1981年…その年はロッキード裁判をめぐって政局が揺れ動き、翌年には奇っ怪なグリコ・森永事件が起こり、「ロス疑惑」騒動も始まった。
「アァ、思い出すねェ、ロスでのこと…」 十何年ぶりかに聞く受話器の向こうの声の主は、江森陽弘さん。
「日本人女性がロサンジェルスのダウンタウンで何者かに銃撃された事件(11月)」が起こったその時、彼と私は、そのダウンタウンにいた。
当時、「週刊朝日」副編集長だった江森氏は、すぐさま事件現場に飛び、第一報を本社に送った。
ホキ徳田さんへのインタビューを、彼女の経営するパブクラブでしていた時だった。リトルトーキョーのホテルニューオータニに隣接するウェラコートにあったその店は、日本企業の駐在員、日系米人、日本大好きのアメリカ人や留学生のたまり場となっていた。
「アァ、思い出すねェ、ロスでのこと…」 十何年ぶりかに聞く受話器の向こうの声の主は、江森陽弘さん。
「日本人女性がロサンジェルスのダウンタウンで何者かに銃撃された事件(11月)」が起こったその時、彼と私は、そのダウンタウンにいた。
当時、「週刊朝日」副編集長だった江森氏は、すぐさま事件現場に飛び、第一報を本社に送った。
ホキ徳田さんへのインタビューを、彼女の経営するパブクラブでしていた時だった。リトルトーキョーのホテルニューオータニに隣接するウェラコートにあったその店は、日本企業の駐在員、日系米人、日本大好きのアメリカ人や留学生のたまり場となっていた。
スクランブルに飛び交う情報交換の場にもなっていて、歌手の坂本スミ子さんや、女優の故大地喜和子さんなどの豪華な顔ぶれがそろうこともあった。
あっという間に過ぎ去っていった時を、なつかしく反芻しながら、何度も朝までお世話になったことのある江森家をお訪ねした。
あっという間に過ぎ去っていった時を、なつかしく反芻しながら、何度も朝までお世話になったことのある江森家をお訪ねした。
ジャーナリスト 江森陽弘 氏
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50歳は人生の折り返し点…25年間の新聞記者経験を、生かしていければと始めたテレビキャスター(テレビ朝日・江森陽弘モーニングショー)。プロの枠からはみ出した司会ぶりに、友人、知人ばかりか視聴者までをドキドキさせて、彼の名は一躍全国区となった。
朝日新聞編集委員として健筆をふるい、「聞書き(ききがき)」の名手と呼ばれた彼は、「金子光晴のラブレター」(ぺップ出版)、「乙羽信子どろんこ半生記」(朝日新聞社)、「越路吹雪その愛と歌と死」(朝日新聞社)などで独自の境地を開いた。
80年代後半にフリーとなり、講演や執筆活動を精力的にこなすかたわら、俳優としてもテレビに顔をだす。
現在、季刊誌「SOLA」編集長として、地球環境問題に取り組む他、「これからは人権習慣」(燦葉出版社)などで人権問題への発言も多い。
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ぼろは着てても、心は錦
江森さんのコートは、今や伝説となっている。
色は変わり、袖はボロボロ、布地はすり切れて糸状になり、風が吹こうものならヒラヒラとする。
日本で「刑事コロンボ」がTVに登場したのが70年代になってから。江森さんのボロボロ・コロンボ風コートのいでたちは、そのコロンボの登場よりもずっと早い、年季の入ったものだった。
「事件記者のキャップをしていた時にね、特ダネの金一封五千円が出て、うれしくって、銀座で買ったんだよ。なんたってコートについたシミがいとおしくてね。ラーメンやザルソバの汁に混じって、事件だ事故だ、やれ火事だっていう時の仕事の跡がついてる。現場でごろりと横になったとき染まったペンペン草の跡までついてるんだ。体にしっくり馴染んじゃっててね…。」
「ボロは着てても心は錦」…弊衣破帽のバンカラ学生時代を、「花は桜木、男は早稲田」で送った江森さんのまさに真骨頂、究極のおしゃれのエピソードだ。
スタイリングの転機
とにかく「紺」が好きで、おまけに「紺がよく似合ってステキ!」なんて、若い女の子たちにおべんちゃらを言われて、その気になって、気がつけば洋服ダンスの中は、半分近くが「紺」のオンパレード!
ところが、モーニングショーを始めた頃、フジテレビの露木茂さんが書いた「司会者の服装と視聴率の相関関係」という一文を見たのがきっかけで、さっそく実行に移した。
他の出演者との兼ね合いを考えながら色を変えてみたり、アクセントに赤系統のネクタイを買いそろえたりした。
元々、他人の目など気にする人ではない。とはいえ、テレビは、視聴者の目が、「神様の声」として冷酷な視聴率としてはじき出される世界である。
司会者としての衣装(局から衣装代が出る)は、「仕事中のユニフォーム」と、自らを納得させた。
そこで、「何着か見つくろって揃えて欲しい」と頼りにしたのが、長年、奥様ともどもひいきにしている東京町田市の専門店「メンズルートコヤマ」の社長小山和宏氏。
小山社長曰く「スタンドカラーのジャケットは、今でこそ多くの人が着ていますが、江森さんには、真っ先にチャレンジしてもらいました。とにかく、気に入ったものがあると、同じものを何着か買われるんです。私としては、色違いとかデザインの違うものを選んでもらいたいんですけど…テレビは、毎日同じというわけには行かないでしょうから。
本当を言うと、江森さんのおしゃれは、その人柄のままにいつも自然体なスタイリングが最もお似合いなんですが…。」
モーニングショーが、5年も続いている間に、お仕着せ衣装のみならずトレンドの先端をいく洋服までも、みごとに着こなし、彼のダンディぶりは巷に知れわたった。
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50歳は人生の折り返し点…25年間の新聞記者経験を、生かしていければと始めたテレビキャスター(テレビ朝日・江森陽弘モーニングショー)。プロの枠からはみ出した司会ぶりに、友人、知人ばかりか視聴者までをドキドキさせて、彼の名は一躍全国区となった。
朝日新聞編集委員として健筆をふるい、「聞書き(ききがき)」の名手と呼ばれた彼は、「金子光晴のラブレター」(ぺップ出版)、「乙羽信子どろんこ半生記」(朝日新聞社)、「越路吹雪その愛と歌と死」(朝日新聞社)などで独自の境地を開いた。
80年代後半にフリーとなり、講演や執筆活動を精力的にこなすかたわら、俳優としてもテレビに顔をだす。
現在、季刊誌「SOLA」編集長として、地球環境問題に取り組む他、「これからは人権習慣」(燦葉出版社)などで人権問題への発言も多い。
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ぼろは着てても、心は錦
江森さんのコートは、今や伝説となっている。
色は変わり、袖はボロボロ、布地はすり切れて糸状になり、風が吹こうものならヒラヒラとする。
日本で「刑事コロンボ」がTVに登場したのが70年代になってから。江森さんのボロボロ・コロンボ風コートのいでたちは、そのコロンボの登場よりもずっと早い、年季の入ったものだった。
「事件記者のキャップをしていた時にね、特ダネの金一封五千円が出て、うれしくって、銀座で買ったんだよ。なんたってコートについたシミがいとおしくてね。ラーメンやザルソバの汁に混じって、事件だ事故だ、やれ火事だっていう時の仕事の跡がついてる。現場でごろりと横になったとき染まったペンペン草の跡までついてるんだ。体にしっくり馴染んじゃっててね…。」
「ボロは着てても心は錦」…弊衣破帽のバンカラ学生時代を、「花は桜木、男は早稲田」で送った江森さんのまさに真骨頂、究極のおしゃれのエピソードだ。
スタイリングの転機
とにかく「紺」が好きで、おまけに「紺がよく似合ってステキ!」なんて、若い女の子たちにおべんちゃらを言われて、その気になって、気がつけば洋服ダンスの中は、半分近くが「紺」のオンパレード!
ところが、モーニングショーを始めた頃、フジテレビの露木茂さんが書いた「司会者の服装と視聴率の相関関係」という一文を見たのがきっかけで、さっそく実行に移した。
他の出演者との兼ね合いを考えながら色を変えてみたり、アクセントに赤系統のネクタイを買いそろえたりした。
元々、他人の目など気にする人ではない。とはいえ、テレビは、視聴者の目が、「神様の声」として冷酷な視聴率としてはじき出される世界である。
司会者としての衣装(局から衣装代が出る)は、「仕事中のユニフォーム」と、自らを納得させた。
そこで、「何着か見つくろって揃えて欲しい」と頼りにしたのが、長年、奥様ともどもひいきにしている東京町田市の専門店「メンズルートコヤマ」の社長小山和宏氏。
小山社長曰く「スタンドカラーのジャケットは、今でこそ多くの人が着ていますが、江森さんには、真っ先にチャレンジしてもらいました。とにかく、気に入ったものがあると、同じものを何着か買われるんです。私としては、色違いとかデザインの違うものを選んでもらいたいんですけど…テレビは、毎日同じというわけには行かないでしょうから。
本当を言うと、江森さんのおしゃれは、その人柄のままにいつも自然体なスタイリングが最もお似合いなんですが…。」
モーニングショーが、5年も続いている間に、お仕着せ衣装のみならずトレンドの先端をいく洋服までも、みごとに着こなし、彼のダンディぶりは巷に知れわたった。
江森さんのショッピング哲学
江森さんの好きなブランドやおしゃれ哲学を聞いたところ、売り手や作り手にとって、注目すべき思わぬヒントが浮かび上がってきた。
「ぶらりと歩いていて、ショーウィンドーに気に入ったものがあると、すぐに買っちゃうんだよ。値段もブランドも知ったこっちゃない。だから、僕みたいな者には、ディスプレイは重要だよ。ついついそそられちゃって買うんだよね。ところが買ってみると、結局ブランドに行き着くことが多いね。ランバンとかハーディエーミス、アカスキュータム、そして、ライカ…。
最初にこだわるってのは、まず色だね。シャツだと、絶対に柄物は選ばない。ノーマルなんだろうね…あったとしても柄の目立たないもの。
セーターなんかだと、ここ十年、モスグリーンやちょっと上品な赤なんてのも選ぶようになったね。良い色だったら赤でもいい。良い生地でなきゃ、良い色は出ない。だからライカの赤なんて好きだね。同じ紺ならちょっと紫がかった微妙な色合いの出せてるやつ。だけど最近、僕らの年代の選択肢が少なくなったとつくづく感じるね。実は最も優良で大きなマーケットになると思うんだけどな。」
メンズ市場の色やデザインが、このところおもしろ味に欠けているのは、私も同感である。もっと「個」を際立たせ、「個」をセンシティヴに輝かせる、「個」のエッセンスの品揃えがあってもよいのではないか?
この思いは、先の小山社長も力説していた。
おしゃれは楽しい
「おしゃれってのは、ひたすら自分のためにするんだよ。気に入った色や、しっくりとくる生地のものを選ぶことができ、自分にとって心地良いものを着ているんだ…という喜びは何にも代え難い。そういうおしゃれは、めちゃくちゃ楽しいね。
僕はナルシスト…大いなる自己満足の世界にいるのかもしれない。でも、これっておしゃれを楽しむには必要なことだと思うよ。他人の目など気にしない…たとえ年中同じものを着ているといわれてもいい。第三者が口出しできないような自分だけのおしゃれの世界と自信があるんだ。」
江森さんのおしゃれに対する自信…それは、歩んできた人生への自信でもある。
年を重ねるごとにおしゃれの楽しみ方も、さらに深みを増してきた。しかし、そのおしゃれへの思いの中に、彼があのボロボロコートに抱いていた「いとおしさ」は、今もなお忘れられていない。
〔PHOTO:DOMINANT LIMITED〕
《〈おしゃれ風見鶏〉より》
江森さんの好きなブランドやおしゃれ哲学を聞いたところ、売り手や作り手にとって、注目すべき思わぬヒントが浮かび上がってきた。
「ぶらりと歩いていて、ショーウィンドーに気に入ったものがあると、すぐに買っちゃうんだよ。値段もブランドも知ったこっちゃない。だから、僕みたいな者には、ディスプレイは重要だよ。ついついそそられちゃって買うんだよね。ところが買ってみると、結局ブランドに行き着くことが多いね。ランバンとかハーディエーミス、アカスキュータム、そして、ライカ…。
最初にこだわるってのは、まず色だね。シャツだと、絶対に柄物は選ばない。ノーマルなんだろうね…あったとしても柄の目立たないもの。
セーターなんかだと、ここ十年、モスグリーンやちょっと上品な赤なんてのも選ぶようになったね。良い色だったら赤でもいい。良い生地でなきゃ、良い色は出ない。だからライカの赤なんて好きだね。同じ紺ならちょっと紫がかった微妙な色合いの出せてるやつ。だけど最近、僕らの年代の選択肢が少なくなったとつくづく感じるね。実は最も優良で大きなマーケットになると思うんだけどな。」
メンズ市場の色やデザインが、このところおもしろ味に欠けているのは、私も同感である。もっと「個」を際立たせ、「個」をセンシティヴに輝かせる、「個」のエッセンスの品揃えがあってもよいのではないか?
この思いは、先の小山社長も力説していた。
おしゃれは楽しい
「おしゃれってのは、ひたすら自分のためにするんだよ。気に入った色や、しっくりとくる生地のものを選ぶことができ、自分にとって心地良いものを着ているんだ…という喜びは何にも代え難い。そういうおしゃれは、めちゃくちゃ楽しいね。
僕はナルシスト…大いなる自己満足の世界にいるのかもしれない。でも、これっておしゃれを楽しむには必要なことだと思うよ。他人の目など気にしない…たとえ年中同じものを着ているといわれてもいい。第三者が口出しできないような自分だけのおしゃれの世界と自信があるんだ。」
江森さんのおしゃれに対する自信…それは、歩んできた人生への自信でもある。
年を重ねるごとにおしゃれの楽しみ方も、さらに深みを増してきた。しかし、そのおしゃれへの思いの中に、彼があのボロボロコートに抱いていた「いとおしさ」は、今もなお忘れられていない。
〔PHOTO:DOMINANT LIMITED〕
《〈おしゃれ風見鶏〉より》
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