけれど、考えようによっては、“悟りながら聴く演歌”の世界もまた乙なものか…。
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