さてさて寺院巡りに入りますか。
前回の鈴虫寺から一路東へ走ります。次の場所は前に行った事があるのですが拝観休止になっておりました尼門跡寺院です。
何やら尼門跡寺院ばかりですが、たまたまです。
次は東の霊鑑寺です。
さて、ここ霊鑑寺に参詣に来たのも、実はある目的があっての事なんです。
以前、PCで般若寺の石像建築物についてインターネットを見ていたら、ここ
霊鑑寺に「般若寺型灯篭」が知らない方のBLOGにて載っていたのです。
その謎を解明すべくやってきたのですが、以前来た時はお休みでした。
どうやら春と秋しか拝観はしていないそうです。
そして再度、京都へ来たので電話をして聞きました。
するとラッキー!!やってました!!
無事に霊鑑寺までたどり着き、、、
受付を済ませ入口を入りますと、、、?
ありました!!「般若寺型」または「文殊型」と言われる灯篭です。
全く同じ。
火袋の装飾などは豪華な獅子、牡丹、鳳凰がほ彫られており。まさしくそうです。
間違いありません。
自分的にはこれがあって見れただけで満足なのですが、何故ここにあるのか?が知りたく僧侶の方に尋ねてみました。恐らく、住職さんではない若い方に尋ねたのですが、灯篭に関して質問するなんて、、、と変に思われたかもしれません(*_*;
灯篭に関してはあまりハッキリとした言われがあるわけではないそうで、帰って調べてみる事に、、、、
あまり深く聞いても嫌な拝観客と思われても嫌なので(*_*;
時たまいるんですよね。。。
お寺へ来て自分の知識を振りまこうとする厄介な人が、、、(苦笑)
充分、気持ちが分かりますので、、、(*_*;
この霊鑑寺は春と秋のシーズンのみ拝観可能だそうです。
お庭が綺麗で時に椿が咲くといっそう境内は華やかになるそうです!(^^)!もう少し遅ければ。。。
ここ霊鑑寺は臨済宗南禅寺派に属する門跡尼寺です。承応3年(1654)に後水尾天皇(ごみずおてんのう)が創建。皇女法身院宮宗澄を得度入寺させた事が始まりだそうです。明治維新までにも5人の皇族を入寺させ門跡尼寺と称しました。
本尊は如意輪観音像で、恵心僧都(えしんそうず)の作です。元は東の山中にあった如意寺の本尊だったと伝えられているそうです。
帰って灯篭について調べていますと、般若寺の般若寺型灯篭は江戸時代作で、こちらの灯篭も江戸時代中期作だそうです。
勿論同じ年代に制作されました。
ここからは自論ですが最初は明治の廃物捨釈などで多くの宝物が寺外に出された時に、どういった加減かで般若寺にあった灯篭が京都へ持ち出され、後に霊鑑寺に来たのかな。と勝手な予測をしていました。現に東京には般若寺の客殿が売りに出され高級料亭になっていたそうです。灯篭も料亭のお庭先あるとか・・・
と勝手な考えで思っていたのですが、、、
よくよく調べてみますと、江戸時代中期にこの般若寺型と言われる灯篭が大流行していたそうなんです。豪華な作りが京都の寺院の庭に合っていたのでしょう。豪華なイメージがこの時代の特徴を表しているそうです。
恐らく、その流行があってここ霊鑑寺でも制作されたと考えます。
本当のところはどうか分かりません。勝手な推測ですけどね(;'∀')
分からない所がまた面白いんです!(^^)!
まぁいずれにせよ、同じ灯篭がこんな由緒ある門跡尼寺にあるとは新しい発見です( *´艸`)
しかし、京都の観光寺院のお庭は葉っぱ一つ落ちてませんね。綺麗に手入れされてるんでしょうね~ご苦労様です(#^^#)
さて、ここで既に4時を回っていました。もう帰ろうかと思いきや!?
後もう一カ寺行きましたよ。
次回に続く。。。
では。
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