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 70年代に向けて細い糸をほどきながらたぐり寄せると、おぼろげな記憶の中に突然やけに鮮明なシークェンスが現れてくる。

 きっとそれは、人が夢を見るのと同じようなフラッシュ再生なのだろうか。

 例えば、新宿MHの天井の隅にはりついたような楽屋から舞台を見下ろしている私の姿…。

 私に好意を寄せてくれたダンサーUの微笑み…。

 二丁目のはずれにあったカウンターバーのたたずまい…。

 最初、新宿MHの楽屋に案内してくれたのは、確かユートピアのホープだった。

 彼は、ピースと「ゴム紐」芸で少しは売れ始めていたころだったが、そんな彼を中心に集まってきたのはいずれも大きな夢を抱いていた若手芸人の面々だった。

 彼らが当時、師匠と仰いでいたのが、コントWベアーのレオナルド熊さんと天野良昭さんだった。Wベアーは、主として井上ひさしの書いたコントを彼ら流にアレンジして舞台にかけていたが、ニコリともしない「怒り芸」で笑いをとって確立したのは、熊さんが恐らく本邦初であった。天野さんは、当時から体の調子が思わしくなかった熊さんの、いわば女房役に徹していたのが印象的だった。

新宿-3  あのとき、天野さんがいなければ、後、TVなどでもてはやされた熊さんは、きっといなかったはずだ。

 私も、天野さんにはかわいがってもらった。当時、豊島園の「お化け屋敷」と呼ばれていたご自宅には何度もおじゃまして、「霊」に面会させてもらうなど、実に不思議なある種の「力」をもっている人だった。

 そもそも、私が、あの日活ロマンポルノの白川和子がデビューした劇団「赤と黒」の再生にからんだりしたのも彼に連れられてのことだった。

 劇団再出発の舞台が、「新宿アシベ」(60年代、GS時代に「ジャズ喫茶」として有名だった。現在も、ライヴハウス「新宿アシベホール」として残っている)をレストランシアターにするというプランだった。私は、よく分からないまま文芸部員の名刺をもらい、TVと舞台で「二足のわらじ」をはくことになったのだった。

 プログラムは、バラエティたっぷりに構成したもので、演劇を中心に歌あり、マジックあり、腹話術ありと、今思えば、かなりユニークであった。ユートピアもマギー司郎も、売り出したばかりのシーナ&ロケッツなども出演した。

 私は、なんだか古い台本を手渡され、今風にアレンジしてくれと頼まれたり(原本は「紅楼夢」であった)、宣伝ビラを作ったり、街頭に軽自動車で乗り出してスピーカーでがなり立てたりと、なんだかはちゃめちゃな毎日を送った。

 舞台衣裳を着けてスポーツ紙をメインに殴り込み訪問をしたせいか、今にして思えば、後々大きな仕事をしたという目端の利く才能豊かな人々が「見物」にやってきた。

新宿-1  しかし、活気があったのははじめだけ、レストランシアターという看板を掲げている以上は、飲み食いのサービスが必要で、所詮寄せ集めのスタッフばかりの厨房は大混乱するし、自称「音効のプロ」で加わった青年は、全く使いものにならなかったし、ダブルブッキングではかりにかける役者がいたり…!

 それでも、文芸部は、テアトルエコーの若手を集めて、つかこうへいからもらった「熱海殺人事件」などをかけさせたりしたのだが、客が呼べなければつぶれる以外にない。

 このてんやわんやは、一年も続かなかったが、私としては、多彩な人々との出会いと、本業のTVや、後、週刊誌などの取材に大いに役立つことになった。

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