4年ほど前、「優&愛」と名付けられた建物が、世田谷区桜上水に誕生した。
そこは、長年にわたって培ってきたパフォーマンス学(日常生活における自己表現→個の善性表現)の研究と教育の集大成を、地域に根を下ろして行うことを目指す道場だ。
日本におけるパフォーマンス学のパイオニア・佐藤綾子さん(47年、長野県生まれ。心理学博士・(社)パフォーマンス教育協会理事長)は、一言一言、言葉をかみしめるように、「優&愛」にかける思い語ってくれた。
「これから何十年かの後、私がおばあちゃんになっても、そこに座って、にっこりと微笑んでいるだけで、皆さんの励みになるような、そんな場所にしていきたいんです」
グローバル化の波
81年、ワイドショー番組「女のひろば」(テレビ朝日・女性が作る女性のための番組として司会に桐島洋子さんや下村満子さん、コメンテーターに篠田正浩さんなどが出演し注目を浴びた)に、メインゲストとして佐藤さんを招いた。
番組は、彼女がニューヨーク大学大学院への留学から帰国してすぐに書き上げた単行本『愛して学んで仕事して』(グラフ社)を、テーマにとりあげ、“女性の新しい生き方”を考えてみようという企画だった。
「ますますグローバル化が進む中で、万事控えめを美徳とするわが国の人々も、会話はもちろん、身ぶり手ぶり、アイコンタクトなど全身を使って、意志や考えを表現し、きちんと自らの考えや価値を相手に伝える必要がある。そんな人を一人でも多く増やしたいんです」
彼女は、その後、89年に、国際パフォーマンス研究所、92年には、産学共同体制の国際パフォーマンス学会を立ち上げ、97年には、社団法人パフォーマンス教育協会を設立させた。
今日まで、その著書は、百冊をゆうに越え、“生き方のバイブル”として多くの人々の共感を呼び、数々のベストセラーを生んでいる。
服装の二大効果
「あなたの仕事に不可欠な能力とは?」との問いを、サラリーマン(約1万7千人)にしたところ、全体の約4割の人が、「コミュニケーション能力」をあげたというアンケート結果がある。普通考えられる「リーダーシップ」や「体力」「業務経験」を抑えてのトップだった。
「日本人のパフォーマンスは、まだまだなんですね…コミュニケーションする時、言語で伝わるのは3割にすぎないんです。話すスピードや声の大小、表情や身ぶり手ぶり、服装の色や装身具など五感に訴える非言語が、7割も占めているんです。コミュニケーション能力を高めようと思ったら、この7割に注目すべきですね」
コミュニケイトする相手が直接受け入れる情報と言ったら、アイコンタクト(相手を見つめること)やスマイルなどの表情と服装は大切な要素だ。
「服装の効果に関しては、満足感などの“対自効果”と、この人であるという目印となる“対他効果”があります。それらをよく考え、簡単に服装を選ばないようにしたいですね。例えば、有名ブランドを身につける時は、ブランドを借りただけの自己表現にならないようにすることが大切です。装うのは、あくまでも生身の自分、普遍のセルフ(個)としての価値をしっかりと見定めなくてはいけません」
“Beauty is but skin-deep.”…美人も皮一重…美しい服も布一重の世界ということか。
様々な“白”が好き
“白い服”イコール“佐藤さん”というほど、仲間うちでは定番になっている。
「好きな色を着ているという心地良い満足感があることと、パフォーマンス学の視点でも、白には、清潔、誠実などの“対他効果”があるから、イメージが良いんです。また、白を着ることで、信頼感を伝達することができるし、いつも白を着ていると、私のトレードマークとして、存在のアピールもできる。…同じ白にも、アイヴォリーホワイト、ピュアーホワイト、ナチュラルホワイトなど何十種類もあるから、目的によって自由自在に着分けています。望んだイメージで気に入れば、まったく同じパターンで、同じ白の生地のものを5着作ったりもしますね」
初めて会った頃の彼女は、エネルギッシュなジャンポールゴルチェを自由に着こなし、それらを自らをふるいたたせるツールにしていたような感があった。それが、いつの頃からか、白系オンリーの装いになっていった。その変化は、彼女が「パフォーマンス学の理論構築と普及によって、社会に役立って生きよう」と思いを強くした過程と、軌を一にしているように思える。
確かに、白は、柔軟にどんな色でも受け入れられる。また、白い服を着ると、「私はあなたに共感します」というふうな気持ちを素直にアピールできそうだ。
既製品で白い服は星の数ほどあるが、彼女の「好きな生地」「好みのデザイン・シルエット」は容易に見つからないため、銀座マギーの本部に在籍するデザイナーの手によって、注文服をあつらえてきた。
生き方の原点
01年2月、彼女は博士号(心理学)を授与された。奇しくも同じ頃、最愛の母を失った…祝電と弔電、ご祝儀と香典が、時を同じくして届く巡り合わせに、深く自らに沈潜して行かざるを得なかったという。
若き日々を戦争の中で送り、中国大連から引き上げてきた母・五子(ゆきこ)さんは、よくミシンを踏んで洋服を作り、幼い彼女に着せては喜び、口癖のように「先生になりなさい」「本を書きなさい」と言ったそうだ。
五子さんは、娘を分身と信じ、夢を託された彼女は、母の思いをパワーの源とし、生き方の原点としてきた。
母の死も博士号の授与式も、“ハレの日”なのだと、自らを納得させるまでには、一定の時が必要だった。
「母は、他の人の役に立って生きることを幸せとする人だった。そうできなくなった自分に悩んでいたけれど、私には、そこに居てくれるだけで、何者にも代え難い存在として役に立っていたんです。母を失って、新たなパフォーマンスの視点が見えてきたんです」
パフォーマンス学の理論構築と普及にかけてきた30年になろうとするその歩みと、これからの夢が、脳裏をたおやかに去来しているのか、瞳と白い服が優しかった。
〔PHOTO:佐藤綾子提供 DOMINANT LIMITED〕《ファッショントークより》
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