【連載最終回】なぜ私はドラムを選んだのか?【終章・離】 | はの字4代目の「焼津でさつま揚げ作ってます。」

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大阪の一般家庭で生まれ育った僕が、
何の因果か今は静岡の焼津でさつま揚げを売ってます。
創業大正10年。「はの字」の4代目に2020年に就任しました。
2021年5月にアメブロ再開。仕事に関する事よりも、趣味の事等について書いていきます。今後ともどうぞよろしく。

【著者の影近影(2021年秋頃 実家の庭で自分影絵をして遊ぶ著者)】

 

いよいよ最終回です。

いきなり始めた私の話に長々とお付き合いいただきありがとうございました。

10月に入る前に終わらせる、という目標も達成できました。

私はこれからも人前で演奏する・しないという事に囚われず、

ドラムと付き合っていきたいと思います。

それでは最終話、どうぞご賞味下さい。<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

「YoungSS」を脱退した私は、同じく脱退したMさんに

もう一度、一緒に新しくバンドを始めませんか?と打診をしました。

Mさんは時間をかけて考えてくれて、一緒にバンドを立ち上げる事にしました。

その後メンバー探しに奔走し、何人かの方と顔合わせをして

なんとかバンドの体を成しはしたものの数カ月で頓挫してしまい、

改めてバンドを「誰とやるか」という事の大事さや、

その難しさを痛感する日々を送っていました。

 

そんなある日、「YoungSS」時代にお世話になっていた

下北沢CLUB251の店長Kさんから、私宛に電話が入りました。

 

「I君(私の旧姓)、今バンドやってる?」

「いえ、今はMさんと2人でどうしよっか、って話してるとこで、まだバンドらしい事は特に。」

「ならちょうど良かった。ちょうどギターとドラムを探してるバンドがいてさ。」

「そんなちょうどいいバンドが?!(笑)」

「そうそう。で、今度の日曜日にうちでライブやるから、よかったら2人で一緒に観に来てよ。

 君たちと合う気がするんだよね。」

「ありがとうございます。是非行かせてもらいます。」

 

という事で、私とMさんは週末にCLUB251へ、そのバンドのライブを観に行きました。

そのバンド「sleepydog」は、ギターボーカルのT君がリーダーを務め、

ベースのD君以外のメンバーは毎回サポートメンバーで活動をしている、との事。

ライブパフォーマンスも良く、キャッチーなメロディーラインが印象的なギターポップバンドで、

コミュ力抜群のT君は気さくで優しい男で、ベースのD君は陰キャタイプ故に私とも気が合いそうな感じ。

店長のKさんはよくよく私達の事を理解してくれていたのだと思いました。

ライブ後に挨拶を交わした後、まずは一緒に合わせてみてから考えよう、という事になり、

いくつかの楽曲が入ったデモ音源をもらい、数日後にスタジオで合わせる事になりました。

 

スタジオでの感触はとてもよく、T君もD君も是非メンバーになって欲しい、と言ってくれました。

色んな縁が繋がって、再び良いメンバーに巡り会えた事は私もとても嬉しかったのですが、

私はその頃既に、東京で過ごす事の出来る期間にリミットがあったのです。

その事はMさんにも言っていませんでした。

それを言ってしまうと、せっかくの話に水を差してしまう。

それでもリミットまで1年程度はあったため、

私は「よければサポートメンバーとして、是非一緒にやらせて欲しい。」と伝え、

Mさんも私とともにサポートメンバーとして入る事にし、T君とD君もそれを了承してくれました。


毎月2本程度のペースでライブを続け、

毎週のようにスタジオに入り、時には飲みに行ったり、

私は当時住んでいた中野坂上から下北沢までを、毎週楽器を担ぎ、

雨が降らない限りは歩いて通っていました。

当時、その行き帰りに何の苦も感じなかったのは、

もうすぐ離れる事が分かっている街の風景と、

そこを歩く時間に愛しさを感じていたからに他なりません。

 

恋人(今の妻です。)との結婚が決まっていた私にとって、

これが最後のバンドマンとしての生活になる。

今までは走りっぱなしで周りの事など見ている余裕は何もないと思っていたけれど、

こうして歩いてみると、今まで走ってきた中でもちゃんと景色は見ていた事、

ちゃんとそれらに愛着が湧いていた事に、

往復の道中になんだか目頭が熱くなってしまう事も幾度かありました。

 

T君達が「正式にメンバーになってくれればいいのに。」と何度も言ってくれた事に対し、

私はなかなかハッキリした返事が出来ずにいましたが、

彼らに急に迷惑をかけてしまうのも忍びない、と思い、

皆に私が活動できるリミットについて、ついに伝える事にしました。

 

「残念だ」と言ってくれた事に喜びを感じるのもおかしな話ですが、

それだけ私の事を認めてくれていた事が素直に嬉しく、

私が結婚する事も心からお祝いしてくれました。

残された期間の中で、私はライブの経験だけでなくシングルCDのリリースにも携わらせてもらい、

私のレコーディング経験の中でもベストテイクだったと自信を持って言える結果を残す事が出来、

そういった機会をくれた彼らに感謝せずにはいられませんでした。

 

活動期間の終盤、私はスタジオに足を運べなくなる程の憂鬱な精神状態に陥ってしまい、

彼らに結局迷惑をかけてしまいました。

新しい生活への期待と不安だけでなく、

「もうバンド生活に全てを割く事はないんだな。」という現実を受け止める事に対して、

私はあまりにも弱かったのです。

それでも次のドラマーの方が決まっていた事や、Mさんが正式加入する事も決まっていたため、

私はその時点で脱退をさせてもらい、彼らの活動を見守る事にしました。

 

そしてそれと同時に、私の東京でのバンド生活は幕を閉じたのです。

 

 

 

 

いくつもの出会いと別れ、というのは誰の人生にも訪れるものです。

私が最初に夢見た未来とは常に少し違う未来を歩き続け、

10代の頃の私がなりたかった私には終ぞなれませんでしたが、

バンドを始めてからの約10年に対して、不思議と後悔の気持ちはありません。

たくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人に支えてもらい、

自慢ではないけれど、そうそう出来ない経験をさせてもらったと思いますし、

それはちゃんと私の中で今でも鮮明に焼き付いています。

 

なぜ私はドラムを選んだのか?

 

「なぜ」ではなく、

私がドラムを選んだ「から」、こういう人生が待っていたのでしょう。

そしておそらく今も、

ドラムを選んだ私だからこそ歩める人生を歩んでいるのかもしれません。

 

最後に、敬愛するバンドGrapevineの名曲「風待ち」より、

この連載に相応しい一節を借りて締めさせてもらいたいと思います。

 

 

 

『目指すもののカタチは少しずつ変わってく

 まわりが思うほど じつはそんな器用じゃない

 

 ~~~

 

 みんな知らぬの間に時を過ごしてるのかな

 思い描いたとおり? だったかな

 また夏の感じがしました

 明日も晴れだったなら会いに行こうかな』

 

 

 

 

 

 

 

ご愛読ありがとうございました!服部先生の次回作にご期待下さい!

尚、単行本(上下巻)の発売予定はございません!