人気blogランキングは?  あちこちのTV局に顔を出していたフリーランスとは名ばかりの私を、「まだまだフリーで仕事をするのは早すぎる」と、きっと“不憫”に思ったに違いないのだが、神田聰氏(現在、博宣インターナショナル代表取締役)が紹介してくれたのが、「1,000$パーティ」事務局だった。
 名古屋で、TV技術・機材関連企業を経営していたH氏が、林秀彦氏を中心とした人気シナリオライターたち(「五人の会」)の“思い”をバックアップする形で、私財の一部を投じて始めたオフィスだった。シナリオ・オークションというユニークな作家たちの試みを支持したのはもちろんだが、むしろ、落札された作品の製作を請け負いたいという目論見があったようだ。
 確かに当時、ボランティアでこの種のことに金を出すなんてのには“ウラ”がありそうだったけれど、私は、「1,000$パーティ」を、作家や脚本家たちの一種の“運動(ムーヴメント)”と捉えることにした。
 おかげで、普通ならとても面識を得ることなどできないような作家や脚本家、映画監督、プロデューサーなどに、事務局の名刺を持って、直接お話をさせていただくことができた。
 ニューオータニの部屋にお伺いした筒井康隆氏などは、30年近く時を経た今も、全てのシークェンスを再現できるほどである。

 1979年、第1回「1,000$パーティ」は、「五人の会」の面々がホストとなり、テレビ局、映画会社のプロデューサーたちを招いて開催した。マスコミ各社も予想外に集まり、パーティはひとまず盛況のうちに終わり、各紙・誌がかなりのスペースをさいて紹介してくれた。(当時のほとんどの資料は、第2回目からの事務局を引き継いだ私が今も保管している)
「1,000$賞」授賞式
 第1回「1,000$賞」受賞者の津田三郎氏(左)と

 林秀彦氏、中央は事務局の堀士女史


 第1回のオークションにかけられた主なものは、林秀彦氏の『生きるための情熱としての殺人』(シナリオ)、芥川賞作家・高橋三千綱氏(1978『九月の空』で受賞)の『天使を誘惑』(小説)の他、79年、第1回「1,000$賞」受賞作品となった津田三郎氏(現在、『秀吉・英雄伝説の軌跡 知られざる裏面史』『京都・戦国武将の寺をゆく』などを著して活躍)の『雑兵物語』などだった。
 『生きるための情熱としての殺人』は、「1,000$パーティ」での落札はなかったけれど、後も後の2001年になって、テレビ朝日系「金曜ナイトドラマ」枠で、全く関係ない形で日の目を見た。
 また、このオークションでの唯一の成果となったのは、『天使を誘惑』で、ホリ企の製作、配給は東宝で藤田敏八監督がメガホンをとって、79年12月に封切られた。奇しくも、“ももとも”(三浦友和・山口百恵)コンビ最後の映画となった作品である。
 ところで、ホリ企画制作による落札をうけて、私は、高橋三千綱氏との間を行き来することになったのだが、当時は今と違い、数社が原作を競い合ったり、原作権料に高額な先行投資する環境もなかったから、いくら原作者の側に立って交渉にあたっても“限度”というものがあった。今だから明かすが、原作料は、100万円。…芥川賞作家の原作というよりも“ももとも”作品としての売りの方が、比較にならないほどアピール力があったのだ。
 三千綱氏のマンションを訪ねる私の足は重かったけれど、彼は、事務局の手数料10%を差し引き、諸々の条件をのんだ上で、OKしてくれた。
 余談だが、この扱いに、内心忸怩たるものがあったのだろうか、83年に、彼自らの製作、監督、原作脚本で『真夜中のボクサー』(高橋三千綱事務所製作・東宝配給)を完成させている。
 「1,000$パーティ」事務局の得たものは、数字上では10万円。1,000$の半分(当時のレートで)にもならなかった。これで、製作に少しでも関われれば良かったようなものだが、「おいしいところ」は全て持って行かれたわけだから、H氏のへこみ方は想像に難くない。
 かくして、空中分解、雲散霧消直前だった「1,000$パーティ」事務局は、とある製作プロダクションが、まるごと引き継ぐことになる。私は、何だかこのまま終わらせたくないという使命感のようなものに突き動かされるように、事務局と共にその会社に籍を移し、1人で運営していくことにしたのだ。
 早急な結論を考えなければ、この製作プロは、日本の作家・脚本家集団とそのネットワークを、「濡れ手で粟」のごとく手に入れたことになるのだが…。それをどう使ったか? 私は“貝”になろう。

崔苔菁

 ところで、なんだか長い前説になってしまったが、私と台湾との関わりは、このH氏と大いに関係があるのだ。
 どういういきさつがあったか知るよしもないのだが、ある日、彼は台湾で目を付けた「崔愛蓮」という歌手を日本に招き、日本デビューを試みようとした。あらん限りのコネクションを使って、彼女とマネージャー役の母親(ママ)を連れ回したが、意気込みにあい相違して成果ははかばかしくなかった。
 かりにも「崔愛蓮」は、台湾では、すでにLPを何枚か出しているし、姉はトップスター「崔苔菁」である。 
崔苔菁

                                     
 日本で、新人扱いされることに耐えられなかったのか、愛蓮はホテルに引きこもってしまい、母親をも寄せ付けない状態になってしまった。
 「1,000$パーティ」事務局の仕事に、もとより関係はないが、H氏が、私を階下のコーヒーショップに呼んで、「ちょっとホテルに行って話を聞いてやってよ…やっぱり若い者の方がいいと思うんだよ」と困り果てたように頼んできたのだ。
 H氏に下心がなかったとは言えないだろうが、私とて、チラリと挨拶を交わした時、その愛くるしさに唾を飲み込んだくらいだった。        『台湾きまま旅行』より
 しぶしぶ、内心はドキドキとその役割を引き受けた私は、「赤坂東急」の彼女の部屋をノックした。…部屋での話はともかく(気が向いたら書くこともあるだろうが)、日本デビューをあきらめたママと愛蓮には、その後、台湾を訪れる度に会うことになる。

 数年前のことだったけれど、何かのいきさつで、当時の写真をカミさんに発見され、ことごとく破り捨てられてしまった。その愛蓮は、すでにこの世の女(ひと)ではなかった…。

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