風の通り道

風の通り道

主にエッセイを発表します

 

 青いミカンを見て思い出すのは、運動会ではない。

 中沢けいさんの何かの小説に、ОLが仕事帰り、最寄り駅で降りて、八百屋で青いミカンを買い、茶色の紙袋に入れてもらったのを持ち買えるシーンだ。「海を感じる時」から始まって、「往きがけの空」くらいまでは読んだのだろうか。

 中沢さんの小説には、良く海が登場する。私は江ノ島を想像していたが、彼女の出身は、なんと千葉県の房総らしい。ついでに言うと、卒業した高校は「安房高校」で、ヨシキさんやトシさんと同じ高校である。よく見てみたら、生まれは横浜だそうだから、江ノ島を感じたのはあながち間違いではない。

 

「海を感じる時」を読んだのは、中学生の時。部屋がだんだん暗くなっていって、電気を点けなければならないのに、その動作すら面倒くさく、じりじりと窓辺に寄って行ったのを覚えている。

 本を読むことはずっと前から好きだったのだが、「海を感じる時」を読んで、私は書くこともしようと決めたのだ。いまだプロになれていないけれど、趣味としてもいい物だと思っている。

 

 私は買い物をする時、自分専用のレジカートとかご、かごバッグを使っている。肉や魚など、生鮮食品を買う時は、透明のビニール袋に入れてから、スーパーのかごに入れる。スーパーのかごは、マイレジかごの上に重ねて使う。

 スタッフの方に完璧に入れてもらうと、そのまま店を出ることができる。重い物も、多少かさばるものも、遠慮しないで買うことができる。とても便利である。

 

 でも、あの、茶色いかさかさとした紙袋が、たまに懐かしくなることがある。市場に、まるでないわけではない。薬局で女性商品を買った時など、紙袋に入れて渡されることがある。

 

 青いミカンは固くて、そのままでは食べられなかった。少し柔らかくなるまで待てば、夫にとってのおいしい時期を逃してしまう。私は、ミカンを真横に切った。花が咲いたような顔を見せる。まさに「ミカンの花」 

「おいしーい」

 夫は、二つのミカンをぺろりと平らげた。

 

 こんな一瞬も、いつか思い出になってしまうのだろう。

 

 茶色の紙袋に入った、青いミカンが欲しい、と思った。

 

 

 本の手放しは、今までに何度も行ってきた。ずっと、「もう、エネルギーを貰い終わった」と感じるものだけを選んできた。が、これからの住まいのことを考えると、さらに減らした方がいい、減らさなければと思った。

 そう思って先日、段ボールにして7つ分もの本を持って行ってもらった。

 

 ふと思う。洋服をたくさん持っている人が「服はたくさんあるのに、着るものがない」という言葉を見聞きしたことがないだろうか。我が家の場合「本はたくさんあるのに、読む本がない」ことに気づいた。お気に入りや、絶版本は別として、読み終わった本を再度読みたいのではなく、まだ読んだことがない本を読みたいのだ、ということに気づいたのだ。読みたくなったら、また買えばいい。

 

 私の場合、主に紙書籍を買っている。電子本も買うことはあるが、電子本だと古本が買えない。そして、読み終わった後売ることも出来ない。経済のことを考えると、どうしても紙書籍に軍配が上がる。

 

 しかし、スペースのことを考えると、電子が圧倒的に有利。

 いつか、もっともっと年を重ねて、シニアホームに入るようになった時でも、電子本なら、一冊も手放さずに読みたい本を読み返せる。

 

 紙書籍は最小限にして、いつかは電子本に切り替えていくのだろう。

 

 そう考えると、少し寂しい。

 

 

 スーパーの棚に、お米が並ぶようになった。今だ、人家族一袋までの張り紙はあるが、買おうと思えば買える状況にはなったのだなと胸をなでおろす。5キロ3000円が、今の相場みたいだ。少し前なら、2000円も出せば買えたのに、随分と高い。

 

 ネットの方も、少しは落ち着いてきたのだろうか。5キロ5000円以上なんてざら。「送料無料」と表示されているが、送料込みの値段だなと思ってみている。なので、送料込みでもこの値段はないでしょう、と思う。ネットで注文するのはやめて、地道にスーパーで買おう。

 

 並んだからと言って、安心していいのだろうか。来年の8月くらいにまた、すっからかんになってしまうのだろうか。不安は、尽きない。5キロ2000円くらいになるまで、地道に買い足していこうか。相場は、5キロ2000円。果たして、そんな日々が戻ってくるのだろうか。

 

 今日も、おいしいご飯を食べられることに感謝している。