この世に時として姿を現す「魑魅魍魎」は、意外と紳士のような面構えをして日向に跋扈していたりするものだから、きわめてやっかいな手合いなのだ。
と思いながらも、コロリと信じ込んでしまうあたりは「愚の骨頂」なのだけれど、これを巷では、自嘲気味に「正直者は馬鹿をみる」などと言う…。いや、何も私のことではありません。
さて、謝新曦氏らによって「沈城伝説」の夢をみさせてもらった「虎井島」だったが、私が関わってきた番組で「台湾もの」と呼んでいるジャンルで、もう一つ忘れられないのは、「新高山(ニイタカヤマ)ノボレ」とばかりに、台湾の最高峰・玉山(ユイシャン・標高3,952mとも3,997mとも)に、初めて日本のTVカメラを持ち込んでドキュメンタリーを撮ったことか。
これでも、学生時代に、いわゆる「カニ族(大きな黄色いリュックサックを背負い低予算の旅行や登山をした輩)」だった経験がある。その名も「歩行会(アルコウカイと呼ぶ)」というサークルの一員で、憧れて入った「ニューオルリンズジャズクラブ」で吹いていたペットは、半年もたたずに挫折したけれど、まッ歩くのだったら何とかついていけたというわけで、確か2年間ほど仲間たちと日本国内をあちこちと歩いた。
ところで、玉山は、日本時代(日清戦争により清朝が台湾を日本に割譲した1895年から第二次世界大戦後の1945年10月25日中華民国統治下に置かれるまで)に富士山よりも高い山ということで新高山と呼ばれ、日本人にもなじみ深い名山。…1985年4月6日には、玉山国家公園に指定され、軍事的な意味合いからも、1986年(昭和61年)当時は、入山にも政府の許可が必要で、さらにTVカメラを持ち込むとなると、誰でもが可能だったわけではなかった。 玉山頂上…宗次郎、王慶華親子を囲んだロケクルー
玉山に目をつけた私のために、入山してのTV取材許可をとりつけてくれたのは、早稲田大学の語研の留学生だった盧聰明(Toby・その後、京都大学大学院経済学研究科博士後期課程を修了し、三和総合研究所から、現在は、星城大学教授)。…実は、私の「台湾本」も、その多くは彼がいたから一冊にまとめられたといってよい。
話は少しそれるが、その盧聰明を紹介してくれたのは、当時、ニューヨーク大学から帰って、テレビ出演や執筆、はたまたパフォーマンス学会設立にと、八面六臂の活躍をし始めていた佐藤綾子氏(現在、社団法人パフォーマンス教育協会理事長・日本大学芸術学部研究所教授)である。
もちろんこの機会を生かさない手はないとばかりに、彼女は自らのパフォーマンス学を実証するがごとくの身のこなしで、「陣中見舞い」よろしく台湾までかけつけてくれ、現地のラジオに出演したり、私たちロケ隊を追っかけてきて、原住民の取材を根掘り葉掘りしたのはさすがというほかなかった。
ブヌン族のローナ村にかけつけてくれた佐藤女史と
さて、「ニイタカヤマにTVカメラを持ち込んで初取材できる」といっても、それだけで番組が成立するわけではない。
少なくとも民放に企画提案する以上は、「本邦初公開」というキャッチだけでなく、例えば「人間と自然とのからみ」や、ハラハラドキドキのドラマチックな「ひっぱり」などが必要で、レイティングをかせげなければどうしようもないと言われていた。
そこへ、宗次郎(オカリナ奏者・当時、NHK特集『大黄河』の音楽を担当し、レコードデビューしたばかりだった)の話を持ち出してきたのが、この企画のプロデューサーをかってでてくれた神田聰氏だった。
「宗次郎が新高山の頂上でオカリナを吹いたらどうだろう?」
「宗次郎に、台湾への興味(音楽関連)はあるのか?」
さっそくインタビューした宗次郎から、「オカリナは空気を耕す…新高山で吹いてみたい」「ムックリのような楽器はないのか?」などとうれしい話を聞き出せた。
「原住民が奏でる口琴(コウチン)は、ムックリと同種の楽器である」「宗次郎が、口琴とそれを奏でる原住民を探して、玉山を越える」というストーリーは成り立つのではないか。
「宗次郎一人でというのは、ちょっとムリ、道先案内人が必要だろう?」などと侃々諤々…。
当時の在京キー局は、それぞれドキュメンタリーの看板番組を持ち、様々な制作プロダクションがその枠での放送を競って、まさに群雄割拠の様相を呈していた。
この企画が、番組として成立することを、局のプロデューサーに説得できるように、どうしても目に見える形が欲しかった。
「シノプシスというよりシナリオで安心してもらう以外ない」…という神田氏の案を入れて、私は、ドキュメンタリーで考えてもみなかったシナリオを書くことになった(NHKあたりで、確かにドキュメンタリードラマという手法がでてきていたが、私としては後にも先にもない経験)。
そんな壁を乗り越えねばならない時に、私は、Tobyが紹介してくれた高雄に住むアマチュアカメラマン王慶華氏を思い出していた。彼の撮る写真の中に、山岳をテーマにしたものがあったことを覚えていたのだ。
「王さんに案内役をかってもらい、宗次郎と玉山に登ってもらおう」「王さんの息子も連れていってもらおう」などとストーリーを組み立てていった。
こうして登場人物を揃え、「あるやもしれぬ展開」を書いたところで、実際は「何が起こるやもしれぬドキュメント」である。
徒労に思えた作業ではあったが、「シナリオ作戦」が功を奏し、局からの「GOサイン」をもらい、私たちは勇躍、台湾に乗り込み、ディレクターは、私の書いたシナリオにとまどいながらも、快調にカメラをまわしつづけた。
ドキュメンタリーをいちいち追って語るのも無粋だ。
『秘境玉山夢紀行』とタイトルをつけ、「time21」(日本テレビ)でOAしたその作品は、不思議なことに、私の書いたシナリオに驚くほど近いものになっていたのはなぜなのだろう…。
宗次郎はブヌン族の口琴にあわせ
即興でオカリナを吹いた
口琴を探してたどり着いた村で、私は、日本人と台湾人の混成クルーとブヌン族の老若男女と一緒に、紹興酒をしこたま飲んで酔いつぶれ、見上げた天空に、存在感なく漂った…それは酩酊の故ではなかったと、今も私はかたくなに信じている。
〔PHOTO:DOMINANT LIMITED〕
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