ホキ徳田さんから、ディナーショー(Valentine Dayに贈る「懐かしのアメリカンソング」)の知らせが届いた。
「弾きがたりの元祖」のような存在だが、今も、その声はやさしく麗しく艶があり…そして癒される。
そういえば、彼女のことをこんな風に書いたことがあった。
Valentine Dayに贈る
ホキ徳田
懐かしのアメリカンソング
★07年2月14日(水) 19:00~21:00(18:30受付)
★アバコブライダルホール ヴィラ・フェリーチェ
(新宿区西早稲田2-3-11)
★会費 \8,000- お二人で \15,000-
(バイキング料理、フリードリンク付)
★お問い合わせは PHONE:03(3203)4122
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『北回帰線』や『セクサス』等の作者として世界的に知られる文豪ヘンリー・ミラーに、「東洋の美の神秘」と口説かれ続け、ついに“夫婦(みょうと)のちぎり”を交わしてしまった日本女性がいた。その幸運(?)な矢を射られたのが、ホキ徳田さん(東京上野生まれ)だ。
1967年、年の差もさることながら、ヘンリー・ミラーをメロメロにさせた「ホキって誰?」と、一躍世界のマスコミを賑わす“時の人”となった。
彼女は、天性のパーフェクト・ピッチ(絶対音感)を持っている。アルマ・カレッジ芸術科ピアノ専攻(カナダ)をトップの成績で卒業し、帰国後、コーラスグループ“スリーバブルス”を結成し、歌手、女優としてステージや映画、テレビなどで活躍した。
66年に、アメリカデビューを果たした彼女の人生は、文豪夫人になったことによって予期せぬ方向をたどり始める。
ハリウッドを舞台に自由奔放に飛び回った彼女は、文豪の晩年を一青年のもののごとく彩らせることになった。
85年、日本に戻ってきた彼女は、今、六本木にあるBOSTON・CAFÉの主として、旧友たちと飲んでは歌いの自由な暮らしを満喫している。
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その名は、ブランド“ホキ・トクダ”
「私のファッションは、One of a kind…世界にたった一つだけのもの…」
ヘアスタイルから、帽子、洋服、アクセサリー、シューズに至るまで、ハイセンスでいて奇想天外なスタイリングを見せてくれるホキさんだが、あえてコンセプトでくくるなら、「年齢不詳、国籍不明な装い」というところか。
もちろん、自らが装ってハッピーであることが大前提にある。
彼女が身につけるもの全てが、他に類を見ない個性豊かな作品で、感性あふれるブランド“ホキ・トクダ”そのものと言えよう。
「本当はピアノの練習より、切ったり、はったり、縫ったりの針仕事や、ビーズを使ってイヤリングを作ったりしている方が好き!」
時間があると、ピアノを弾く指先に針を持ち、手持ちの服や買ってきたものに、素敵なレースを縫いつけてみたり、共布を使ってスカーフや花をアレンジするなど、器用な手つきで、それらを“ホキ色”の逸品に塗りかえてしまう。
取材中、童女のように瞳を輝かせ、「ちょっと秘密なんだけど」と披露してくれたのは、引き出しのいっぱいついた宝石箱。中には、色鮮やかなハンドメイドのアクセサリーが所狭しと並んでいた。
ロサンゼルスにいた頃、彼女は、インペリアルガーデン(サンセット・ストリップにあったレストラン)とホテルニューオータニ(リトルトーキョー)に、ギフトショップ“HOKI”を持っていた。そこで扱っていた商品の中で、ひときわ人気があったのが、手作りの素朴なインディアン・ジュエリーだった。
トルコブルー、赤、白、ピンクと、色とりどりのビーズ刺繍が施された手作りのモカシン(かかとのない靴)や、シェミ・スキン(薄い皮革)製で、裾まわりや肩にフリンジがあしらわれ、パーツパーツに皮ひもがついたベストも並べられていた。
彼女のファッションは、ヘンリー・ミラーから大きな影響を受けたようだ。
彼は、晩年を暮らしたパシフィック・パリセーズ(ロサンゼルスの北西約20マイル)を、インディアンが求めた「平和と孤独」が保てる場所のようだと愛し、インディアンティストのおしゃれが好きだった。
「二人とも、LOVE&PEACEのヒッピーだったのね」
を使ったスタイリングがお見事!(70年代)
洋裁好きの血がうずく
「私の針仕事好きやファッションの好みは、きっと隔世遺伝のせいね」
ホキさんの祖母・那須志磨(夫・資次は、弓の名手・那須与一宗隆の34代目)は、上野広小路で“かなめや”という屋号の洋装店(クチュール)を営むかたわら、創作人形(オペラの蝶々夫人や、宝塚の人気スターを模して作られた“リリック人形”)の輸出も手がけたハイカラさんだった。50人ものお針子さんに、人気画家・中原淳一(雑誌「それいゆ」などを発行)をデザイナーとして抱えていたほどの繁盛店だった。
一方祖父は、札幌農学校(現北大農学部)のクラーク博士についてカナダに渡った後、サンフランシスコに15年間も暮らし、日本で初めて外車のセールスを成功させた敏腕家だった。
また、母・磨智子は、アルマ・カレッジ(ホキさんと同じ)を卒業した後、国際連盟の東京支局長を務めていた父・徳田六郎(エスペラント語の普及で著名)と結婚した、グローバル女性のさきがけのような才女だった。
彼女のファッションセンスと、世界を股にかけて飛び回る物怖じしないアクティブな性格は、その血筋のなせる技に違いない。
創作意欲が泉のごとく
「いつもフリーでいること、フェアーでデモクラティックであること、ベアー・ハート(裸の心)をさらけ出す勇気を持つことを、ヘンリーはごく自然に教えてくれたわ…」
彼女のファッションには、“ホキ・ワールド”とでも呼べそうな心地良い空間がある。
「おしゃれに大切なことは、何よりもセンスだと思うの。選ぶにしても良いテイスト(趣味)を感じさせるもの…“私っぽいな”と鏡に向かって微笑めればしめたものね」
このところ、再びトータルなおしゃれには欠かせないアクセサリー類を創作したいという意欲が湧いてきたと言う。
それらを購買につなげてくれるパートナーを募集中とか…。
こんな帽子とロングスカーフのコンビも作ってしまう
◇ ◇ ◇
「HENRY&HOKIブランドは、今が買いよ!
同じ物が一つとしてないオリジナル・アクセサリーをデザインして並べるの。私が手塩にかけたネッカチーフや帽子・小物も作るわ! どれもがOne of a kind…私のインスピレーションは涸れることがないわよ」
“ホキ・ワールド”は未だ健在である。
(PHOTO:篠山紀信 ホキ徳田提供 DOMINANT LIMITED)
《〈おしゃれ風見鶏〉より》
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